gooブログはじめました!

日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

勉強脳

2016-10-03 21:52:39 | 国際・政治
>「本音には社会性が無い。だから建前は大切」という議論はよくある。

そうですね。本音は恣意 (私意・我がまま・身勝手) でしょう。だから、社会性はありませんね。
建前は規則ですからね。人々は規則正しい生活をすることになります。

>本音で社会が統合できないなら、人類は常に本音を押し殺し建前で社会を作らなければならなくなる。

‘不自由を常と思えば不足なし’ ということですね。規則づくめの生活ですね。

>そうなれば何らかの建前に収束していくのも当然であって、本能や共認を否定・捨象して出来合いの観念に飛びつく。(「勉強脳」が大人になっても継続し得る背景ではないか)

出来合いの観念を暗記する方法が、一番容易な処世術ですからね。詰め込み教育はなくなりませんね。

>しかし、建前という観念では統合できなくなった社会にあって、照準を当てるのはむしろ本音の方だ。

昔からの仕来りでは、新しい世の中の矛盾を克服できないですね。
恣意は言葉にならず、腹の中に落ちて、その底に溜まる。そして、腹芸の原動力になります。

>そして、本能や共認からできている「本音」と、そこに混入している自我を理解して、その発現をコントロールできれば、新しい社会を作るための観念群を構築していけるはずだと思う。

お仕着せのご法度でなく、自己の哲学を構築するのですね。未来社会が開けるでしょう。

>われわれは自我を恐れず、本音で議論しあうべきだ。

Brain storming (自由に思い付きを出し合う会議法) ですね。閉ざされた社会の打開策になると良いですね。

 

http://plagmaticjam.hatenablog.com/entry/2016/09/24/173114


.




国家の品位

2016-09-24 01:29:32 | 国際・政治
>教育条件も日本は経済力からみて非常に劣悪です。
> 欧米では小中学校は1クラス20~30人なのに、日本では35人学級すらいまだに完全実施していません。35人学級は関係者の一致した要求で、民主党政権時代に国会の全会一致で順次実施することが決められました。>安倍政権はこれに背を向け、文部科学省は35人学級推進の予算を17年度の概算要求に 盛り込むことさえ3年連続でやめてしまいました。>ゆきとどいた教育を願う国民の声に真っ向から反しています。

安倍政権は、行き届いた教育の追求には、興味がないのでしょうね。だから、成し遂げるべき使命感が湧いてこない。教育は序列順位の争いのための単なる手段であって、国民が平等でありさえすればお相子さまです。教育条件の優劣にかかわらず、序列順位は定めることができますので、現政権は心配をしてないのでしょう。教育は、序列人間の製造過程というものか。

日本人は、無哲学・能天気であって、哲学・非現実には縁がない。
非現実の内容を主張する者に対しては、’そんなことを言っても駄目だぞ。現実はそうなっていない’と言って現実肯定主義者は反撃する。天下の真理を述べているつもりになっているのかもしれない。
理想・非現実の主張に対しては‘そんなものは、夢物語だ’ともいう。
意思のあるところに方法がある。日本人には意思がない。意思がなければ、夢の実現は他力本願・神頼みじゃ。

日本人と西洋人では、夢に対する価値観が違う。
日本人の夢は見ることはできても、触れることのできないもの。はかないもの・当てにならないものである。夢の内容は、実況放送・現状報告とはならない。だから、日本人は夢に対して否定的である。その内容を日本語で語ろうとすれば、空想・妄想となる。
西洋人の夢は哲学である。希望の源である。夢は脳裏に存在する。非現実の文章内容として存在する。だから、肯定的である。

日本人にとって学問とは実学 (技術) である。’実社会に出なくてはダメだ’ という。無哲学・能天気の日本人は実学を励んで技術立国の道を歩んだ。この世では実現されることは無くても、正しい考え方というものは存在するものだという考えはない。
日本の国は天皇制 (序列制)、日本人は天皇製 (序列人間) である。序列があれば、問答無用。後は裁量でやらせてもらう。上意下達で恣意がはびこる。説明責任など、取れるものではない。
日本の礼儀は序列作法、礼儀正しい日本人は序列人間である。序列は社会生活を通して我々の強迫観念となっている。

