>東洋経済オンライン >日本の子が授業中「座っているだけ」に陥る真因 「置いてけぼり続出」の一斉授業をどうすべきか > 親野 智可等 2021/11/24 11:00
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> 「わが子が勉強しない。 >勉強が嫌いで学力がつかない。 >もっと進んで勉強するようになって欲しい」「いつまでたっても宿題をやらない。 >さんざん叱られて泣きながらやる」 > こういった悩みを抱えている親御さんは本当に多いです。
そうですね。現代における日本人の不幸ですね。
> では、なぜ、こういう事態が常態化しているのでしょうか? >その理由と対策についてゼロベースで考えてみたいと思います。> はたして、子どもたちは勉強ができるようになりたいと思っていないのでしょうか? >なぜ、子どもたちの多くが勉強を進んでやろうとしないのでしょうか?
それは自分にやる意思の無い事柄を強制されるからでしょう。
>子どもたちは勉強ができるようになりたい > 私は23年間にわたって小学校の教壇に立ってきましたが、その経験で言えば、本当は子どもたちはみんな勉強ができるようになりたいと思っていますし、教科書やテストの問題を解けるようになりたいと思っているのです。
本当にそうですね。
>でも、それができないままでいるのです。 > では、どこに原因があるのでしょうか? >実は、原因は子どもたちにはありません。 >ひと言で言えば、個人の学力差を無視した全体主義的なカリキュラムの強制が原因です。
そうですね。学校では子供個人が全体主義的なカリキュラムに蹂躙されていますね。
>そして、解決策はカリキュラムを無学年制にして個別最適化に舵を切ることです。
そうですね。社会の勉強は無学年制にすることですね。個人本位が解決策になりますね。マラソン競技のように各人が自己の最適速度で走ることですね。
> 日本のカリキュラムは文部科学省の学習指導要領が基になっています。 >そこには、何年生では何を学ぶかということが示されています。 >例えば5年生の算数なら、主に次のような内容と決められています。 > 小数の乗法と除法。 >分数の加法および減法。 >三角形や平行四辺形などの面積。 >直方体などの体積。 >角柱などの立体図形。 >百分率や円グラフ。 >比例。 > また、年間の標準授業時間数も決まっていて、5年生の算数は175時間です(この場合の1時間は1コマの授業時間45分間のこと)。 > では、なぜ5年生にこれらの内容が配分されているかというと、高校卒業までに数学3と数学Cが終わるというゴールがまずあり、それに間に合うように配分しているからです。 >つまり、全体の達成目標が大前提としてあり、それを小学1年生から高校3年生までの12年間で達成するために、「○年生ではこれとこれをやってここまで学習する必要がある」ということで配分されているのです。 > さらに、それを基に教科書が作られているので、「5年生の比例は○時間」「百分率は○時間」ということも決まっています。 > つまり、個々の子どもの学力とは無関係のところで、全体としての達成目標とそれを実現するためのカリキュラムがあるのです。
そうですね。我が国の学校教育では個人主義が大きく損なわれていますね。個人の成長が大いに損なわれることに注意が集まりませんね。
> もちろん、国レベルの判断として、「これくらいの達成目標でないと学力の国際標準に達することができない。 >学力の低下は国力の低下につながるからここまでやらなければならない」という判断もあるわけです。
上位にある者を押し縮めて、下位にある者を引き延ばす圧力が子供の勉強を不幸なものにしていますね。個性を伸ばす方針に切り替えると良い結果がえられるでしょうね。
