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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

リーダー

2017-10-13 21:14:40 | 政治


>もともと日本語に「リーダー」という言葉はありません。和訳は、先導者、指導者、首領、ドン、などとなりますが、それらの和訳も幕末以降の英語の翻訳語であって、もともとの日本語ではありません。

そうですね。リーダーは指導者です。自己の意思を人々に示して、現実対応を指示する人です。しかしながら、日本人には意思がありませんので、指導者の概念は想定外ということになるでしょう。意思は未来時制の文章内容であります。日本語文法には時制 (tense) というものがありませんから、日本人には意思がありません。

>言い出しっぺは、あくまで言い出しっぺであって、やるのはみんなです。

指導者と指導者以外の人たちは、共に指導者の意思に従うことになります。

>そして、何かの事業を行うときには、必ずそれを許可してくれた人がいるわけです。

責任制度を励行するわけですね。許可する権力の持ち主が必要です。

>その許可してくれた人は、その成功に責任を負っている人です。

そうですね。責任者ですね。

>そして日本的組織においては、その許可してくれた人は、ひとりではなく、多くの場合、かならず複数の意思として、決められています。

それでも、個人個人の意見の違いは存在するでしょう。意見を表現できない日本語を使えば、個人の違いに問題にならないようにも見えますが。

>そうであるならば、その複数者は、その成功に責任を負っているのですから、当然、その人達への報告と合意が必要です。

個人を抹殺させているのですから、個人主義による効果は薄いものですね。

>こういうことに手を抜かず、きちんとそれができること。

個性を伸ばす努力が失われていますね。

>それが、組織でことを行うということなのです。

強力な組織というよりも烏合の衆に近いのではないでしょうか。

>ここに手抜きがあると、たとえ成果が上がったとしても、かならず後に禍根を残す。

この国がひっくり返った時にも、責任者は出なかった。とかく、この世は無責任。日本人には、責任感というものがない。だから、責任ある個人が現れません。責任者を名指しすることも不可能に近いです。

>西洋的組織論では、常にリーダーを求め、そのリーダーに反対する者は、常に敵となります。

第二の意見は、非常に重要ですね。第一の意見が失敗しそうになった時に、第二の意見に切り替えて考え直します。矛盾を含まない考えは、すべて正しい。

>そして対立が生まれ、敵対的関係が生まれます。

日本人の場合は、議論をすれば喧嘩になります。個人主義が無いので、異口同音でないと気がすまない。和をもって貴しとなすと思い込んでいる日本人は、喧嘩好みと間違えられます。

>けれど、すべては神々からの預かり物であるという視点に立てば、合意の形成と、その合意者への報告、責任の分担といった、手順が大切になるわけです。簡単にいえば、故意に意図して組織内に敵をつくるな、ということなのです。

個人の自由を認めれば、個人意見の違いは出てきますね。その違いを保護するのが個人主義です。個人主義を理解すればお互いに意見を尊重することになり、敵を作る環境は解消されることでしょう。
日本人には現実の世界だけが存在します。対立する相手だけが目に見えています。自分たちが努力して協力して到達すべき未来の社会・世界の内容は見ることが出来ません。それは話であり、非現実であり、考えの内容だからであります。
日本人には、世界観がありません。現在・過去・未来の世界の内容を深く考察する為には文章が必要です。世界観は非現実の内容であり、その文章内容を表現する為には、時制を必要とします。時制は、日本語文法に無いので、日本人には、世界観がありません。日本人には、現実離れのした非現実の内容の理解は難しく、現実の対立ばかりが見えています。ですから、 ’和をもって貴しとなす’ と教えを垂れなくてはならないのでしょう。


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自発的な行動

2017-10-13 14:58:50 | 政治

>『学校という名の奴隷養成専門学校』

>日本教育のトップである文科省は天才だね。社会で本当に役立つはずの労基法とか年金や社保の仕組み、または税金の仕組み、そしてお金の稼ぎ方はわざと教えないで、社畜を量産できるカリキュラムを考えてるんだから。勉強できる時間がある義務教育の段階で、本当に役立つことを教えるべきなんですよ。

義務教育の段階で実業学校に入学させるのですか。

>文科省なぜしない?無知な納税奴隷を育てたがっているのかな?