‘All men are created equal.’ (全ての人は平等に作られている) と T. Jefferson が言えば、それはphilosophical (哲学的) である。非現実・理想で、高尚である。
Emperor Hirohito が ‘The war situation has developed not necessarily to Japan’s advantage.’ (戦局必ずしも好転せず) と言っても、philosophical ではない。現実・事実であり、高尚ではない。

‘見栄と外聞’ は、日本人の判断基準である。日本人論である。
自己 (内) に基準 (哲学) が無いから、外 (現実) に基準を求める。実況放送・現状報告の内容が基準となる。これを ‘見栄と外聞’ という。他人の考えを聞いても、自分の考えを述べない。あるべき姿を持たないからである。気分・雰囲気についてなら述べる。だが、文章にはならない。歌詠みのようなものか。小言・片言・独り言なら表現できる。だが、文章が無くては論理体系ができない。過不足ない世界を表現させる手段がなくて、空想・妄想・雑念の類になる。ああ、むなしい。

頭の中に基準を置くか。頭の外に基準を置くかである。哲学の内容は、自分の頭の中にある。が、残念ながら無哲学・能天気の日本人にはない。見栄と外聞の内容は、頭の外にある。哲学の内容は非現実、見栄と外聞の内容は現実である。見栄と外聞を丹念に集めれば、日本人論になる。自分に意見を求められても困る。’ああでもなければ、こうでもない’ と知識の多さを披露する。これは詰め込み教育の成果であるか。



.


天皇家

2016-09-20 16:52:39 | 国際・政治
>日本史、世界史を勉強されたらわかると思いますが、日本は、国を興してから2000年間、天皇家を中心に国を発展してきました、おかげで2000年以上世界で古代から唯一滅んでいない国家となっています。
>高校の世界史の裏表紙(世界史年表)を見てください、国の寿命はせいぜい300年ぐらい、ローマ時代から帯一直線の国が1つだけあるでしょ それが日本国なんですよ。

そうですね。日本国は異民族に征服されなかったのですね。地政学的な条件が良かったのですかね。

>天皇家は、日本の宗教「神道」の神のお告げを聞く神主の最高責任者であり、政治の象徴(権力者ではなく権威者)として、直系血族として 現在125代目の天皇ということになります。 世界での宗教の権威者では、ローマ法王があり、皇室の権威者ではエリザベス女王がありますが、この二つを足しても、天皇家には全くかなわないんです。

権威が長続きすることはよいことだ。天皇家の序列につながる民の支持が存在するからでしょう。権威主義であるから、最高責任者の責任感はあまりないでしょうね。

>日本は、一度も滅んだことが無いため、伝統文化と宗教行事が1体化してしまいました、正月、七五三、月見、花見、夏祭り、秋祭り、これらは全て神道の宗教行事ですが、日本人は、自分が神道の信者なんて意識して参加している人はいないでしょう?

意思のないところに責任はない。無意思でも通用する行事なら、宗教は何でもよい。

>神道の理念は「すべてのもには、神がやどるので全ての物に感謝しましょう」というものです、それが証拠に、太陽、石、川、自然、はもとより、無くなった人、他の宗教の神様、言葉(言霊) 虫、男女の性器、横浜ベイスターズ… どんなものでもご神体になっています。 日本人は、無宗教という究極の宗教信者なんです。

意思を示す必要がないならば、何でもご神体になる。

>この心情から、昔から、礼儀正しく、高い技術、を作り出す文化が生まれて、国を発展してきたんです。 1543年に鉄砲伝来からたった1年後にコピー商品をつくり、10年後には大量生産化し、後の植民地化を免れたのも、現在の技術立国を生んだのも、全てはこの国民性が生み出したものなんです。

日本人の礼儀作法は、序列作法である。だから、序列のないところには、作法はない。相手に因って態度が小さくなったり大きくなったり、人を見損なってはいけないと強迫観念にとらわれる。旅の恥は、かき捨てか。
日本人は序列修業により目先・手先の事柄に注意力を集中できるようになるので、細工物の仕上がりもよく、上意下達で作業能率もよい。おかげで日本製品の国際的評価も高く、我が国は技術立国を足掛かりとして、経済大国にのし上がった。この日本語の恩恵を世界中に広めて、途上国の技術支援を通して世界の経済発展に貢献したらよい。

