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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

お人好し

2016-08-30 23:28:31 | 国際・政治
>日本人は、とにかくお人好しで騙されやすいのが最大の弱点です。「オレオレ詐欺」などという犯罪は日本人の「人の好さ」に付け込んだ犯罪で、日本特有のものといっても過言ではないでしょう。物事を疑う習慣のない人がパニック状態に追い込まれると、簡単に騙されます。これは日本人が、政治的プロパガンダに乗せられやすいことを意味します。

現実の内容は見ればわかる。非現実の内容は見ることもできない。
話の内容は非現実である。非現実の文章は、矛盾が無ければ正しい。矛盾があれば、間違っている。
日本人は、非現実の文章内容を理解できない。日本語には、非現実の文章が無いからである。
だから、文中の矛盾の有無も現実の内容でないものは判断できない。
個人の意見 (非現実) は現実の内容そのものではないので、実況放送・現状報告の内容だと思い込めば、それは間違いになる。
非現実の内容の判断は他力本願・神頼みにせざるを得ない。判断に自主性は無く、付和雷同する。民度が低い。

>日本人のもう一つの弱点は、とにかく権威ある職業や組織(学者、医師、弁護士、大企業、大手マスコミなど)から発せられる情報であれば、ほとんど疑うことなく、すべてを信じる傾向があるということです。

権威主義があり、上意下達を励行する。序列社会のしきたりですね。
先生が手本を持っている。生徒は先生に教えを乞うて後生大事にその内容の暗記に励む。これにより序列順位を上げて出世する。身を立て、名をあげ、やよ励め。

>このような、「お上」には逆らわず、「長いものには巻かれろ」という感覚は、決して日本人が、純粋無垢で従属的だったからではないと私は考えています。むしろ、かつての日本の権力者や大商人というものが、伝統的に庶民の信頼を勝ち得ていたからではないでしょうか。庶民は、権力者を信じて付いていけば決して悪いようにはならない、と感じていたのです。

日本人は、自ら ‘あるべき姿’ の世界を発想できない。純粋無垢は、無哲学・能天気の言い替えに過ぎない。だから、従属的にならざるを得ない。下の者ほど割が悪い世の中。意思が無ければ、方法がない。何事も諦めが肝心です。不自由を常と思えば不足なし。

>『古事記』の「因幡の白兎」、あるいは「海幸彦・山幸彦」などの神話、仁徳天皇の「民のかまど」の逸話、数多くある「恩返し」の昔話などから、日本という国は太古の昔から、「正直で誠実に、そして慈悲深く仲良く暮らしていれば、きっと良いことがある」と教えられ、それを信じることのできる社会が、現実に存在したのです。

善政ばかりの世の中であったのかな。そうであれば、一揆などは起こらなかったでしょう。

>このようななかで、歴代天皇はもちろんのこと、将軍や大名、あるいは武士にせよ、大商人にせよ、農村の長にせよ、世の中のリーダーは民の信頼を決して裏切ってはならないと考え、逆に民は、権威あるリーダーに全幅の信頼を寄せて精進しさえすれば、いつか必ず報われるというコンセンサスがあったのではないでしょうか。

理屈抜きで、そうなのでしょうね。
堪え難きを堪え、忍び難きを忍んで、恣意 (私意・我がまま・身勝手) の実現に励めば、南の島に雪が降る。
この国がひっくり返った時にも、責任者は出なかった。とかく、この世は無責任ということか。



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歴史認識

2016-08-04 11:23:25 | 国際・政治
>しどうしゃ日本が「間違って」「悪い」戦争を仕掛けた。小・中・高の歴史の教科書では、日本人が悪い事をしたと教えています。

そうですね。

>しかし, 第二次世界大戦(大東亜戦争)の開戦は自衛の為の手段であり、侵略のための戦争ではありませんでした。

勿論、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、常に簡単な事だ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ(ヘルマン・ゲーリング)。

>日本が戦争を始めたくて、始めた訳ではありませんでした。

日本の指導者は、ただ事の成り行きに従っただけなのでしょうか。

>A級戦犯として真っ先に名前が上がる、東條 英機元首相は戦争を回避しようとした人物です。

自ら反戦の意思を示して、国民に戦争回避の大号令をかけた人でしょうか。

>アメリカとの戦争を回避するために尽力を尽くしましたが、アメリカ側の緻密な対日戦争のプレッシャーにさららされ、始めの一発を打ち込まざるを得なかった人物です。

東條は、我が国の政治責任者であったのでしょう。彼は緻密ではなかったのでしようか。始めの一発を打ち込む結果責任を十分理解していたのでしょうか。それが、戦争回避につながると確信していたのでしょうか。

