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中国の民主  

2021-12-11 13:24:45 | 文化

 

>JBpress  >西側民主主義より優れていると言い張る「中国の民主」の正体  > 福島 香織 2021/12/09 06:00

 ()

> 米国が12910日の日程で、台湾を含む110カ国を集めてオンラインの「民主主義サミット」を開催するのだが、これに招待されていない中国が124日、突如「中国の民主」と題した白書を発表した。 >およそ2万字の長文の白書で、中国にも独自に創り上げた民主があり、それは米国とは違う民主であると主張している。

 

民主主義には西洋哲学が必要ですね。西洋哲学の単なる語呂合わせでは、民主主義の現実は出現しませんね。    

 

> 果たして中国の民主とはいかなるものか。 >そして、日本人にとっての民主は米国の民主に近いのか、それとも中国の民主に近いのか。 >改めて民主とはなにかを考えるタイミングとしたい。

 

時宜を得たテーマですね。日本人は中国人に近いでしょう。両国民とも個人主義がないから。個人主義がない国では、個人主義は利己主義と間違えらますね。  

 

>「人民が国家の主人である」と主張   >「中国の民主」白書によると、中国民主の本質とは「人民民主」であり、「人民が国家の主人である」ことを核心とする、という。

 

そうですね。当然なことながら豚の国では豚が主人ですね。    

 

>完全な制度プロセスによって実施された「人民民主専制の国体」は、中国人民が人民代表大会を通じて権利を行使し、中国共産党の指導の下、多党(共産党の衛星党)と協力することで、多党制の政治的弊害を効果的に回避することができる、としている。

 

人民の代表がいて個人の意見の代表がいない。だから代表は案山子のようなもので個人が意見の責任を取らない。十四億総懺悔もあるのでしょうかね。      

 

> この白書はおよそ5つのパートに分かれている。> まず前言で、民主は全人類に共通した価値であり、中国共産党と中国の人民が終始確固として維持する重要な理念だ、とうたっている。  

 

自由・民主・人権・法の支配は揃っているのでしょうかね。それとも中国の民主は豚主と同じようなものですかね。        

 

>「この100年の間、共産党は人民民主という旗を高く掲げてきた」としたうえで、

 

人民民主というのは案山子民主のようなものでしょうね。  

 

>1)中国共産党が人民を指導し、全過程にわたる人民民主を実現   

 

中国共産党が自主性のない人間を作るのですね。    

 

>2)科学的・効果的な制度の配置  

 

技術を駆使してロボット人間を作るのですね。    

 

>3)具体性を備えた現実的な民主実践   

 

アニマル牧場のようなものでしょうかね。   

 

>4)広汎で本物の民主の効果的運用   

 

没個性の待遇ですね。没個性と自由とは背中合わせですね。          

 

>5)豊かな人類政治文明形態   

 

飼料の豊富な牧場を目指していますね。人はパンのみにて生くるにあらず。                   

 

>にわけて、中国の民主を解説した。

()

>すべての過程を共産党が指導  > 言いたいことを一言でまとめると、「中国式民主とは、専制である」だ。

 

中国式民主とは覇者の統治を受け継いだようなものですね。個人がお留守になっている。         

 

>「(中国の民主は)中国共産党が全過程を指導する人民民主であり、その制度の配置や実践方法も中国共産党が決定し、さらにこの種の中国式民主を本当に効果的に運用しているのだ。  

 

誰が中国共産党の責任者ですかね。捏造された多数者支配ではないでしょうか。       

 

>これは、世界の人類の民主の発展を探る新たな道筋を示している」と言う。

 

考えの内容は一人一人が違っているのではないですか。考える個人の指示が必要ですね。一から十まで独りよがりの国ですね。       

 

> 白書には「全過程にわたる人民民主」という言葉が登場する。 

 

人民民主は卑怯な個人の隠れ蓑に過ぎないですね。   

 

>習近平国家主席が2019年に上海を視察に訪れた時に打ち出した言葉だ。  

 

彼は無哲学・能天気ですね。  

 

>この定義について白書では、「過程の民主と結果の民主、プロセスの民主と実質の民主、直接民主と間接民主、人民民主と国家意思、それぞれの相互統一の実現」により網羅的で全方位の民主を作り上げた、と説明。  