日本人は、無哲学・能天気ですからね。’考える人’ にはなれませんね。

>ひょっとして、日本の義務教育って、大人になったら汗水垂らして、奴隷のように会社勤めするのが正義とされていますが、実はそれは国にとって都合が良いものを作り上げるだけで、国の需要に沿った人材育成をするのが目的であり、個人の幸せを保証するものではありません。だってもしみんなが税金のことに詳しくなってしまったら、国はうまく誤魔化して金を吸い上げることが難しくなってしまうから。だからそういうことは意図的に教えない日本の義務教育は、奴隷育成のプロフェッショナルだね。

ごまかして税金を吸い上げなくても、正しい理解の基に税金を吸い上げたら良いでしょう。

>そしてその授業を受ける場所は、学校という名の奴隷養成専門学校。同じ制服を着て、同じ時間に登校し、前を向いて座った姿はまさに奴隷そのもの。

何事も他の人たちと同じでないと、心配ですからね。

>その専門学校では、価値観・考えること・疑うことをまず制限される。それらをなくして数年にわたり詰め込んだ知識は、USB一本の容量にさえ負けるかもね。やがて「就職」という最終テストに合格し、あなたには禁固40年の刑が待っています。そうなれば国と親と先生は大喜びしますが、国は平気で嘘をつくし、親や先生だって間違える。けっきょく誰もあなたの人生に責任を持たないのにね・・・。さらにマイナンバーで個々を管理し、経済的な奴隷へと追い込み、生かさず殺さず純粋な納税マシーンへしたてていく。

とかく、この世は無責任。ひとは誰しも間違い
避けられませんね。自分のことは、自分で責任を持ちましょう。

>自分自身で考えること、疑うことをしないまま社会人になってしまうと、「使われる」だけの人間になってしまいますよ?

人はお互いに助け合って生きていくものでしょう。自分に考えが無いのなら、考えのある人と協力して生きるしかありませんね。

>だって義務教育は従業員をつくるためだけにあるんだから。>義務教育でやった事柄を、年食ってからしっかり発揮できる人のほうが稀有って言うじゃない?

個人に意思というものが無ければ、力不足になりますね。

>『自分のために自発的な行動をしたことって本当にありますか?』

日本人には意思が無いのですから自発的な行動は、無理ですね。意思のない人が自発的な行動をすれば、恣意的 (私意的・我儘・身勝手) な行動とならざるを得ません。これは、自由の履き違えとなります。ですから、’不自由を常と思えば不足なし’ と言われています。

>自分の頭で考えることをしなければ、権威と同調圧力に弱くなってしまい、マスコミにも簡単に騙されやすくなるよ。

その通りですね。同感いたします。

>義務教育で優等生的な姿勢に終始するように洗脳された人は、国にとって便利なお得意様であり奴隷なのです。

そうですね。自分に考える力が無ければ、弟子は師匠に教えを乞うしかありません。教えの内容を後生大事に暗記します。これは、洗脳教育です。自分に考える力が無いのですから、脱線することもありません。

>そうなりたくないと望んでも学校教育自体が、サラリーマンに適応するための教育しかしていないってのが、そもそもの問題なんだよなあ・・・。

問題解決の妙案をお持ちですか。他力本願・神頼みですか。

>思い出すと僕たちは幼稚園→小学校→中学校→高校→大学、そして就職と、もうずっと誰かに踊らされてるんですよね。

日本人には意思が無いのですから、加害者意識がなくて被害者意識ばかりがある。実に恨めしい。

>親や先生とかの期待に応えるためか知らないけど、自分のために自発的な行動をしたことって本当にありますか?ほとんどないでしょう?

日本人には意思が無い。意思は未来時制の文章内容でありますが、日本語文法には時制というものがありません。英語には有ります。ですから、日本人には意思がありません。それで、日本人は優柔不断・意志薄弱に見えます。
意思のあるところに方法が有ります。(Where there’s a will, there’s a way.) 意思が無ければ、無為無策でいます。座して死を待つのみ。ですから、日本人には大きな閉塞感があります。

>だから僕は自分でコントロールできる人生を送るために、起業を選んだんですよ。老後や年金の心配をしながら65歳の定年をむかえるんじゃなくて、健康で体力がある時期に精一杯人生を楽しみたいってだけです。

そうでしょうね。人生を精一杯楽しみましょう。


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