>このように、戦勝国側の一方的な裁判によって「A級戦犯」と名付けれ、犯罪人にされてしまいましたが、日本の自主独立を守ろうとした人を靖国神社で祀っているのです。

戦勝国側は一方的に裁判をした。
敗戦国側の裁判はあったのでしょうか。日本側には罪人は存在しないのでしょうか。
軍国主義の政治責任者により、日本の自主独立は守られたのでしょうか。

>しかし、靖国神社の参拝に反対する中国・韓国は「A級戦犯」を侵略戦争を始めた「悪者」として認識しているため、日本人からしてみれば国を守るために戦った「英霊」に対して感謝し、戦争のない平和な世界を願う為に参拝する当然の事が中国・韓国には理解が出来ないのです。

国のために戦った英霊を追悼することは、当然のことでしょう。しかし、英霊を指導した責任者に対してはどうなのでしょうか。善人・悪人の区別は確かなものでしょうか。

>先の大戦に対する歴史認識の違いが靖国神社参拝問題の根源にあります。

そうですね。歴史認識に焦点を合わせて歴史書を書けば、世界の名著ができるはずです。

>靖国神社には14人のA級戦犯が合祀されています。(Wikipediaより)

それが、難題か。


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名誉ある地位

2016-07-31 00:25:43 | 国際・政治
>それはまだ18歳で、その名前は平凡な「日本会議」である。だが、日本で最も強力な圧力団体の1つとして、国家主義の、実際、露骨に修正主義の要求事項を掲げている――戦時の日本による、西側植民地主義からの東アジアの「解放」の称賛、軍隊の再建、左翼教師から洗脳された学生への愛国主義の教え込み、戦前の古き良き時代に行われたような天皇崇拝――である。

横文字文化は、我が国には浸透しない。愛国主義は、最も安易な国民への説得法である。
ヘルマン・ゲーリングの言葉を引用すれば、以下の様になる。

勿論、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、常に簡単な事だ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ。(引用終り)

だから、平和国家を自認する国民を、戦争国家の国民にすることも可能である。

><戦後の占領は民主主義をもたらした>として米国をほめるどころか、日本会議の支持者たちは、<占領およびそこから生まれたリベラルな憲法は日本を去勢した>と言う。奇妙なことにこの団体は、日本のメディアにほとんど注目されていない――その強い影響力が政治の中枢で増大しているというのに。

自由 (liberal) であるとは、相手の異なる考えを認め、相手の異なる習慣を容認する事である。
しかるに、我が国の伝統である素読・暗記の勉強法は、異口同音の練習・強化に他ならない。
両者は、水と油の違いである。努力の方向が異なっている。だから、大和民族には、アングロ・サクソンの考え方は通じない。

>日本会議は影の影響力を持っている――280以上の地方支部があり、3万8000人の会費支払い会員を抱え、政治支配層に深く入り込んだネットワークを持っている。元最高裁判所長官が前の代表だった。国会議員のほぼ3分の1が、この団体の議員連盟の会員であり、また安倍晋三(首相)内閣の閣僚19人のうち半分以上が会員だ。安倍氏はこの団体の「特別顧問」である。


もう一度、大和絵の夢でも見たいのでしょう。

>その攻撃力は、日本を「普通の国」にすることに捧げられている――と主要支持者の桜井よしこは言う。教育は、輸入された西洋的権利という概念を薄め、国家と天皇への義務を強調すべきだ、というわけだ。日本は再軍備し、中国に対して紛争領域を断固として守り、そして、紛争解決の手段としての戦争を放棄した1946年憲法を廃棄すべきだ――と日本会議は言う。目的は、日本の「真のオリジナルな特質」を反映することだ――とそれは言う。


国粋主義 (超国家主義) の復活を目指しているのでしょうね。序列社会への愛着か。

>日本会議は、恐るべき動員能力を持っている。10年前、それは360万人の署名を集めた――教育基本法を改正して、子どもへの愛国教育を義務化するためだ。この要請を持った法律の制定が、1期目の不名誉な首相任期中(2006~07年)の安倍氏の数少ない達成の中の1つだった。会議のメンバーは常に、日本の戦時中の侵略を悪く見せるあらゆることを不満としてきた――例えば、戦争犯罪の展示会を請願や電話で総攻撃した」

