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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

投票率

2017-10-27 11:00:14 | 教育
>「18歳選挙権」が導入され、2度目の全国規模の国政選挙となる衆院選が10月22日に投開票される。>初回、2016年の参院選では、盛んな呼びかけにもかかわらず18歳と19歳の合計投票率は46.78%と低水準だった。>一方、スウェーデンの国政選挙(2014年)の30歳未満の若年層の投票率は81.3%。同じ年の日本の衆院選の若年層投票率は32.6%と大きな差がある。>なぜこのような差があるのだろうか?

民族性に差があるからでしょう。

>スウェーデンの若者の高い投票率を引き出している教育に着目する、明治大学の鈴木教授のインタービュー記事(リンク)よると、次のような大きな違いがあるという。
>【日本の場合】
>18歳で選挙権が付与されることになったが、投票に行く、行かないの前にそもそも政党のことを知らない。

各人に主張が無ければ、政党も政党名も必要ないでしょうね。

>なぜなら、教育で教えていないから。例えば「右」とか「左」って何?っていうことさえ。教育ではタブーとなっている。

各党の主張が理解できなければ、’右’ も ‘左’ もないでしょうね。

>現実ではなく、一般的な制度しか教えない。

教えは現実離れしているのでしょうね。

>【スウェーデンの場合】
>高校に各政党の若者組織の関係者がやってくる授業もある。>若者目線で「自分たちの政党はこういうことを言っている」というのを解説する。

政党の責任者は、自己の主張を明らかにすべきですね。

>基本的に政党が学校に来ることを悪いことだとは考えていない。

この国には何でもあるが、ただ夢と希望がありません。政治家は子供に夢と希望を与えることができます。

>幼稚園から既に「社会に物申す」教育が始まっていて、それも、全て民主主義の練習であるという枠組みの中でやらせている。

各人は、現実と自分の考え (非現実) の差を明らかにすべきですね。各人の考えの内容を比べて、民主主義で決着を図るべきでしょう。民主主義の練習は大切です。

>どうも日本の学校は、子供たちをなるべく政治から遠ざけ、政治への関心が薄く、政治のことを考えない人間の育成目指しているようだ。

政治は、未来志向でないといけませんね。政治家は、未来の内容を語ることを必要とします。しかしながら、日本語文法には時制というものが無いから、未来の内容は定まりません。また、語ることもできませんね。過去・現在・未来の世界観が無ければ、未来社会の内容も想定外となり、未来社会の建設にも人々の関心が薄く、政治の事を考えない人間が多くなります。

>これはでいつまでたっても政治が変わらないのは当然。

現在にとどまっていては、政治は変わりませんね。お変わりないのは、天下泰平のしるしという従来の発想法では政治は機能しませんね。

>政治を変えるには、まず学校制度から変える必要があるようだ。

学校制度というよりも、日本語脳の問題ではないでしょうか。この問題を解決することは、本当に難しいようです。

ノルウェイのヨースタイン・ゴルデルは、14歳以上の大人のために哲学入門書 <ソフィーの世界>* を著しました。
この本を例にとれば、現実の世界の少女・ヒルデと非現実の世界の少女・ソフィーは鏡像になっているのです。
だから、非現実の世界で考えをまとめることが出来れば、現実の世界でもその方針に沿って我々は行動することが可能になる。
非現実の世界の考えは、現実の生活の指針として役に立ちますね。
日本人の架空観念が現実の世界で役に立たないのは、おそらく頭の中で鏡像の関係が保たれていないからでしょう。非現実のための構文がなければ、文章は成り立たず、矛盾も排除できません。現在時制があれば、必ずその過去時制と未来時制を考えることのできるという言語脳が必要なのでしょう。
日本語には時制がないから、現実 (現在構文) と非現実 (未来構文) の内容を並置して頭の中に保存することが難しいです。この状態では、未来は開けませんね。それが大きな問題です。
*Jostein Gaarder, Sophie’s World. Berkley 1996 (訳本あり)


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義務教育

2017-10-27 01:27:41 | 教育
>義務教育を受けなければ人は成長できないというのは、単なる1つの意見でしかありません。>政府の学校教育など受けなくとも、人は学び成長できる生き物なのです。

