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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

未来志向

2017-01-13 09:21:00 | 国際・政治
>【ソウル=宮崎健雄】韓国外交省によると、ケリー米国務長官は11日、韓国の尹炳世(ユンビョンセ)外相と電話会談し、「日韓関係が未来志向的に発展し、日米韓の協力も継続することを期待する」と述べた。

同感です。日韓両国には未来志向の協力関係が必要です。
日本語にも韓国語にも文法に時制というものがない。だから、日本人も韓国人も、未来時制の文章内容を自分の考えとして脳裏に蓄えることが難しい。ナウな感じでばかりいる。
お互いに未来に関する考えを熱心に表明する余地が無いのでしょう。だが、未来の内容は非現実であるから、日韓両国の大同になる可能性があることがらで、大切な内容です。

>昨年末、釜山(プサン)の日本総領事館前に慰安婦を象徴する少女像が設置され、駐韓日本大使が帰国するなど日韓関係が悪化したことを受け、日米韓の協力に悪影響が及ばないよう韓国側に善処を促した形だ。

少女像は現実の内容であり、日韓ともに気になる事がらであり、小異そのものである。小異を捨てて大同につくことにしたら、韓国側が善処したことになる。だから、大同の内容を明確にすることは是非とも必要なことである。

>釜山の少女像が設置されて以降、米韓外相が電話会談するのは初めて。
>会談は、2015年末の慰安婦問題を巡る日韓合意の仲介役を果たしたオバマ米政権側の要請で行われた。
>ケリー長官は少女像に直接言及しなかったものの、「最近、日韓に困難な状況が生じている」とし、「米国も日韓関係改善や日米韓の協力強化のため必要な役割をしていく」と強調した。

無哲学・能天気の人たちにより、日韓関係に困難な状況が生じています。未来志向の勉強に励みが必要です。遠い未来の我々が行き着く先の内容を日韓で真剣に考えましょう。これが何よりも日韓協力の価値ある第一歩です。

古人は非現実 (あるべき姿) を現実のものとして手に入れるために、並々ならぬ未来志向型の努力をした。その例を以下に掲げます。

>、、、、朝鮮との交易で藩の財政が成り立ってきた対馬藩にとっては、日朝国交回復による通商締結は藩の存亡にかかわることであり、対馬藩にとっては幕府のためだけでなく、自藩のために是非にでもこの日朝関係の修復を果たし、親善使節を招来させたかった。
>そこで幕府より朝鮮外交を一任されている立場にある対馬藩はついに偽造の国書作成と王墓暴きの偽の犯人の差出しという暴挙によってその難局の解決を図ったのである。これが後に「国書偽造事件」として幕府を揺るがす大問題に発展していくことになるのだが、その首謀者は藩主ということにはなるが、実はその知恵袋として常に玄蘇和尚が控えていて、文書作成から実行まで大きな役割を果たしていた。ともあれ、この偽造国書と偽の王墓暴きの犯人の差出しによって朝鮮は、日本の要請に対し使節の派遣を決めたのであるから対馬藩の狙いは見事に当たり思惑通りの結果が得られたわけである。
>国書の偽造あるいは改ざんは、秀吉の時の慶長・文禄の乱時の停戦、調停の働きかけにも行われている事実があり決して初めてのことではない。偽りだますのは決していいことではないが、そのことにより和平が実現し、互いの物心両面において交流を深め共に発展しあうことが出来ることにおいて、玄蘇は偽りでなく、仏教で言うところの方便としての用いていたのかもしれない。(引用終り)

http://www.jyofukuji.com/11-tyosen/2002/11.htm

現代の政治家も、未来志向型の大人にならなくてはならない。小人の争いに明け暮れるのは恥ずかしい。これは、国民の不幸か。小人を出し抜く術策を考える必要がある。


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空前の能力

2017-01-09 13:11:56 | 国際・政治
>聖書の天地創造の物語や、オーストラリア先住民の「夢の時代(天地創造の時代)」の神話、近代国家の国民主義の神話のような、共通の神話を私たちは紡ぎ出すことができる。

同感です。

>そのような神話は、大勢で柔軟に協力するという空前の能力をサピエンスに与える。

そうですね。知的で、しかも建設的ですね。

>アリやミツバチも大勢でいっしょに働けるが、彼らのやり方は融通が利かず、近親者としかうまくいかない。

彼らは ‘なあなあ主義’ ですからね。日本人と似たところがありますね。

>オオカミやチンパンジーはアリよりもはるかに柔軟な形で力を合わせるが、少数のごく親密な個体とでなければ駄目だ。

彼らは言語が使えない。だから、情報が遠くにまでは届かないのです。

>ところがサピエンスは、無数の赤の他人と著しく柔軟な形で協力できる。

そうですね。暗記力もあり、思考力もある。

>だからこそサピエンスが世界を支配し、アリは私たちの残り物を食べ、チンパンジーは動物園や研究室に閉じ込められているのだ。

まあ、一応そういうことになりますか。この世の中には、天国・地獄を信じる人もいる。信じない人もいる。サピエンスは、信仰の違いを理由にして殺し合うことをやめましょう。そうしたら、私達はさらに立派なアニマルになるでしょう。

ジョン・レノンは ‘イマジン’ (想像してごらん)という有名な歌曲を作りました。(以下引用)

>想像してごらん 天国なんて無いんだと
>ほら、簡単でしょう?
>地面の下に地獄なんて無いし
>僕たちの上には ただ空があるだけ
>さあ想像してごらん みんなが
>ただ今を生きているって...