日本人は、見栄と外聞に特にこだわるようです。国際社会において、名誉ある地位を占めたいのでしょう。お山の大将になる夢のようなもの。小さな身体に大きな望み。復古調というのでしょうね。はたして、日本人の魂は蘇りを見せるのか。

相変わらずの無哲学・能天気を披露する。新しい国際社会に関する夢がない。相手と自分の住む世界を考えない。相手と世界観に関する対話がない。大同がなくて、建設計画がない。’自分さえ善ければ・・・・・’ と考える。だから、国粋主義になる。英米の高等教育とは疎遠である。民度の低さが、我々日本人の根本的な問題である。この足かせの解決が必要である。


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日本の開国 英語とローマ字

2016-07-14 02:39:53 | 国際・政治
対話がない。言いっぱなしになる。粘り強い協力関係が得られない。
自分さえ善ければと考えて、孤立無援・孤軍奮闘となる。挙句の果てに自滅する。
今は、民主主義の時代である。民の力で世界が変えられる。それには、民の理解が必要である。
雄弁が必要である。高尚な話が必要である。民が高尚な話を理解できるか。それだから、高等教育の普及が必要である。

日本語の ‘理解’ という言葉に一つ気になることがある。我が国の役人の使う言葉に、’ぜひ、この件につき、ご理解をいただきたい’ というセリフがある。これは、’こちらの言い分を容認せよ’ という意味であるが、これは本当の ‘理解’ ではない。理解は、話の筋に矛盾のないことを確認することであって、その内容を容認することとは関係がない。矛盾のない筋書きならいくらでもある。理解は、相手がそれを受け入れるか、受け入れないかには関係がない。

日本語には、時制がない。現実のみ文章内容になる。日本人は、現実肯定主義者になる。矛盾の指摘も、高々現実止まりである。そして、その多くの矛盾は序列の壁で阻止されて非難としては成立しない。
日本語には階称 (言葉遣い) がある。’上とみるか・下とみるか’ の世界を発展させてゆくと、序列の社会が出来上がる。
序列社会の政治では、上位の者の恣意は上意下達で実行される。問答無用であるから、矛盾のチェックなどはなされない。
堪え難きを堪え、忍び難きを忍んで上意の実現に励めば、南の島に雪が降る。
朕は国家なり。民は国家のためにある。民は朕のためにある。キム・ジョンウォン 朝鮮語にも階称がある。

日本語には時制が無いので、日本人には意思がない。意思は、未来時制の文章内容である。だから、日本人には意思がない。だが、恣意 (私意・我がまま・身勝手) は有る。恣意は文章にならない。他者の察しにより汲み上げられる。恣意には文章が無いから、意味もなく矛盾もない。だから、問答無用である。恣意は以心伝心により取り上げられる。恣意は、どこの社会でも認められない。恣意の不自由は常と思えば不足なし。

個人は、全体の為にある。これは全体主義である。
日本人の責任感は、序列に基づく責任感である。上位下達を守ること。言語を持たないアニマルの責任感のようなものである。この掟は下の者に負担がかかるだけ。とかく、この世は無責任。国がひっくり返っても、その政治責任者は出なかった。

英語には、時制がある。時制があると、非現実の文章内容が表現できる。だから、英米人の頭の中には現実と非現実の内容がある。非現実の ‘あるべき姿’ の内容を大切にするのが理想主義である。
時制があるので意思が有る。意思は未来時制の文章内容で表現される。文章があれば意味もある、意味が通らなければ、その矛盾を外部から指摘することもできる。矛盾を除去すれば正しい考え方が得られる。だから、議論は有用である。建設的な意見となる。
政治は、責任ある者の理性判断に従って、責任者の意思により執り行われる。個人のリーズン (理性・理由・適当) を大切にするのが個人主義である。リーズナブルな答えが得られる。自由な発想が尊重される。
個人に意思の表明があるので、責任者を名指しすることもできる。

日本人には、有言の説得力がない。哲学 (非現実) が無いから、大同を示すことができない。小異 (現実) を主張する人たちばかりでは、大同につく結論は得られない。だから、なーなー主義の人たちは国際社会の指導者にはなれない。英語を勉強して、哲学を習得すれば、説得力のある人物になる。
一旦理性判断を獲得した人は、日本語を話しても無哲学・能天気の状態には戻らない。