 

白書の民主は西洋の民主の単なる語呂合わせに過ぎないですね。遠い未来の行き着く先が見えていない。      

 

>「最も広汎で、最も真実で、最も役に立つ社会主義民主だ」と自賛する。  

 

現実直視がない。独り善がりも甚だしい。空想ばかりで誰が喜んだのか。    

 

> 中国共産党は、社会主義制度を破壊しようとしたり国家政権を転覆しようとする言動を、これからも民主の名のもとに徹底的に弾圧する、という。  

 

共産党が人権弾圧をしている限り、政権を転覆しようとする試みは尽きないでしようね。各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy.       

 

>民主と専制の間には矛盾がなく、ごく少数の異見を弾圧することは大多数を保護するためのもので、専制を実行することが民主を実現することなのだ、という。

 

専制中国には、小異を残して大同につく’ (求大同、存小異) という方策が認められないのですね。思考停止の推進ですね。         

 

> 要するに、中国の民主とはすべての過程を共産党が指導する民主である。 

 

中国の民主は牧羊犬のいる羊牧場のようなものですね。中国の民主の下では人民は政治音痴になるしかなりませんね。             

 

>共産党はこの民主を実現するために、共産党と異なる少数意見を徹底排除し、大多数者を擁護する。 

 

一人一人意見は違いますからね。個人意見を無視して成果だけをわが物にする中国人の為政者は困りものですね。覇者の国の焼き直しに過ぎない。名人のいない国、ブランドネイムの無い国の仕来りですね。      

 

>それを私たちは「専制」と呼んでいるが、それが中国の民主なのだ。

 

中国の民主主義には個人主義がないのですね。個人を破壊する没個性の国ですね。個人 (主人公) が破壊されて民主主義が成り立つというのも奇妙な話ですね。   

 

> 白書はさらに、中国の「全過程にわたる人民民主」はあらゆる民意を体現しており、民主的な政策決定、管理、監督を通じて、選挙の際に流布されるウソの公約や、選挙後の混乱を効果的に防止することができる、と専制の利点を主張した。

 

個人主義のない国にあらゆる民意を体現するとはどういうことですかね。党員がご唱和を指導して中国の民意を作り上げるのですかね。      

 

>中国が突く日本や米国の「痛いところ」  > 民主を実現するために専制を行う、というロジックにまさか説得される人はいまい。>中国の民主白書がうたう民主が、私たちの知っている民主と全く違うものであることは、理解できるだろう。

 

そうですね。中国の指導者は詭弁を弄していますね。彼らの民主は西洋哲学の単なる語呂合わせに過ぎない。個人が無視されて民主主義が存在するというのがゴマカシの元である。個人の確立が民主主義と衆愚政治の分かれ目であることを中国人は知らなければならない。          

 

> だが、民主主義国家に生きていながら、こうしたロジックに妙に共感する人が少数ながらいそうなのも確かだ。  

 

思考を停止している無哲学・能天気な人間には個人不在の民主主義にも何ら問題がないのでしょうね。   

 

> この白書発表の場で、西側記者が「米国の政治家は選挙で当選後、成果をあげなければ次に落選し排除されるが、中国の場合、人民が指導者に不満を持っても交代させる方法がないのでは?」と質問した。>すると中共中央政策研究室の田培炎主任は、「米国の政治家は利益集団の代理人であり、有権者や国家利益を代表する者ではない。  

 

中国の政治家は有権者や国家利益の代理人であると自認する根拠はどこから湧き出して来るのだろう。またしても独りよがりか。彼らの独断専行にはきりがない。   

 

>選挙のために適当な公約を言い、選挙後に公約を守らないことはよくあることだ」  

 

米国ではそれを公にすることができる。中国ではそれができない。不自由を常と思えば不足なしか。      

 

>「表面上、有権者の監督を受けているといっても、選挙に当選してしまえば有権者にはどうしようもない。>ただ次の選挙を待つだけだ。

 

中国の指導者は、永久の指導者になりたがる。中国の指導者は神様のつもりでいるのか。中国人の独りよがりも甚だしい。    

 

>投票のときだけ騒ぎ、投票後は休眠、選挙のときだけ調子のいいことを言って、選挙後は民主が取り残されているのであれば、そんなものは本当の民主ではない。>中国人はそんなものは好まないし、必要としていない」と反論した。  