>一斉授業は「中の下」くらいの学力層が焦点 > とはいっても、個々の子どもの学力は千差万別です。 >例えば、5年生の比例の内容を、教科書では8時間で学習することになっていたとしても、それでは不十分な子もいます。 >その2倍の16時間とか、あるいはそれ以上の時間が必要な子もいるのです。 >逆に、2、3時間あれば充分な子もいます。 > それに加えて、日本の授業は、1人の先生が最大40人の子どもたちを相手に一斉授業を行うのが基本になっています。 >ですから、授業は「中の下」くらいの学力層に焦点を当てて進めることが多くなります。 >あまりレベルを上げると、ついてこられない子が増えます。 >逆に、あまり下げると進度が遅れて、教科書が終わらない事態になります。 > ですから、本当は2、3時間で学べる子にはつまらない授業になりますし、時間の無駄にもなります。 >でも、これでもついてこられない子たちはたくさんいて、彼らには個別指導が必要なのです。 >でも、それをしているとほかの子たちを放っておくことになり、授業が成立しなくなります。 >ですから、大人数の一斉授業のまま授業時間数を増やしても、わからない子はわからないまま座っている時間が増えてしまうのです。
一斉授業は子供の個性に合わせた教育ができないということになりますね。
> では、どうすればいいのでしょうか。 >冒頭で書いたように、解決策はカリキュラムを無学年制にして個別最適化の学習に舵を切ることです。 >つまり、子ども各自の理解度に応じて学習を進めるのです。
>その点で参考になるのが、無学年制で個別最適化されている公文式、学研教室、すららなどです。 > 「○年生ではここからここまで」という学年制の縛りをやめて、個別最適化された学習にすれば、どの子も自分の学力に応じたペースで進められます。 >ある内容を2、3時間で終了できた子は次に進みます。 >逆に、理解できない場合は、その内容に何時間かけてもいいわけです。 > ですから、例えば5年生の子でも、6年生や中学生の内容に進んでいくことができます。 >逆に、5年生の子が4年生やそれ以前の内容を着実に踏み固めながら進んでいってもいいのです。
つまり、授業の解決法はすでに見つかっているのですね。
>家庭学習も個別最適化された内容にできる > このように個別最適化された学習なら、どの子も自分のペースで少しずつ進めるので、達成感を感じながら楽しく勉強することができます。 >それによって、学力も確実に向上していきますし、自信もついてきます。
達成感は大切ですね。良いことづくめですね。
>一斉授業の中でわけがわからないまま座っているなどという、惨めで無駄な時間はなくなります。 > その延長線上で宿題などの家庭学習も個別最適化された内容になれば、親が「わが子が勉強しない」と嘆くような状況も大いに改善されていきます。 . そして、今やこのような授業が実現できる環境もすでにあるのです。 >子どもたちは各自タブレットを持っていますし、学校の通信環境もこの数年で一気によくなりました。 >教材にしても、すでに民間に優秀なソフトが複数ありますから、それを使えばいいのです。 >もちろん、今後、文部科学省や教科書会社が作っていくことも必要ですが、とりあえずは今ある物を活用すればいいと思います。 > もちろん、すべてタブレットでよいというわけではなく、紙のノートに書いたりすることも必要ですが、基本的にはタブレットの「一対一対応力」を活用して進んでいくということです。 > さらに言えば、本当は先生の数を増やして、タブレットだけでなく先生も1人ひとりに対応できるようにすればいちばんいいのですが、日本のお寒い教育予算では難しいのが現状です。
先生の数を増やすことですね。お寒い教育予算の改善も必要ですね。
> 読者の中には、「そんな提案は初めて聞いた」と感じる人もいるかもしれません。 >でも、今は耳新しいかも知れませんが、数十年後には「無学年制と個別最適化」が当たり前になっていると思います。
文部省の考えが古いのですね。政治は時代の先取りをする内容でないと能率よく機能しませんね。さるまね・後追いの時代は終わりにしましょう。
> その時代の人たちに今の実態を聞かせれば、「えっ? 昔は何十人もの子どもたちが、1人の先生から全員一斉に同じ授業を受けて、同じ勉強をしてたの? > わからない子はどうしていたの? >えっ? わからないまま座っていただけ? >それで先生は平気だったの? >親もそれでよしとしていたの? >昔の子どもたち、本当にかわいそう」と言うでしょう。
我が国民の意識改革が必要ですね。学校で序列順位の競争ばかりさせていては、わが国は福祉国家にはなれませんね。