>想像してごらん 国なんて無いんだと
>そんなに難しくないでしょう?
>殺す理由も死ぬ理由も無く
>そして宗教も無い
>さあ想像してごらん みんなが
>ただ平和に生きているって...

>僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
>でも僕一人じゃないはず
>いつかあなたもみんな仲間になって
>きっと世界はひとつになるんだ

>想像してごらん 何も所有しないって
>あなたなら出来ると思うよ
>欲張ったり飢えることも無い
>人はみんな兄弟なんだって
>想像してごらん みんなが
>世界を分かち合うんだって...

>僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
>でも僕一人じゃないはず
>いつかあなたもみんな仲間になって
>そして世界はきっとひとつになるんだ


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ハンガリー婦人

2017-01-08 14:53:41 | 国際・政治
>戦後教育の日本人は大体の場合、日本の歴史知らないですよね。

歴史は難しいですからね。教えることが難しい。

>私もハンガリー生まれだからそういう左翼系の教育に敏感です。>主人以外の日本人に会うたび、「あれ?日本は社会主義かな」と思ってた。

我が国は、社会主義国と自称する国々よりも社会主義に近いところがあります。

(中略)
>日本に来て、テレビを見てびっくりしました。>日本人が作っている番組とは思えなかった。>「これ、中国が作っているの?」そう思いましたよ。>それくらいアンチ日本に感じた。>ハンガリー人の知人が来日したとき、同じこと言っていた。

日本人は、命題を与えられて、初めてプロとアンチに分かれます。プロ日本とアンチ日本に分かれた日本人は、アンチ日本のみが価値のある意見と考えられています。プロ日本の内容は現今の仕来りで、とりわけ意見であるとは考えられません。

(中略)
>ハンガリーでも学校では、嘘の歴史を教える。>でもみんなそれを知っているの。>日本のほうが骨抜きにされてます。

ハンガリーでは、それぞれが頭を働かせるからでしょう。日本人には、それができない。我が国では、相手を信用するのは善良な人と考えられています。暗記による勉強がはやる。

>私もNHK国際放送で番組二百本くらい作りました。>でも一緒に働いているスタッフで日本の歴史をきちんと知っている人はいなかった。>左翼的なことを言うけど、ちゃんとした思想があるからじゃない。

日本人は、ご都合主義で歴史を作る。思想は難しいですからね。日本人にとって、左翼的なことは ‘刺身のつま’ のようなものでしょう。

>アメリカなんかに留学していた人を多く雇っているんだけど、見ていると「日本の大学に入れないからアメリカに行っちゃったのかな」と思っちゃう人が多かった。

我が国の試験地獄には意味がないからでしょうね。

>ああいう人たちだと、なかなかいい番組できない。

そうですね。でもね、日本の大学に入れた人たちでも、なかなかいい番組はできないですね。

>日本の国民はそんなに頭悪くないのに、メディアは頭悪いですね。

日本人は、事実と意見が区別できませんからね。我が国のメディアは大きく価値を損なっています。

>だから国民が感じることがテレビなんか見ていても出てこない。

歌詠みにでもならなければ、テレビでの気分・雰囲気は出ませんね。日本人には感性があって、理性が無い。感性で理性を置き換えることはできないでしょう。


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理解と同意

2016-11-28 18:01:00 | 国際・政治

カレル・ヴァン・ウォルフレン氏は、<日本/権力構造の謎・上>の中で、日本語の”理解”について下記のごとく述べています。

>“信念”が社会・政治的状況によって変わり、”リアリティ”も操作できるものであるとすれば、多種多様な虚構 (フィクション)を維持するのはかなり容易になる。

“信念”が社会・政治的状況によって変わるのは ‘その場主義’ ですね。信念という非現実の内容が、現実の内容に置き換わっていますね。
だから、理詰めの議論は必要ない。すべて丼勘定で行く。

>このような虚構によってもたらされる国際的な言語表現上の混乱は、日本の評論家や官僚が”理解”ということばを口にするときの特別な意味づけによって、さらに複雑になる。

日本人の理解は論理ではない。心情である。だから、国際的な言語表現上の混乱は避けられない。

>”相互理解”をさらに深めることかが急務である、という表現をもって強調されることが多い。

そうですね。相互理解とは、なあなあ主義のことです。以心伝心かな。恣意 (私意・我がまま・身勝手) には意味がない。矛盾さえも指摘できない。

>ところが、たとえば日本語で「わかってください」というのは、「私の言っていることが客観的に正しいかどうかはともかく、当方の言うことを受け入れてください」という意味の「ご理解ください」なのである。