 

投票には頭を使わなくてはなりません。思考停止の中国人にはそんなものは好ましくないし、必要としてもいない。政治音痴の民とはそういったものでしょう。       

 

> 正直、この反論は、日本や米国の選挙の痛いところを突いているかもしれない。  

 

中国の為政者は常に安定を気にかけていますね。人民に支持されいる理由は自己の独断でしかない。だから転覆を恐れている。転覆は進歩とは考えられていない。革命の思想は認められていない。政治哲学に関する議論をしないから強権発動が全てとなっている。だから、安定を得る為に焚書坑儒もやって見せる。   

 

> また、白書では、「党が団結して人民を指導して、新型コロナウイルス感染症の対策で重大な成果をあげ、絶対貧困問題を歴史的に解決し、全面的な小康社会を実現し、一連の重大なリスクを緩和し、社会主義現代化国家の全面的建設に向けた新たな道程を切り開いた」と主張。

 

中国では、都市と農村の戸籍による歴史的格差はいつまでたっても是正されていませんね。人民の声は無視されています。      

 

>「良い民主とは社会の共通認識を凝縮すべきであり、社会の分裂や衝突を生むものではない。

 

中国は社会の分裂や衝突は全て強権で抑え込んでいる。漢民族の妄想に由来する暴挙です。

言語は伝達の手段であるばかりでなく、思考の重要な手段でもあります。ですから我々の考えの疎かな所は日本語のせいであることもあります。   

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実 (things as they are) の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本人も英米人も子供の時には非現実 (考え) の内容というものがない。だから ‘話を告げる’ (to tell a story) ということは、’作り話をする’ とか ‘嘘を吐く’ という風に受け取られて悪い子供とされている。この判定だけがわが国では一生涯続く。

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。これは縦並びの比較ということができる。建設的である。進歩が期待できる。希望が持てる。現実の内容だけであれば、その比較は '現実' '現実' の上下判断 (横並びの比較) になり、'どっちもどっちだ' がある。無力感に苛まれる。この種の比較は復讐に復讐を重ねる民族同士の争いの原動力にもなっていて進歩が期待できない。

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)     

 

>社会の公正正義を擁護するものであり、社会階層や利益の固定化を導くものではない。  

 

自己慶賀は絶えませんね。中国の指導者は漢民族の指導者でありり永久政権を望んでいます。        

 

>社会の安定と秩序を維持すべきで、混乱や動揺をもたらすべきではない。   

 

漢民族の政権は問答無用で個人意見を抑えるということですね。  

 

>社会を美しくポジティブなパワーで満たすべきであり、偽りの醜いネガティブなパワーで満たしてはならない」とも唱えている。

 

他民族国家中国のポジティブのパワーは漢民族の手の中にありますね。民族の自決はネガティブのパワーと見なされていますね。   

 

> こうした主張は「おまえが言うな」と言いたいところだが、優れた防疫ノウハウをもっているはずの米国が新型コロナで第2次大戦以上の犠牲者を出したことや、先の大統領選で「不正選挙」や「Qアノン」など、虚実ないまぜの情報が氾濫し、BLM運動などで社会が分断、激しい混乱や治安悪化を招いたことなどを思えば、米国の民主主義制度にはやはりなんらかの問題や欠陥があるのではないか、と考えこんでしまうだろう。

 

そうですね。理想の内容は頭の中にあり、現実の内容は頭の外にある。両者は所在が違うから内容も一致することはない。だから民主主義が必要になります。       

 

> 日本には元々、大多数を擁護し少数を黙らせる、といった「長いものに巻かれろ」的な価値観が根強くある。  

 

そうですね。寄らば大樹の陰ですね。日本の大樹は漢民族の中国ですかね。   

 

>和を貴ぶあまり異論者を排除する空気感、あるいは人と異なった意見は言わないでおこうとする同調圧力心理が働きがちだ。

 

そうですね。反個人主義・没個性の仕来りがありますね。   

 

>リベラル派がよく口にする「人権」の薄っぺらさや、「ポリコレ(政治的公平性)」に感じるうさん臭さにうんざりしているときに、日本には日本の民主的価値観があるように中国にも中国の民主があるんじゃないか、と思ってしまう人もいるかもしれない。