>さらに天皇家は、皇室として、政治の象徴として2000年間国家の代表にいた人です。 公家、藤原家、源氏、平家、足利、徳川、これらは全部天皇家の親戚です。日本人のほとんどは、ご先祖をたどると、どこかの公家か源氏、平家筋の本家にたどり着くことができると思います。 すなわち天皇家とは日本人の共通の本家筋に当たる家柄になるんですよ。

アフリカ家は人類の共通の本家筋に当たる家柄になるんですよ。
‘上とみるか、下とみるか’ の判断には、上下関係の存続には必要です。日本語には階称 (言葉遣い) があるので、日本人は上下のつながりを求めます。脳裏にそのつながりを形成できれば、それで安心がえられます。’なぜ’ という疑問が消えてなくなるからです。
我々日本人とつながりのない人は ’外人’ で、つながりを捨てた人は ‘非国民’・’棄民’ となります。日本語脳の持主にとっては、序列外であることは精神的に大打撃となります。序列による人民統制の可能な範囲は、日本人の居住地域に限られます。だから、日本語脳の存在しないところに、序列国家存立の基礎はない。だから、日系移民は根無し草になる。日本人特有の神通力を発揮できない。そして、非日本語住民を巻き込んだ、グローバルだの、ユニバーサルなどの着想は、我が国においては育たない。

>血族=言語=民族=国家=文化=宗教=人種=皇室=国家=大陸(日本列島) これらが 1つにまとまっている国なんて世界に日本以外ないんです。ですから、天皇家は国家の象徴として憲法第一条に定められているんです。

我が国の ‘国家の象徴’ は、戦後アメリカ人の若者がこしらえてくれたのでしょうね。だが、これを国粋主義の材料にするなど、日本人でなければ思いつかないことでしょう。’小さな体に、大きな望み’ ということになりますね。

>現在125代目の天皇を本家として、1億人以上の人間が、血縁家族として、国家として存在している。

もっと遺伝子を調べたらアフリカまでは行くでしょうね。

>もう一つ不思議なことがあります、それは日本列島です、世界地図を縮小した形であり、美術家が作ったような綺麗な形をしており、春夏秋冬雨季乾季、亜熱帯、ツンドラ、地中海(瀬戸内)世界中の全ての気候があり、アルプスに匹敵する立山連峰があり、膨大な海洋資源、浅瀬~深海まで全ての地形を持っています。あと採算レベルほどでは有りませんが、ウラン、金銀銅、石油、宝石、無数の鉱物と殆ど全ての鉱物の山脈があります。自然、気候、地形、文化、全てのものを持っているのが日本なのです。

本当に、日本は世にも不思議な国ですね。

>日本人は、週末に、最先端の都市、世界最古の寺院、自然豊かな山、流氷の見える海、珊瑚がみれる海、など世界で楽しめるであろう、文化、観光、レジャーが全て国内で清潔で治安もよく、のんびり楽しめる奇跡の国なんです。

住めば都ですね。天国か、楽園か。台風・地震のない国か。

>私は、日本が高度な文明を維持しつつ、永続可能な文明社会を継続させるビジネスモデル(国体)を示すことが出来る唯一のポテンシャルを持った国家だと思っています。

優雅と低俗を結合させた、奇跡の国ですね。’掃き溜めの鶴’ のようなものでしょうか。

>これがメリットです。 日本の暖簾を現在降ろすことはデメリットしかありませんよ。

我が国は、利点も多いが難点もないわけではないですね。お変わりないのが安泰の証拠とはならないでしょう。
メリットの取り上げ方にもいろいろありますからね。世界には、個人の数だけメリットの数え方があるのでしょう。
下記のような記事もありました。
>>2012年の経済平和研究所によるランキングでは、日本は5位となった。しかし国連の「持続可能な開発ソリューション・ネットワーク(Sustainable Development Solutions Network、以下SDSN)」が発表した、2016年版の『世界幸福度レポート』では日本は53位だったというではないか。(引用終り)




.