> 現在も、すでにタブレットを使った授業が行われるようになってきていますが、その使い方は次のように、一斉授業の中で補完的に使う形が一般的です。 >▼一斉授業の中で出された問題について自分で調べたり、意見をまとめたりする >▼調べたことや自分の意見を、タブレットを使って発表する >▼練習問題を解く >もちろんこういった使い方も有効ですが、タブレット本来の能力を十分使っているとは言えません。 >一斉授業という枠内に止まっている限り、内容を理解できていない子がいても、標準の授業時間数が終われば次に進まなければならないという点は変わらないのです。
そうですね。教育から個人主義が抜け落ちていますね。一斉授業は個人主義の敵ですね。
>話し合いと授業の場を分ける > ところで、学校の授業というと、子どもたちの活発な話し合いをイメージする人が多いと思います。 >ですから、個別最適化された授業でそれがなくなることに抵抗を感じる人は多いと思います。 >でも、私は、例えば比例の内容を理解したり円の面積を求める式を理解したりするために話し合いをする必要はないと考えます。
そうですね。
> 話し合いは、次のようなことで行えばいいのです。 >▼学校・学級の諸問題について話し合い、問題解決する >▼校則や学級の約束について民主的に話し合い、改善する >▼学校・学級行事について話し合い主体的に運営する >▼地球温暖化などの環境問題、貧困、差別、平和、少子高齢化など、社会的な問題について話し合って意識を高め、主体的な行動につなげる >▼読んだ本の感想や解釈について話し合い、多様な考え方に触れる >こういった内容の話し合いなら、どの子も対等に話し合いに参加できる可能性が高まります。
そうですね。日下公人氏は、<よく考えてみると、日本の未来はこうなります。> の中で、日本人に関するW.チャーチルの感想を以下のごとく紹介しています。
日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。しかし、これでは困る。反論する相手をねじ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。
それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。すると議会は、今まで以上の要求をしろと言う。無理を承知で要求してみると、今度は笑みを浮かべていた日本人が全く別人の顔になって、「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことを言うとは、あなたは話のわからない人だ。ここに至っては、刺し違えるしかない」と言って突っかかってくる。
英国はその後マレー半島沖で戦艦プリンスオブウェールズとレパルスを日本軍に撃沈され、シンガポールを失った。日本にこれほどの力があったなら、もっと早く発言して欲しかった。日本人は外交を知らない。(引用終り)
> 日本の学校は、何事も全員一斉に足並みをそろえて行うことが前提の設計になっています。
そうですね。昭和の時代は過ぎ去りました。ご唱和の教育も終わりにしましょうね。
>それによって、息苦しさを感じてうつ的な症状が出たり不登校になったりする児童・生徒が増加しています。
そうですね。それは学校により児童・生徒個人が抑圧されているからでしょうね。
> 彼らは「もうそういうやり方は通用しない。 >学校は制度疲労を起こしている」ということを教えてくれているのです。
そうですね。制度疲労ですね。日本人には儀式 (作法) があって、教義 (教え) がない。だから、制度を変えることも難しい。憲法改正の問題も、同様な精神状態から発生しているといえますね。
> 世界は多様性を受け入れる方向に向かっています。>価値観もそうなってきていますし、ICTの発達で技術的にもそれが可能になっています。[ICT: Information and Communication Technology (情報通信技術)]
そうですね。多様性は個性豊かな社会を実現しますね。
>「みんな同じでみんないい」時代は終わり、「みんな違ってみんないい」時代になりつつあるのです。>それは言い換えると「みんな同じじゃみんなダメ」な時代でもあるのです。
そうですね。没個性ではだめですね。
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