 

そうですね。中国には伝統的な中華思想がありますね。漢民族の自己中心主義ですね。       

 

> 白書は「世界には完全に同じ政治制度は存在しないし、すべての国家に適用される政治モデルは存在しない。 >それぞれが自国の発展に合致した民主形態を選択すべきである。 >参考にしてもそのまま真似るものではない」としている。

 

多民族国家中国の少数民族は漢民族の中華思想を許せば自民族の民族浄化につながりますね。これを許せる筈がありません。ですから少数民族は自民族の発展に合致した民主形態を選択すべきです。         

 

> さらに、「外部の干渉によるいわゆる『民主改造』の害は尽きることがない。  

 

漢民族の自己中心主義が無くなるまで外部干渉による民主改造は続くでしょうね。    

 

>中国は『中国の民主』の輸出を求めないが、いかなる外部勢力も、中国の制度モデルを改変しようと企むことは絶対受け入れない。  

 

中国の制度モデルは漢民族本位の制度モデルですね。少数民族は自己の民族浄化を受け入れるはずがない。   

 

>・・・外部勢力が『民主』の口実で他国の内政を干渉することに反対する」と強く訴えている。  

 

義を見てせざるは勇無きなり。   

 

>これは、来たる民主主義サミットで各国に「西側の民主的価値観」と「中国式民主(という名の専制)」のどちらを選ぶか踏み絵を踏まそうとする米国に対する強烈な牽制である。  

 

国際社会は漢民族の自己中心主義を見逃すわけには行きませんね。   

 

>アジアや中東、アフリカの、封建的部族社会から近代社会へと転換中の途上国の中には、米国のやり方を傲慢と感じ、こうした中国の主張に同意したいと考えるところもあるかもしれない。

 

アメリカ人の勘違い・アメリカ人のお節介もあるでしょうね。だか。建国以来アメリカ人には自信がありますからね。ただでは収まらない。     

 

>専制に「互いの尊重」はない  > 途上国がどのよう考えるかはさておき、問題は日本である。>日本人は「我々の民主とはこうである」とはっきりと説明できるだろうか。 

 

出来ませんね。わが国には個人主義が確立していませんから、民主主義と衆愚主義の区別はつけられません。    

 

>それを今考えてほしいのだ。> 私は、中国と付き合う上では、最低限埋めなければならない民主主義の価値観の差というものがある、と思っている。>それが「人権」だ。  

 

日本人には焚書坑儒は受け入れられませんね。織田信長なら許すかな。        

 

>その人権の中でも重要なものが精神的自由、つまり「思想・良心の自由」「言論・表現の自由」や「信教の自由」などだ。>言論や信仰を理由に当局に捕えられたり弾圧されたりする状況は、それがどこの国であっても看過できない。> 中国には中国の人権がある、というが、それは生存権であり、共産党に忠実な「人民」にだけ許される自由や人権は、家畜の自由であり家畜の権利にすぎない。

 

そうですね。共産党は神様と同様に不可侵ですね。これは中国人の新発明ですかね。         

 

> 言論の自由があると異なる意見同士対立が起き、それが分断、混乱や治安の悪化、ときにテロ、紛争を引き起こす原因にもなる。 

 

議論を盛んにすべきですね。議論をすれば喧嘩になりますという習慣はやめるべきです。   

 

>そのためこの世からテロや争いをなくす方法は「絶対に間違わない独裁政権の樹立」だと言われるが、そんなものは漫画やアニメの中にも存在しない。

 

神様も一人ではありませんからね。    

 

>だから、国家ぐるみの人権蹂躙を別の国家がやめさせようと声を上げることは、内政干渉ではなく、人道上、当然のことなのだ。

 

そうですね。  

 

>言論の自由度や人権の範囲はもちろん国によって違いがあるが、どこまで許容できるかについては国として基準を考えておくべきではないか。  

 

そうですね。   

 

> 今、「民主の価値観」がなんであるかを問い直す必要があるのは、ポストコロナ時代に本格化するであろう国際社会の枠組みの再構築が、米国式民主の価値観・秩序で進むのか、中国式民主(専制)の価値観・秩序のもとに進むのか、が問われているからだ。

