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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

理想

2018-04-17 22:13:33 | 政治

>◆「平和を祈願すれば平和になる」というのは理想
>「平和を祈願すれば平和になる」というのは理想だ。>現実ではない。

言霊の効果の様なものですね。

>理想が現実だと思ったら、日本という国は消えてなくなってしまう。

理想 (非現実・考え) の内容は、頭の中にある。現実の内容は、頭の外にある。両者は、所在が異なっているから、内容も同じにならない。

>国の存続がかかっているのだから、理想と現実は絶対に取り違えてはならない。

理想 (非現実) は、見ることが出来ない。現実は、見ることが出来る。非現実を見たら、それは白昼夢である。

>ところで、日本が理想と現実を取り違えてしまったものは、他にもある。>たとえば、世界は「平等」を目指しており、それが実現できると思っている人もいる。

‘人は全て平等に作られている’ と主張するか。それとも、’人間万事不平等’ とつぶやくか。

>あるいは、「人類みな兄弟」に代表されるような「博愛」の概念は世界で共通していると勘違いしている可能性もある。>「自由・平等・博愛」はフランス人が提唱した概念だが、なぜか平和憲法を押し付けられた戦後の日本人が、一番それを信じているように見える。

要は信心の問題ですか。神州不滅の様なものか。種本があれば、その暗記も心強い。

>まるで世の中のことは何も知らないウブな少女のようだ。>あまりにもマスコミの洗脳が効きすぎて、「それは理想であって現実ではない」と気付かなくなった。

理想 (非現実) と現実の区別は、日本人には難しいでしょうね。現実の世界は一つある。非現実の世界は三つある。日本人には、こうした世界観 (world view) が無い。あるのは、現実と非現実の混乱ばかりである。

>言うまでもないが、「ありとあらゆるものからの自由」というのはあり得ない。>秩序を乱す自由、ルールを守らない自由、物を破壊する自由、他人を殺す自由が認められたら、社会は一瞬にして無法地帯になる。>秩序を維持するために、常識や社会的規則は自由という概念よりも重要なのである。

自由とは、意思の自由のことである。意思は未来時制の文章内容になる。だから、その内容を誰もが理解できる。議論の対象になる。
恣意 (私意・我がまま・身勝手) は、文章にならない。バラバラな単語のままである。文章にならないものは、意味が無い。矛盾を指摘することもできない。恣意の 自由は、’自由のはき違え’ になる。
日本人には意思が無いが、恣意が有る。それで、自己主張というものが出来ない。恣意は、アメリカにおいては、’恥を知れ’ (Shame on you!) との一語で粉砕される。だが、我が国においては忖度 (推測) により生きている。忖度は聞き手の勝手な解釈であるから、発言者には責任が無い。以心伝心として、こうした言語環境をありがたがる人もいるが、無責任な社会であることには変わりない。
司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻語でない文章の重要性を強調している。
「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

>また、欧米先進国のすべての国家が提唱する「平等」という概念も、「スタートが平等であれば素晴らしい」程度のものでしか考えていない。>「結果が平等であるべき」という共産主義的な考えは完全に消え去っている。>結果が平等というのは現実社会にはあり得ないのである。>そんなものを追及したら、スポーツですらも成り立たない。

そうですね。存在するのは、最低基準の平等ですね。

>「博愛」も理想論であって、現実には成り立たない。>国家は自国の利益を追求するが、その利益はしばしば他国と対立する。>だから、「博愛」などと言っていたら、他国に侵略されて終わりになる。

そうですね。難民救済にも限度がありますね。

>◆現実主義者にならなければ日本が消滅してしまう

足が宙に浮いていたのでは、仕事にならないでしょうね。先の大戦でこの国がひっくり返った時には、責任者も出なかった。とかく、この世は無責任。

>つまり、今まで日本人が信じてきたのは、単なる理想論であって、現実論ではなかった。

現実世界しかないところに、現実と理想の内容を押し込めると、当然日本人の頭に混乱が起こりますね。

>今まではアメリカの傘の下にいて自衛を考えなくても良かったから「軍隊などなくても平和が保てる」という無防備な理想を信じられたのである。

空想・妄想の時代でしたね。頭の中の混乱は、今後も続くか。

>しかし、時代は変わった。>日本の周辺はどんどん危険になっている。>中国は軍拡に邁進し、韓国は反日に凝り固まり、北朝鮮のような小国ですらも核ミサイルを所有しつつある。