そういうことも、考えられますね。

>親の不安に付け込んでいるだけ

そうとばかりは言えないようですよ。社会全体の知的水準を上げることになっているでしょう。

>義務教育が無かった時代というのは、民間の教育組織などが市民の教育を請け負っていたものです。

そうですね。しかし、無学の人も多かったのではありませんか。

>そして、それと同時に過去の日本では政府の学校教育など存在しなかった頃は地域が一体となって子供を育て教育するという意識がとても強かったのです。

それには、個人差・地域差というものがありますでしょう。

>教員免許を持った公務員と呼ばれる教師ではなく、商人や農家などの社会的に意義を持った職業の人々が、地域の子供に読み書きなどを教えるのが普通でした。

私の住んでいるところは農村ですが、明治初期生まれの女子はほとんど門毎無学でした。明治後期生まれの女子も就学期間が三年程度で、漢字が苦手でありました。

>冷静に考えてみて欲しいのですが、学校の教師たちは教科書に書かれたことを黒板に書き写し、子供に覚えなさいと命じているだけです。

そういう見方もあるでしょうね。

>別に、これはある程度読み書きができる大人などであれば教員免許を持っていない人でも出来ることが分かるはずです。

それは、そうでしょうね。

>それどころか子供でさえも学ぶ意欲があれば教科書などを独習すれば事足りてしまうでしょう。

それにも個人差があるでしょうね。

>こういうことを書くと>「それならば集団生活はどうやって身に着けさせるんだ?」

そうですね。同年代の人々との付き合いは、大切ですね。大統領・皇族の子供でも、学校教育は受けさせますね。寄宿舎生活も良いですね。

>「一人で好きな事だけをさせていれば我がままな奴になる」

若者には、個性を伸ばす環境が必要でしょう。

>「社会性が身につかないだろう」

同年代の人たちとの対話が特に必要ですね。

>「上下関係が無いから礼儀の無い人間が育つ」・・・などの意見が出てくるはずですが、それならば家以外の場所で他者とふれ合い周囲の人間のことを考える機会を与えればいいだけです。>別にそれは義務教育の中だけでしかできないことなどではありません。

そうですね。上下関係は、丁稚奉公でも鍛えることが出来ますね。

>例えばですが、図書館など公共空間を利用する際に館内では静かにすることや、迷惑にならないように飲食を控えることなど他者を尊重することも学べるでしょう。

特別な宗教教育を受けなくても、人は神社・仏閣などでは静かにしていますね。これは、気分・雰囲気による効果でしょうか。

>そのほかにも、習い事などを身に着けさせるなどすれば指導者などへの敬意を学ぶということだって別にできるはずです。

あなたのご意見は、我が国の義務教育制度を国民制度皆保険制度でなくて、自由診療にする様なものですね。

>学校など行かなくても、真剣に試行錯誤すれば子供が日々成長するということは難しくもなんともないということが簡単に理解できるでしょう。

‘親から学ばぬものは、自己の経験から学ぶ’ といったようなものですね。これには、良い場合とそうでない場合とがあるでしょう。

>結局のところ、政府の学校が無ければ読み書きも計算もできない人間になるんだよという不安を学校関係者があおっているだけなのです。

能力の問題というよりも、縦社会の序列競争が気にかかっているのではありませんか。

>そして、家庭の親たちがその不安に負けて義務教育だからと言いながら子供を政府の学校に差し出しているだけなのではないでしょうか。

義務教育であっても私立の学校なら、問題がないということですか。

>人は本来、誰かに強制されなくとも学ぶ力も意欲も備えているのです。

そうですね。人間は知識欲を持っていますね。子供の書店でのタダ読みを見ればわかります。

>歴史上、義務教育などまともに受けていなくても偉大な功績を上げた人々は多数存在するのです。

おっしゃる通りですね。でも、そうでない人も大勢いますね。

>あなたが親であるならば、まずご自身の子供を信じるということを学びましょう。

自分の子供を信じたら、どうなるのでしょうか。義務教育が要らなくなるのでしょうか。