 

中国式民主主義は漢民族の中華思想 (自己中心主義) に基づいているから国際社会に広がらないでしょうね。   

 

>この米中価値観戦争とも言うべき新冷戦構造の中で、米国は民主主義サミットで参加国にこの問いの答えを欲するだろう。>一部途上国の中には、それを横暴と感じるかもしれない。 

 

そうですね。アングロ・サクソンのメンタリィに追従できない国も多いでしょうね。    

 

> 一方、中国は「中国式民主(専制)を(米国のように)各国に押し付けない」「異なる民主を尊重しあおう」と言う。>だが、見過ごしがちなのは、専制は異なる意見を認めないということだ。 

 

そうですね。問答無用・切り捨て御免は、わが国においては昔物語ですね。異なる意見は無数にあるのに、専制主義とはおかしなことですね。    

 

>民主主義者は専制主義者のロジック、主張に耳を傾けることがあるかもしれないが、専制主義者は異論を口にした相手を「失踪させる」ので、実は「尊重し合う」ことができない。 

 

そうですね。相手を疾走させるのは、議論などできない人のすることですね。   

 

>「尊重し合おう」という言葉に騙されて認めてしまえば、その段階で専制に取り込まれてしまうのだ。

 

そうですね。相手が悪い。   

 

> 来年(2022年)2月に開かれる平和とスポーツの祭典・北京冬季五輪に対して米国が外交的ボイコットを決定したのは、中国式民主を認めない、という米国としての価値観の表明だ。>日本は、日本独自の判断でどうするのか。 

 

日本は例により日和見でしょうね。   

 

>早めに表明しないと、日本の民主も中国式民主のようなものだと国際社会に思われてしまうのではないか。  

 

そうですね。嫌なら態度で示そうよ。ほら、みんなで手を叩こう。  

 

 

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連合の圧力  

2021-12-11 01:23:35 | 文化

>AERA dot.  >北京五輪"外交的ボイコット"で安倍―高市連合の圧力 岸田首相の本音は「中国の顔も立てたい」 > 2021/12/10 07:00

> 中国の北京冬季オリンピック開幕まで2か月を切る中、“外交的ボイコット”を表明する国が相次ぎ、岸田政権が対応に苦慮している。  

 

この際中国にお灸をすえるべきですね。   

 

> 来年24日に北京で開会式、20日に閉会式が行われる北京オリンピック。 >中国との対立が深まる、アメリカが外交的ボイコットを表明したのに続き、イギリス、オーストラリア、カナダもボイコットすると表明した。 

 

FIVE EYES のメンバーは息が合っていますね。    

 

> オリンピックが開催される際には、どの国も政府関係者が開会式などに派遣される。 >しかし、アメリカ、イギリスなどは政府関係者の派遣はしないとしている。 >だが、選手たちの参加は変わりなく、1980年のモスクワオリンピックで西側諸国の選手が派遣されなかったような事態にはならない。 

 

選手には罪がない。これは政治関係者の問題ですね。   

 

>「中国との関係で亀裂が深まる、アメリカ。>バイデン政権はかねてから中国の人権問題に厳しい姿勢をとっている。>そこに中国の有名テニス選手、彭帥さんが元副首相から性的関係を強要されたとSNSに投稿した後に消息不明になるニュースが世界中で報じられたことが追い打ちをかけた。>アメリカの対応で当然、同盟国の日本の対応も迫られることになる」(外務省関係者) 

 

我が国も受け身でなく指導性を発揮すべきですね。     

 

> 岸田文雄首相は127日に首相官邸で「オリンピックや我が国の外交の意義などを総合的に勘案し、国益の観点から自ら判断する。

 

我が国の国益には憲法の精神が抜け落ちているようですね。わが国には哲学がないから、憲法の文面は単なる美辞麗句になります。       

 

>それが我が国の基本的な姿勢です」と述べた。> アメリカの外交的ボイコットに足並みをそろえるのかどうかについては言及はなかった。

 