同質性のありがたさ

2016-09-19 02:30:44 | 国際・政治
>わが国は、欧米由来のヘンなリベラリズムや空想的な地球市民主義にかぶれさえしなければ(困ったことに知識人や政治家ほどかぶれやすいのですが)、もともとナショナルなまとまりを維持できる条件に恵まれているのです。

そうですね。だが、この世の中で我が国は文化的な鎖国を続けるわけにはいけませんね。無哲学・能天気では地球村の村民にはなれないでしょう。’我が国は地球上にあって、世界に属さず’ ですね。

>日本語という統一言語、島国という地政学的条件、天皇をいただく長い歴史を持つ文化的同質性等々。

日本語には階称 (言葉遣い) がありますからね。我々の序列人間・序列社会は避けられないでしょう。異質な体質。普遍性を求めるのは難しいでしょうね。

>わが国で、牧師さんが僧服姿で歩いていたり、坊さんが袈裟を着て公共の場所に出入りしたりすることを禁止するなどということが考えられるでしょうか? 
>おそらくムスリムが「ブルキニ」を着て湘南海岸で海水浴をしていても、誰も文句を付けないでしょう。
>この驚くほどの寛容さと安定感覚が何に由来しているか、よくよく考えてみましょう。

着眼点の違いですかね。
日本人の礼儀作法は、序列作法ですからね。日常的な上下判断は、我々の強迫観念になっています。これは、寛容どころではない。

>それは欧米や中国のように、多民族どうしの軋轢と摩擦に悩まされてこなかったからです。

そうですね。我々の歴史は、民族浄化には馴染みがないですね。

>彼らは長く悩まされてきたがゆえにこそ、EUとか、共産主義とかいった、維持困難な苦しい理念を掲げざるを得ないのです。

非現実の内容を現実の世で実現させるのには、それ相当のたゆまぬ努力が必要ですね。夢でしょう。それが人間の人生というものではないでしょうか。

>私たちは、永く天皇の存在によってまとめられてきたこの文化の同質性のありがたさを、もっともっと自覚すべきだと思います。

日本語には、階称 (言葉遣い) がありますからね。われわれの序列人間・序列社会は避けられませんね。哲学 (非現実) が無いので個人差がない。見栄と外聞 (現実) で判断する。切って揃えられたようなメンタリティ (考え方) を示す日本人は、自他ともに危険な存在でありますね。’自分さえ善ければ・・・・’ の考え方は、もう終わりました。処世術万能ではない。グローバルな (地球全体の)、ユニバーサルな (普遍的な) 考えの広さが必要ですね。哲学が必要です。

>ゆめゆめ欧米を見習ってわざわざ低賃金競争や文化摩擦を引き起こす移民政策などに手を出してはなりません(残念ながらもう政府は手を出しているので、何とかこの動きを阻止すべきなのですが)。

立憲主義、人権、民主主義といった近代憲法の諸概念は、欧米を見習わなくてはなりませんね。これらは多様な個人の共生を可能にする基礎ですから、我々も普遍的なものとして受け入れなければならないでしょう。阻止すべき動きではありませんね。様子を見ながら、失敗しないように、じわりじわりと進める。我々はアニマルそのままの姿から、少々人間らしくなってきた。要は、我々の進路を間違えないこと。





言語能力

2016-09-02 21:25:41 | 国際・政治


>江戸から今日までを振り返ってみたが、日本人のコトバの欠乏の原点にあるのは、自治共同体を守り育てるという意志にあると思う。

日本語には時制がないから、日本人には世界観がない。自分たちの ‘あるべき姿’ の内容を持つ共同体は想定できない。
また、日本人には、意思がない。意思は未来時制の文章内容であるが、日本語には時制がない。だから、日本人には意思がない。意思のあるところに方法はある。 (Where there’s a will, there’s a way.) その逆もまた眞である。日本人には、守り育てる意思もない。

>それが、明治→昭和の時代は、欧米列強に打ち勝つという意志に移行したと思われるが、経済成長を果たし、アメリカを抜いて以降、日本は目標=未来を見失っている。

未来社会の内容は未来時制と未来完了時制で語らなくてはならない。日本人にはその目標ができない。
日本語には、階称 (言葉遣い) があるので、相手に打ち勝つ恣意 (私意・我がまま・身勝手)は持っている。だが、それから先は想定できない。

>残念ながら私たち日本人は経済成長の勝利=豊かさの実現と引き換えに、自治共同体を守るという志を失い、西洋に変わる社会モデルを日本から発信するという大志を失った。日本人の言語能力再生のヒントはそこにある。

世界観がないから、社会モデルのグランド・デザインとか、マスター・プランのようなものは、日本人には想定できないし、発信もできない。
文法は言語能力を左右する。日本人は、時制ある言語 (英語) をも学んで、哲学的発想を身に着けるべきである。さすれば、高尚な人間になることができる。



.