そうですね。

>いよいよ、日本人は理想を捨て去り、現実と向かい合う時が来ている。

理想をあっさり捨てる理由が情けない。おつむの弱さか。

>日本を守るためにも、現実的にならなければいけない時がきたのだ。

現実直視が必要な時ですね。日本語脳には、非現実を保持する余地が無い。

>ところで、簡単に現実主義者になる方法がある。>「自由・平等・博愛」が単なる理想論であるのであれば、これをひっくり返すと現実的な考え方になれる。

そうですね。

>つまり、現実的になるというのは、こういうことなのである。
>・世の中は、自由ではないと認識する。

不自由を常と思えば不足なし、ということですか。これでは江戸時代と同じだな。

>・世の中は、平等ではないと認識する。

‘人は平等に作られている’ と考える代わりに、’人間万事不平等’ ということですね。夢も希望も無いですね。

>・世の中は、博愛ではないと認識する。

‘人様に迷惑をかけるな’ と言うことですか。古式ゆかしい礼儀作法か。

>「自由・平等・博愛」をひっくり返したものが現実であると考えれば、現実主義者になれる。

そうでしょうね。

>現実に対応するためには、現実主義者でなければならないのは当然のことであり、そうでなければ世の中から乖離してしまう。

‘右翼 (保守) か、左翼 (革新) か’ といった選択のようなものですね。

>現状認識をするためには、現実主義者になるしかないのである。

処世術一点張りの生活ですか。夢も希望もない生活ですね。

>「反日国家とは仲良くなれる」という理想や、「戦争は起きない」という理想や、「平和は実現する」という理想が先にあると、現実に裏切られて現状が受け入れられなくなる。

現実直視が必要ですね。

>理想はどこかの浮世離れした大学教授の頭の中にだけに存在すればいいのであって、それを現実社会に持ってくるから世の中の捉え方がおかしくなってしまう。

現実と非現実の混乱ですね。

>日本がおかしくなっているのは、日本人の一部があまりにも強く「理想」に洗脳されてしまい、そこから抜け出せなくなっていることに理由がある。

日本人には、世界観が無い。考え (非現実) の世界には、過去・現在・未来の三世界がある。世界観があれば、現実と非現実を脳裏で混乱させることは無い。’時の一致’ (the sequence of tenses) は文法であって、これを間違うと罰点になる。だから、英米人は、世界を厳密に分けて考える。日本語には時制が無いから、日本人はこの種の練習を経験しない。

>もう、私たちはのんきに理想主義を唱えている場合ではなくなっている。

我々は仏教徒になっても前世・現世・来世の三世界を理解することには成功しませんでしたからね。理想主義も空想・妄想になりますね。

>現実主義者にならなければ、日本という国が消滅してしまう。

常に理想 (非現実) と現実を並べて考えて、できるだけ理想の方向に近づける努力するのが、人生というものではありませんか。これを中庸の徳というのですかね。

>世の中は変わったのだ。>現実と向き合う時間がやってきた。

空理空論の時代は終わりましたね。我々は、考える人にならなければなりませんね。



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平和祈願

2018-04-17 12:58:13 | 政治

>◆「平和を祈願すれば平和になる」というのは理想

日本人は、昔から祈願してきました。他力本願・神頼みでは、平和は実現しないでしょうね。

>北朝鮮は絶対に何が何でも核兵器を所有するという目的を捨てない。>好きにミサイルを飛ばし、好きに核実験し、各国の懸念や批判には恫喝で返す。>常識も、説得も、経済制裁も通用しない。>日本のマスコミや野党がいくら「対話しろ」と言っても意味がないというのは、日本人のほとんどが気付くようになっている。