意思決定の遅れは昔からあったことのようですね。   

フランク・ギブニー (Frank Gibney)  氏の著書 <人は城、人は石垣> には、日本人の意思決定に関して次のようなことが書かれています。

 ペリー提督は、日本人はアメリカ人のように敏速に行動しないと注意された。それは、このように説明された。数人の日本人が黒船を訪れたいと思って集まったとする。一人が「いい日だな」という。これに二人目が「なんという気持ちのいい日だ」と調子を合わせる。三人目が「波も見えないぞ」という。最後に四人目が「船に行ってみようじゃないか」と提案する。  ニューヨーク・デイリー・ニューズ (1854年6月13日)  (引用終り)   

 

>「岸田首相は苦しい判断を迫られそうだ」 > 自民党幹部はこう指摘する。 > 自民党内では、アメリカなどと共同歩調を取るべきだという声が日増しに強まっているのだ。 >その急先鋒が、安倍晋三元首相、高市早苗政調会長のラインだ。 >安倍氏と高市氏が顧問を務める自民党の議員連盟「保守団結の会」の会合が8日、開催された。

>その席上で、高市氏は「アメリカなどと同じく、外交的ボイコットすべき」と声をあげたという。 >参加した自民党の国会議員はこう明かす。 >「高市氏は保守とは何かという話からはじまり、政策課題などを話す中で、中国の人権問題に懸念を表明。 >アメリカなどと共同歩調をとるべきと、訴えていた。

 

そうですね。アメリカとの共同歩調は必要ですね。この際中国にわが国に関して誤解を与えないようにしないといけない。  

 

>横で聞いていた安倍氏もうなずいていました」> そして安倍氏も9日、派閥会長を務める安倍派(清和会)の会合で「中国の人権状況に鑑みて、日本は政治的な姿勢や、メッセージを出すべきではないか、意思を示すべきではないか」と高市氏と同様に外交的ボイコットに賛同する意向を見せた。

 

日本人は意思決定にどうしても遅れますね。  

 

> また安倍氏は中国の最大懸念事項である台湾有事について度々、言及。 >126日の清和会のパーティでは、「中国は軍事力を背景に、尖閣諸島、南シナ海、台湾への圧力を強めている」などと外交的ボイコットに加えて、中国の懸案、台湾問題にも踏み込んだ。> 安倍氏の一連の厳しい発言に、中国は駐中国日本大使を呼び申し入れを行うなど、反発を強めている。  

 

中国の反発は珍しいことではありませんね。     

 

> 岸田首相と同じ派閥で側近の林芳正外相は、就任直前まで超党派の日中友好議員連盟の会長を務めた親中派だ。  

 

岸田首相は林芳正氏との距離を置くべきですね。    

 

>また、中国は東京オリンピックには閣僚級の局長を派遣している。  

 

我が国には人権問題はありませんからね。   

 

>「東京オリンピックから半年ほどで、外交的ボイコットとなれば、日本はどういうつもりだとなる。>日本はアメリカほど中国との関係が悪化しているわけではない。 

 

中国が人権問題を解決しないと日本との関係も悪くなるでしょうね。   

 

>外務省サイドからは外交的ボイコットは避けるべきとの意見が強い。>アメリカと違い日本と中国はお隣同士で、中国への依存度はアメリカとまったく違う。>だから岸田首相は日本国益が一番だと語っている。

 

我が国の国益とは損得勘定の事ですからね。政治哲学などは日本人にとって単なる美辞麗句にすぎない。それは教養の問題とも関係がありますね。   

'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。' (カレル・ヴァン・ウォルフレン)    

だから、’自明の理 (self-evident) である’ といった内容の強調の仕方はしない。  

‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’ ( グレゴリー・クラーク)

その代わり周囲の気分・雰囲気を敏感に感じ取る態度が日本人に高く評価されている。

 ‘日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存し、国からの発言を待っている。’  (ウスビ・サコ)   

日本人は思考を停止しており万事受け身で対処するが基本姿勢である。 

 

>だが、アメリカなどの主張、安倍氏や高市氏の発言力が上回り、板挟み状態になっています」(官邸関係者)

 

現実 (損得勘定) と非現実 (政治哲学) の勘案ですね。   

言語は伝達の手段であるばかりでなく、思考の重要な手段でもあります。ですから我々の考えの疎かな所は日本語のせいであることもあります。   

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実 (things as they are) の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本人も英米人も子供の時には非現実 (考え) の内容というものがない。だから ‘話を告げる’ (to tell a story) ということは、’作り話をする’ とか ‘嘘を吐く’ という風に受け取られて悪い子供とされている。この判定だけがわが国では一生涯続く。