そうですね。理屈などを述べる気は毛頭ない。’自分の恣意の存在を認めよ’ とのことでしょう。役人は、’上意下達’ が仕来りですからね。上の者の恣意を下の者に到達させることですね。

>つまりそこには、どうしても容認してほしい、あるいは我慢してほしいという意味が込められている。

平たく言えば、‘恣意を容認せよ’ とのことですね。’許せよ’ということです。我が国の伝統ですね。

>したがって、このように使われる場合の”日本語”の理解は、同意するという意味になる。

そうですね。’長い物には巻かれよ’ という意味になります。さすれば、何事も穏便に済ますことができます。我が国は、天下泰平の国になります。

>だから、”理解”の真の意味は、その人や物事を変えるだけの力が自分にない限り、そのままで受け入れるということである。、、、、、(引用終り)

そうですね。‘力は正義’ (Might is right.) ですからね。昔も今も変わりありません。理解は、観念・諦めのようなものですね。独りよがりの日本人の自信は、外国人を前にしても消えることはない。




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李登輝氏の言葉

2016-11-12 03:00:41 | 国際・政治


台湾総統、李登輝氏の言葉…

>台湾人は「日本精神(リップンチェンシン)」 という言葉を好んで用いる。
>これは日本統治時代に台湾人が日本人から学んだ、勇気、誠実、勤 勉、奉公、自己犠牲、責任感、清潔といった諸々の美点を指す言葉 である。

そうですね。日本人の徳目でしょうね。
私は、’日本良い国、清い国、世界で一つの神の国’ と小学校で教えられました。

>日本人がこの「日本精神」を失わない限り、日本は世界のリーダー として発展していくことが可能だと私は信じている。

日本人には、哲学が無い。相手に大同の内容を示すことができない。だから、自他ともに小異を捨てる気構えを強調できない。そして、リーダーシップが取れない。国際社会の孤児・傍観者になる。
自己の意思を表明できれば、当事者・関係者になれる。人気が出れば、リーダーになれるかもしれない。

>日本人の智慧やモラル、そして技術など、これほど素晴らしい国はない。

我が国は、細工物の仕上りが良い。それで、我が国は、技術立国となり経済大国になったのですね。

>台湾も、その他の国々も、もっと日本を見習うべきと思っている。

そうですね。世界中の国が日本から我々の長所を学んだらよいでしょう。

>さらに私が感じるのは、日本人の国家や社会に対する態度が少しずつ変わってきたことだ。
>一時期は「自分さえよければいい、国なんか必要ない」という考え 方に傾くのではないかという懸念もあったが、最近はそれが大きく 変わり始めたことを感じる。

同感です。
‘今だけ、金だけ、自分だけ’ の処世術では古すぎますね。

>かつての素晴らしい精神は失われていなかったし、それが改めて高く評価されつつあるのではないだろうか。

目先・手先の内容に精神を集中する修業は、日本独特のものですね。

>ただ、いまの日本の若い人たちが可哀想なのは、「昔の日本は悪い ことをした。アジアを侵略した悪い国だった」と一方的な教育を受けていることである。

そうですね。過ちのない人・過ちのない国は見たことがない。見栄と外聞ばかりを気にして、上辺ばかりを繕うのは良くない。何事にも、正直なのが良い。

>日本は世界各国から批判されてしかるべきだと思い込み、自信を失 っているが、そんなバカなことはない。

正しい批判は、いつの時代にも、必要です。

>昔は昔、いまはいま。どちらも大切である。>昔がなければ現在もない。>そういうところから教育を始めていかなければならない。

同感です。それが教育というものですね。温故知新が大切です。

>日本を批判しているのは中国と韓国だけで、それもまったく身勝手 な、自分たちの都合によるものである。

身勝手な人には、立派な歴史書はかけないでしょうね。発言内容に矛盾のあることを気にしなくてはならない。

>いま、 日本人は一刻も早く戦後の自虐的価値観から解放されなければならない。

そうですね。加害者意識 (罪の意識) のない人は、自虐的価値観から逃れられませんね。
‘電信柱の高いのも、郵便ポストの赤いのも、皆私が悪いのよ’ と、いった調子か。お笑い生活に終止符を打とう。われわれは、もっと真面目になろう。

>そのために日本人はもっと自信を持ち、 かつての武士道という不文律を築き上げてきた民族の血を引いていることを誇るべきである。

私たちは、哲学を持ち、対話法を学び、他人からも信頼される民主主義の世の中に適合しなくてはなりませんね。

>そうして日本人としてのアイデンティティをしっかり持つことで、 初めて日本は国際社会における役割を担うことができると思う。

世界の人と共に、小異 (現実) を捨てて、大同 (非現実) につく方策を考えましょう。さすれば、我々はリーダーシップが取れる。無哲学・能天気ではいられない。



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