意思のない所には、方法 (仕方) がない。仕方がないから、諦める。

>そして、日本人はようやく「平和」というのは、相手がそれを望んでいなければ実現できないという「当たり前」のことを知ることになった。

意思の発見ですね。
日本人には、意思 (will) が無い。意思は、未来時制の文章内容であるが、日本語文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思が無い。だから、相手にも意思がないものと思っている。対人関係では、意思の問題が重要である。意思の内容を考慮しない言葉のやり取りは、’オオカミと七匹の子ヤギたち’ の物語の様になって、禍を招く。

>相手が憎悪を持って攻撃してきた時、「平和」などという理想はまったく何の役にも立たない。>「日本は平和を望んでいます」と言えば、弱腰だと理解されてどんどん恫喝や侵略を進められていく。

平和実現のために戦う意思の無いことを表明しても無駄ですね。

>現実社会での「平和」というのは、日本が軍事的オプションを持って相手に攻めてこられないようにした状態で「日本から相手を攻めることはない」と言う状態を指す。

そうですね。同感です。

>もし武力を持っていなければ、相手が攻めてきても守れない。

そうですね。強者の怒りは、抑止力になる。弱者の怒りは、ごまめの歯ぎしりに止まるか。

>下手すれば日本国民は大量殺戮に遭う。>「国民が大量殺戮されるかもしれないが、平和が大切なので軍隊も自衛隊も持つべきではない」というのは、かなり頭がおかしい人である。

そうですね。日本の政治指導者は、無責任ですね。先の大戦で国がひっくり返った時にも、責任者は出なかった。

>◆「それは理想であって現実ではない」と気付くべき

理想は非現実 (考え) であり、その内容は頭の中にある。現実の内容は、頭の外にある。両者は、その所在が異なるから、内容も同じにはならない。

>すべての国が軍隊を捨て、武器を捨て、正義と愛と友情に生きる世界は「理想」だ。>そのような世界が来れば夢みたいだと誰もが思う。

本当にそうですね。

>しかし、それは「夢みたい」だから理想であり、現実ではないのだ。>私たちが生きている「現実」の社会は、それが現実であるがゆえに理想とは程遠い世界となっている。

そうですね。理想 (非現実・考え) は、現実とはその所在が異なりますから、内容も同じにはなりませんね。

>世の中がいつまで経ってもまったく良くならないのは、言うまでもなく世の中が理想通りには動いていないからだ。

希望的観測だけでは、どうにもなりませんね。我々は、自己の意思を示す必要がありますね。

>日本人は今まで平和を語り、対立を避け、謝罪し、自己主張を避けて国際社会で生きてきた。>そうすることによって、日本は素晴らしい国であると認識してくれると日本人はユートピアを思い描いていた。

それは、現実離れした勝手な解釈というものでしょうね。空想か、妄想か。

>しかし、現実はそうはならなかった。>実際には平和を叫んでも、日本に向けてミサイルは飛んでくるし、謝罪しても賠償しても「もっと謝れ」と恫喝される。>自己主張しなければとことん蔑視され、反日をエスカレートされるし、侵略の意図を持った工作員がどんどん日本に入ってきて日本を腐蝕していく。

そうですね。現実直視が必要ですね。我々には、自己主張が必要ですね。自己の ‘あるべき姿’ を主張することが必要ですね。

>日本人の中には、まだ「平和憲法で日本が守れる」と心の底から思っている人もいるかもしれない。>マスコミが朝から晩までそう言っているのだから、そのように思ってしまう人がいたとしても不思議ではない。

日本人には自己の考えというものがないから、洗脳の効果は抜群ですね。平和憲法は日本を護らない。横断歩道が歩行者を護らないようなものである。我らの安全は、相手の意思にかかっている。

>マスコミの洗脳能力は群を抜いているので、「それは理想であって現実ではない」と気付かないほど洗脳される人がいても仕方がないのである。>ここがマスコミの恐ろしいところだ。

日本語では、’あるべき姿’ (things as they should be) と ‘今ある姿’ (things as they are) の区別ができない。つまり、現実の内容と理想の内容を文型で区別できない。言語が不完全 (?) であると、人の考えもおかしくなる。