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。これは縦並びの比較ということができる。建設的である。進歩が期待できる。希望が持てる。現実の内容だけであれば、その比較は '現実' '現実' の上下判断 (横並びの比較) になり、'どっちもどっちだ' がある。無力感に苛まれる。この種の比較は復讐に復讐を重ねる民族同士の争いの原動力にもなっていて進歩が期待できない。

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)      

 

> そこでオリンピックの金メダリスト、室伏広治スポーツ庁長官や山下泰裕日本オリンピック委員会会長を派遣する「折衷案」も検討されているという。> 20年以上、自民党政務調査会の調査役を務め、安全保障にも詳しい政治評論家の田村重信さんはこう話す。>「今はインターネットやマスコミの世論調査などでも中国や韓国、北朝鮮に厳しい意見が支持される傾向にあります。  

 

我が国の憲法前文には、われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。と書いてある。しかし、西洋人の政治哲学は我が国内では美辞麗句であると解釈されているようだ。だから、人生の道しるべにはならない。      

 

>安倍―高市連合はネット世論に受けがいいことを察知し、ひときわ大きな声で外交的ボイコットと発言している面はあると感じます。>それに党内も流されつつあるのは事実だ。 

 

政治哲学のない人は流されますね。これは毎度のことです。       

 

>岸田首相は外相、4年間の経験があり、国際情勢や駆け引き、よく理解している。 

 

彼は自己の政治哲学で譲歩して実利の方を得る駆け引きが得意ですかね。   

 

>今は安倍―高市連合に押されているようにみえるが、総裁選でも早々と二階幹事長を切るなどと打ち出し、やるときは決める人。

 

やる時は恣意決定でなく意思決定にしてもらいたいものですね。   

私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官

変わり身の早さは日本人の得意芸ですからね。目先・手先の事柄に神経を集中させていますね。現実があって非現実 (考え) の無い人間の特徴ですね。

 

>岸田首相サイドに聞くと、アメリカなどがボイコットしたから日本もという横並びは避けたいし、中国の顔も立てたいと言っていました。>最後はビシッと決断するんじゃないかな」

 

中国の本質は覇者の国です。我々が顔を立ててやったらきりがない。限りなくのさばりますね。

中国は中原 (ちゅうげん) に鹿を逐 () う伝統的な覇者の国である。だから、覇者の物語 '三国志' は、中国人の愛読書となっている。覇者は周辺諸国に覇権を打ち立てようとして傍若無人のふるまいをし、多大な迷惑をかけている。これは皇帝の時代も国家主席の時代も漢民族のメンタリティが同じであるから変わらない。漢民族は、自分たちの考えを示すために漢字を作った。しかし、彼らは外国人の考えを示すための漢字は作らなかった。だから、外国人に対して自己の内容を発信はできるが、外国人からの内容を受信することは難しい。独断専行に陥りやすい。印欧語族のインド哲学を経文 (漢文) に表すことが至難の業であることがわかる。漢文の書物をいくら読んでも外国人の考えは出てこない。だから、中華思想を堅持し自己中心的にならざるを得ない。周辺諸国を中国化することに専心してやまない。中国人が外国人の影響を受けて発想の転換 (paradigm shift) をすることは期待薄である。

 

中華 (ちゅうか)  [外国との交渉が少なかった時代に] 自国を、世界の中心にある、一番優れた国とみなしたこと。[狭義では、漢民族のそれを指し、またその呼称としても用いられる]    東夷 (とうい)  [東方の野蛮人の意] 昔、中国から見た東方諸国の称。[広義では朝鮮・沖縄を含み、狭義では日本を指した]     南蛮 (なんばん)  [南方の野蛮人の意] 昔、中国で、インドシナなど南海地方の諸民族の称。 西戎 (せいじゅう)  [西方の野蛮人の意] 昔、中国で、チベット族やトルコ族など西方の異民族の称。北てき (ほくてき)  [北方の野蛮人の意] 昔、中国で、匈奴 (きょうど)・韃靼 (だったん) などの遊牧民族の称。

 

>AERAdot.編集部 今西憲之)

 

 

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