なんとびっくり。4月号のデビッド・ボウイ追悼特集に続き、今回も音楽が主役。しかも、「特集 やくしまるえつこのSF世界」。
やくしまるえつこはS-Fマガジンに「あしたの記憶装置」を連載しているくらいにSFではあるのだけれど、いったいS-Fマガジン編集部はどうなってしまったのか(笑)
“相対性理論”という奇妙な名前のバンドの存在を知ったのはいつだったかは忘れたけれど、名前を知って興味を持ったときに2、3曲聞いたくらいで、あまりよく知らない。というか、好きなタイプの音楽じゃなかったという印象。
やくしまるえつこ本人にいたっては、薬師丸ひろ子としばらく区別がついていなかったというのが正直なところ。
しかし、ティカ・α名義でのSMAPへの作詞提供や、ももクロの『Z女戦争』なんかもこの人だったと知ると、たしかに最近盛り上がっているんだなと再認識した。
やくしまるえつこは確かにSFファンが好きそうな独特な世界を持った人ではあるのだろうが、SF小説読者からすると、ちょっとズルいんじゃないかと、実は思っている。
「あしたの記憶装置」なんかが典型的なのだけれど、SF的なモチーフ(未知の科学、失われた記憶、こことは違う世界……)のイメージを喚起する単語や文(あえて文章とは言わず)の羅列でできている。それは、風呂敷を広げるだけ広げて、たたまない。
この風呂敷が広げられている期間というのは、実に楽しい。謎が謎を呼び、新たな可能性に心が震える。
しかし、小説や映画ならば、物語に結末をつけなければならない。わざとオープンエンドにする場合もあるが、それでもそれなりのオチはつく。
このとき、広げすぎた風呂敷をたためずに陳腐な結末になってしまったり、誰も期待しない斜め上のオチがついたりすることも多々ある。あるいは、それを避けるために、いつまでも終われなかったり。ほら、あの○ヴァンゲリ○ンとか……。
詩とか歌詞とか、イラスト+短文とか、イメージを喚起するだけ喚起するだけのものは、結末をつけなくてもよいという意味で、やっぱりズルいと思うのだ。
ところで、話は変わるが、香山リカは科学にもSFにも関係の無いことばかり書いているならば、そろそろ退場してもらってもいいのではないか。今回の内容に関しても、アンチ・ヘイトはヘイトと同じ穴の貉にしか見られていないし、「アイヌだというだけで殺されるかも」に至っては、知里幸恵の同窓生として違和感しか無い。
○「ウルトラマンF〈最終回〉」 小林泰三
これで連載最終回。TSUBURAYA×HAYAKAWA UNIVERSE 企画の一環なのだけれど、ウルトラマンネタであれば、以前の『ΑΩ』の方が破天荒で面白かった。Fの意味がわかったところが一番の頂点。企画の都合でリミッターが働いているのかどうかはわからないけど、もっとむちゃくちゃにやっていただきたい。
(※加筆された単行本版はもっとすごいらしいので期待)
○「月の合わせ鏡」 早瀬耕
Removeが不要でメモリリークしないデータ構造というのはちょっと惹かれるけれど、ヒトの記憶のように曖昧なのじゃちょっとね。AI系に使うには最適なのだろうけれど。って、そいういうのが主題じゃないか。
○「双極人間は同情を嫌う」 上遠野浩平
おじさんはもう疲れちゃって、こういうの、もう読めないよ。
○「牡蠣の惑星」 松永天馬
現代的というか現在的。SFの皮すらかぶらなくなった現在小説。最貧困女子とか、高学歴底辺女子とか、一部で話題になっているその辺の話題とつなげるのも面白そうだ。
○「天地がひっくり返った日」 トマス・オルディ・フーヴェルト/鈴木 潤訳
これ、ヒューゴー賞なのか。フラれた心象が文字通り実現した結果っていうこと?
○「失踪した旭涯(しゅうや)人花嫁の謎」 アリエット・ドボダール/小川 隆訳
大メヒカ帝国は燃えるな。この世界で日本は一体どうなってるんだと気になる。
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