>日本人に対して、私から言いたいことは「現実を直視しよう」ということに尽きる。
日本人に現実直視は難しいでしょうね。常に自分に都合の良い内容の解釈が入ります。戦車は特車に見えている。
>国防についても、外交についても、エネルギーについても、食糧についても、基幹的な政策について日本は自己決定権を持ってないこと、
日本人には、責任感が無い。意思も無い。意思のない人には責任が無い。人は死んでも死刑執行人は殺人罪に問われない。彼らには殺意が無いからである。
意思は未来時制の文章内容であり、日本語には時制 (tense) というものが無い。だから、日本人には意思が無い。優柔不断・意志薄弱に見える。自己決定権を持つ意欲もなければ、能力もない。
>国土を外国の軍隊に占拠されており、この状態がおそらく永久に続くこと、
そのうち、何とか成るだろうと考えている。日本語文法には時制というものがないので、過去の内容は疾く風化する。未来は一寸先が闇。あるのは眼前、目先・手先のことだけである。’まだか、まだか、まだか’ と待っている。他力本願・神頼みか。
>明治維新以来の悲願であったはずの「不平等条約の解消」という主権国家の基礎的目標を政治家たちが忘れたふりをしていること、
日本人は、自主・独立の気風に掛けている。敗戦により、あんにー (兄) ができた。あんにーが頼りではだめである。マッカーサは日本人の父ではない。
>海外の政治学者たちは特段の悪意もなく、日常的に「日本はアメリカの属国である」という前提で国際関係を論じていること、
子供は大人の指示に従わなくてはなりません。日本人には自己の意思決定ができないからです。独立した意思表示のできない国は属国でしょうね。
>そういう事実を直視するところからしか話は始まらない。
事実を直視してもどうにもならないでしょうね。意思の無いところには方法がない。日本人には意思が無い。無為無策でいる。座して死を待つのか。できるのは、死を覚悟することだけ。これは、先の大戦ですでに経験済みである。
日本語には時制が無いが、英語にはある。だから、英米人には意思がある。時制があれば意思があり、実行力が発揮できる。世界観も持てる。過去・現在・未来の三世界をそれぞれ独立して展開して論ずることが可能になる。時制が無ければ、現実の世界一つだけである。
体系のある非現実の内容は、哲学に成る。この種の学習に成功すれば、哲学博士 (Doctor of Philosophy; Ph.D. ) になる事も可能である。誰にも哲学は必要である。(Everyone needs a philosophy.) 捉えどころのない人間は、消えて無くなる。自己の哲学があれば、個人判断ができる。だから、’烏合の衆’ にならないですむ。
我々日本人は、日本語と英語を学ぶべきである。意思ある言語というものを理解することが必要です。さすれば、英米の高等教育機関への留学にも成功します。高等教育は、子供を大人にするためのものである。 我が国が大人の住む国になれば、独立は全うされます。ですから、我が国には教育改革がぜひとも必要です。
ヨースタイン・ゴルデルは、14歳以上の大人のために哲学入門書 <ソフィーの世界>* を著しました。
この本を例にとれば、現実の世界の少女・ヒルデと非現実の世界の少女・ソフィーは鏡像になっているのですね。
ですから、非現実の世界で考えをまとめることが出来れば、現実の世界でもその方針に沿って我々は行動することが出来ます。
非現実の世界の考えは、現実の生活の指針として役に立ちます。
*Jostein Gaarder, Sophie’s World. Berkley 1996 (訳本あり)
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日本人に現実直視は難しいでしょうね。常に自分に都合の良い内容の解釈が入ります。戦車は特車に見えている。
>国防についても、外交についても、エネルギーについても、食糧についても、基幹的な政策について日本は自己決定権を持ってないこと、
日本人には、責任感が無い。意思も無い。意思のない人には責任が無い。人は死んでも死刑執行人は殺人罪に問われない。彼らには殺意が無いからである。
意思は未来時制の文章内容であり、日本語には時制 (tense) というものが無い。だから、日本人には意思が無い。優柔不断・意志薄弱に見える。自己決定権を持つ意欲もなければ、能力もない。
>国土を外国の軍隊に占拠されており、この状態がおそらく永久に続くこと、
そのうち、何とか成るだろうと考えている。日本語文法には時制というものがないので、過去の内容は疾く風化する。未来は一寸先が闇。あるのは眼前、目先・手先のことだけである。’まだか、まだか、まだか’ と待っている。他力本願・神頼みか。
>明治維新以来の悲願であったはずの「不平等条約の解消」という主権国家の基礎的目標を政治家たちが忘れたふりをしていること、
日本人は、自主・独立の気風に掛けている。敗戦により、あんにー (兄) ができた。あんにーが頼りではだめである。マッカーサは日本人の父ではない。
>海外の政治学者たちは特段の悪意もなく、日常的に「日本はアメリカの属国である」という前提で国際関係を論じていること、
子供は大人の指示に従わなくてはなりません。日本人には自己の意思決定ができないからです。独立した意思表示のできない国は属国でしょうね。
>そういう事実を直視するところからしか話は始まらない。
事実を直視してもどうにもならないでしょうね。意思の無いところには方法がない。日本人には意思が無い。無為無策でいる。座して死を待つのか。できるのは、死を覚悟することだけ。これは、先の大戦ですでに経験済みである。
日本語には時制が無いが、英語にはある。だから、英米人には意思がある。時制があれば意思があり、実行力が発揮できる。世界観も持てる。過去・現在・未来の三世界をそれぞれ独立して展開して論ずることが可能になる。時制が無ければ、現実の世界一つだけである。
体系のある非現実の内容は、哲学に成る。この種の学習に成功すれば、哲学博士 (Doctor of Philosophy; Ph.D. ) になる事も可能である。誰にも哲学は必要である。(Everyone needs a philosophy.) 捉えどころのない人間は、消えて無くなる。自己の哲学があれば、個人判断ができる。だから、’烏合の衆’ にならないですむ。
我々日本人は、日本語と英語を学ぶべきである。意思ある言語というものを理解することが必要です。さすれば、英米の高等教育機関への留学にも成功します。高等教育は、子供を大人にするためのものである。 我が国が大人の住む国になれば、独立は全うされます。ですから、我が国には教育改革がぜひとも必要です。
ヨースタイン・ゴルデルは、14歳以上の大人のために哲学入門書 <ソフィーの世界>* を著しました。
この本を例にとれば、現実の世界の少女・ヒルデと非現実の世界の少女・ソフィーは鏡像になっているのですね。
ですから、非現実の世界で考えをまとめることが出来れば、現実の世界でもその方針に沿って我々は行動することが出来ます。
非現実の世界の考えは、現実の生活の指針として役に立ちます。
*Jostein Gaarder, Sophie’s World. Berkley 1996 (訳本あり)
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