体長13cm、軽くてススキの枯れ葉に止まっても大丈夫です。
イスラム教徒に課せられた義務の一つで、イスラム世界の拡大や防衛のための戦いである。イスラム教徒のことをモスリムと呼んでいるが、イスラム教徒の義務は、個人においては、六信五行で、信仰の告白、礼拝、喜捨、断食、巡礼であり、モスリム総体としてはジハードである。このジハードは、直接戦闘員として戦争参加するだけではなく、浄財の寄付、武器などの用品の提供などの参加がある。ジハードに参加して死亡した戦死者は殉教者として天国に行けるという約束がされている。
イスラム過激派に対して現在行われているテロ対策においても、資金源を絶つことがいわれていて、海外にある銀行口座の凍結などの対策が行われているが、武器の提供などは、教義の中にあるジハードとしてのモスリムの信仰の一部であり、銀行を使わないことも可能であるため、その阻止は困難といわざるを得ない。
異教徒に対する改宗までへの行為が達成するまでハジハードの範疇にはいるが、キリスト教、ヒンドゥー教や仏教などの異教徒がイスラム教の政治的保護下にはいることを認める場合は、その宗教を保持することまでは強制していない。しかしながら、イスラム教のスンニ派においては、厳格なイスラム教の戒律を守る傾向が強いために、必ずしもジハードの解釈に対しても融通が効かず、同じイスラム教の穏健派といわれるシーア派をも排斥する傾向が強い。この極端な状況としては、現在のイスラム国が直面している新国家建設という局面で顕著に表れるようである。
イスラム教徒、キリスト教徒、ユダヤ教徒などの教徒間の戦争という見方は、宗教イデオロギーの違いによる長年の対立であり、排他的な一神教がもたらす悲劇でもある。現在我が国における仏教や神道が、同様に孕んでいる宗派間の対立は表面的には顕著ではないにしても、本質的に持っているものであり、同化は難しいことである。
宗教対立の一方の考え方が、他方と同化しないのは当然で、宗教教義の遂行が熱心であればあるほど対立は激化し、何れは凶暴化し、暴徒と化すのである。我が国でも歴史に刻まれた一向宗などの一揆や、鎖国に至るキリスト教徒の迫害等が、根底に宗教対立があってのことである。テロの定義は何れするつもりでいる。
賢明な同朋においては言わずもがなの世界であっても、我が国がイスラム教過激派に対する宗教戦争に加担することの危険性は排除できないが、関係者の冷静な対応だけは存続して欲しいと願っている。