そうはいっても、日本人には無言の説得力がある。神経 (注意力) を目先手先の事柄に集中させることができるので、細工物の仕上がりが良い。我が国の製品は世界の消費者に広く受け入れられて、日本は技術立国となった。大量の資金が我が国に還流して、我が国は経済大国にもなった。

技術は誰もが習得したいもの。それで、わが国には多数の技術研修生を擁しているが、日本語の習得がはなはだ悪い。これが難問である。外人は字が読めないからである。非漢字圏の人には漢字の習得が難関となっている。日本語をローマ字表記にすれば、たちどころにこの問題は解決する。だが、これを実施する気配はない。日本語を話すためには、日本語の音読が欠かせない。漢字の音読は特に難解で、日本人でも振り仮名の表記が必要である。これには漢字の本家である中国人も驚いている。日本語の表記を容易にして、日本語を国際社会に第二言語として広めたら、世界に対する我が国の恩恵は計り知れないものになる。日本人の得意な日本語で実学 (技術) の国際基準を作ることも可能になる。国際社会において、民の力を獲得しよう。日本人は、日本語を解する民に有言の説得力をもつに至る。
この世のあるべき姿は、暗記ものではない。相手と話し合って練り上げるもの。だから、会話が必要である。無言の内容を有言に変える努力が必要である。今は、民主主義の時代である。民の理解が欠かせない。民の力で、この世界を動かすことができる。国際的な対話のできない人はみじめである。時代に取り残されて孤軍奮闘・自滅が待っている。

総理大臣の田中角栄は、今太閤であり闇将軍であった。彼は列島改造論というこの国の ‘あるべき姿’ を掲げて自分の夢を追いかけていた。彼の構想は、国民に夢と希望を与えた。彼は政治の力を利用して非現実の内容を現実の内容に変えた。今時、珍しい日本人であった。
我々は、矛盾を交えることなく、非現実の世界の有様を熱意をもって語らなければならない。マスター・プラン、グランド・デザイン、グローバルな構想、ユニバーサルな着想が必要である。さすれば、非現実の世界を現実の世界として実現させる可能性が生まれてくる。我が国も、この地球も、政治の力により新世界に突入する。
我々日本人は、細やかな心遣いを得意としている。だが、そればかりでは、新世界は到来しない。地球村の村長には、有言の説得力が必要である。


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有言・無言の説得力

2016-06-01 05:28:45 | 国際・政治
頭の中は、現実とは別の世界である。この脳裏にある非現実の世界を表現するには、言語に時制 (tense) が必要である。だが、日本語には時制が無い。だから、頭の中の内容を文章にして表現することができない。我々日本人は仏教徒と言われているが、前世や来世の内容の脳裏における展開は良くない。だから、輪廻の苦しみもない。切に涅槃を求めることもない。頭の中の内容を表現しようとすると、’そんなことを言っても駄目だぞ、現実はそうなってはいない’ と反論される。非現実の内容を現実に変換することができれば、我々は創造力を手に入れたことになる。だから、非現実の内容の文章化は重要である。

文章があれば意味がある。話に筋が通る。相手に対して説得力がある。交渉力がある。
文章がないと意味がない。説得力がない。交渉力が無い。相手の言いなりになるしかない。
だが、日本語の文章にならないバラバラな単語だけでも、それらはある気分・雰囲気を伝えることができる。以心伝心か、歌詠みか。おかげで細工物の仕上りが良い。海外に対しても無言の説得力がある。これは、文句なく非言語の力である。かくして、世界中から我が国に金が還流してくる。我が国は経済大国になることができた。

交渉力を高めるには、大同を相手に提示する必要がある。お互いに小異を捨てて大同につくのが狙いである。
小異は現実であるが、大同は非現実・理想である。この非現実の内容に筋を通すのが雄弁である。言語に時制がないと、非現実の内容は文章にならない。矛盾も排除できない。この難関を突破するのが我々の当面の課題である。我々は時制のある英語の力を借りる必要がある。だから、我々は英語教育に力を入れなくてはならない。さすれば我々は、無言の説得力の上に、有言の説得力を持つにいたることになる。

言語を使うと、理屈を通して言語的に、理性による説得を行うことができる。
言語を使わないでも、理屈を通すことなく非言語的に、感性による説得を行うことができる。
学問 (verbal) と芸術 (nonverbal) は、どちらも我々の生活に必要である。


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