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日曜美術館:大名家とアート 細川家700年の歴史

2010-06-12 12:44:55 | 美の番組紹介
日曜美術館:大名家とアート 細川家700年の歴史


現在、上野の国立博物館で行われていた展覧会の紹介番組とも
言える内容でしょうか。
元首相まで登場した豪華な内容でした。


さて、この番組を見させていただき、日本の大名家という
エリートの姿の一端をみせていただいた気がした。
では、細川家4代に渡る元殿様の人物像を少しばかり
番組よりご紹介いたします。


<細川忠興>
細川家でも有名な人物ですね。
歴史の話はここではいたしません。
忠興は、三斎という茶人です。
当時のお茶は特別な意味を持っていました。
お茶は単なる飲料ではなく、
武人にとっては情報交換をする場であり、
決断をする場であり、
自ら思いを巡らす場であり、
自らの文化度を披露する場であり、
外交の場であり、・・・。


熊本には、肥後古流というお茶の流派があり、
武人(=男性的)がお茶を嗜む作法を伝承しているという。
この辺も三斎ならぬ忠興の文化貢献の一端であろう。


文化的なものが、政治や経済と相互に影響しあうことを
すでに見越していたのかも知れない。
今流に言えば、ソフトパワーとハードパワーの融合ではないか。
番組内での言葉である。

<細川忠利>
かれは行政家としての手腕もあり、細かい部分まで指示をした
古文書がある。
晩年の武蔵をむかいいれたことでも有名である。
武蔵が細川家にいたことは文武に大きな影響を与えたと
想像する。
武蔵は、武芸だけでなく、水墨画も素晴らしい。
文武を愛した殿様であろう。


<細川重賢>
財政危機を見事に乗り切った手腕の持ち主。
肥後の鳳凰と呼ばれた行政力の持ち主。
それでいて、多彩な趣味人として、風流を極めた。
能に傾注した。


<細川護立>
文武両道という2面性の大名であっつたという。
戦災を免れたこともあり、細川家という個人の文化財産を
後世に伝えたいという熱意から永青文庫を設立する。


息子である元首相の言であるが、永青文庫の2階で生活した
時期もあり、毎日、文化財とも言える品々に囲まれて育った。


当時の文人との交流が多く、学者や画家の出入りが多かった
との回想を言われていた。
唐三彩への早くからの中網と画家白隠幇鶴への傾斜も面白い。


さて、長々と4人の殿様に登場していただきましたが、
ここにある種の共通項があるような気がする。
されは、「文化力」である。
それぞれの違いはあるものの、日本文化を慈しみ、
愛し、時には保護し、育ててきた。
多くの文化人と接し、擁護し、日本の財産を育てた。
どうやら、この辺に、政治や経済さえも、凌駕する
文化とう力を、すでに理解していたといえる。


昨今の日本のお大尽や政治家とは大いなる相違である。
「金・金・金」そして、「自分のために」のみ。
古来の日本文化の懐深い想いがまったく感じられない。


この番組を観ながら、この文化に真のエリートの鍵が
ありそうである。

永青文庫
細川家の至宝