>朝から晩まで、執拗に繰り返すことで現実感を喪失させてしまう。>しかし、「平和憲法で日本が守れる」というのは、明らかに現実と理想を取り違えてしまっている。

そうですね。日本人には、意思が無い。だから、問題における意思の重要性を見逃してしまう。意思で世界が動くことをとらえていない。

>理想をいくら唱えても、現実が理想通りになっていないのであれば、現実の方を直視すべきである。

そうですね。現実の内容は見ることが出来る。理想 (非現実) の内容は、見ることが出来ない。ただの話である。見ることのできない内容は、日本人にとっては真っ赤な嘘である。かくして、日本人は、無哲学・能天気となる。


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協力・建設

2018-04-17 02:20:10 | 政治

>■共同で創造する「共創(きょうそう)」
>現状ある多くの仕事は機械によって代行されていくと考えられています。>今の子どもたちは、30年後、僕らが想像もつかない仕事に就いていることでしょう。>これからの社会では、人間にしかできないこと、つまり共同的な創造性が最も大事になっていくのです。

そうですね。人間にしかできないことへの期待が寄せられますね。

>人間は本来、共同的で創造的です。

そうですね。人間は、社会的な動物ですね。

>しかし、現状の教育では、正解がひとつだけで、他はすべて不正解という問題の訓練ばかりです。

そうですね。正解が一つだと採点がしやすいからですね。暗記で正解が得られますね。

>逆に、自由な発想や他人と違った行動は、まちがったものとして矯正されます。

個人の考えが抑制されていますね。極端な場合には、為政者から刺客を送り込まれたりします。

>それによって、無自覚に間違えを恐れ、本来の創造性を失っていっていくのです。

そうですね。為政者と別な考えを持つことが難しくなりますね。

>実際の社会に出ると、正解がひとつだけで、他はすべて不正解だという問題なんてありません。

全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。
正しい (矛盾を含まない) 文章は、全て正しい考えを示している。だから、正解は一つではない。いくらでもあります。

>そして10年前の正解が、今不正解になっていきます。>他人が喜ぶ新たな解答を創り出すことによって、新たな正解が生まれていくのです。

日の下に、新しきものなし。されど、人は考えを変えることが出来ます。ですから、考えは限りなく進歩します。

>創造性こそが、正解も不正解もない問題を乗り越えていくのです。

矛盾を含んでいない考えは、すべて正しい。正しい考えを創造しようではありませんか。

>そして、現状、テストは個人で受け、個人の能力で評価されます。>知らずに、個人主義を徹底的に叩き込まれているのです。

個人主義は、個人の考えを護るためのものです。現行のテストは、個人の考えを問うものにはなっていません。他人の考えを受け売りのための暗記力のテストです。ですから、没個性の競争です。反個人主義です。

>さらに、現代の多くの人々は、スマートフォンに夢中になっています。>身体は徹底した個人になってしまっていて、共同性を育む機会が減っているのです。

個人同士が’来るべき社会’ に関する内容をスマホで議論しませんね。これは、世界を考えたことが無いからでしょう。個人が ‘宝の持ち腐れ’ になっていますね。

>人間は、自由な他者と共に、身体を動かしながら身体でものを考えています。>そして、人間は、他者と共に創造的な活動によって、この世界を創ってきたのです。

人間は、助け合って生活する動物ですね。大同を考えないと、小異の争いに翻弄されて、新しい社会の建設に協力することができませんね。ですから、無哲学・能天気ではいられません。

>共創の体験こそが、今、人々にとって非常に大事なのではないかと考えています。

そうですね。それには、自由な意見の交換が必要ですね。

>チームラボのアートの「人々の関係性を変化させ、他者の存在をポジティブな存在に変える」可能性にフォーカスを当てることによって、往々にして個人的になりがちな創造的な活動を、他者と互いに自由なまま、共創的な活動に変えることができるのではないかと考えているのです。

未来社会の建設に協力する個人同士になる必要があります。それには、考える人を育成する必要がありますね。考えのある人たちは、自分の意見を交換できます。協力も可能になります。


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