>ニューズウィーク日本版 >慶應こそが「東大制覇」の目撃者であり、被害者だった...「私立蔑視」と「国立崇拝」の歴史と背景 尾原宏之 (甲南大学法学部教授) によるストーリー・ 1時間・
><明治維新以前から、私学・私塾の伝統がもともとあった>
>国家のエリート養成機関として設立された最高学府「東大」の一極集中に対し、反旗を翻した教育者・思想家がいた...。
>彼らが掲げた「反・東大」の論理とは何か?
> 話題書『「反・東大」の思想史』(新潮選書)の第1章「「官尊民卑」の打破――慶應義塾・福澤諭吉の戦い」より一部抜粋。
上下社会における葛藤物語ですね。
>◇ ◇ ◇
>「私学の国」の夢
>私立蔑視と官立(国立)崇拝は、明治から現在に続く根強さを持っている。
上下の比較は日本人の最大関心事ですね。太陽が上か、雲は上か、風が上か、、、、
>しかし、教育学者の天野郁夫が「もともとわが国は、明治維新の以前から私学の国であった」というように、近代以前に私塾すなわち私立学校の果たした役割は大きかった。
そうですね。我が国に近代国家としての政府が存在しない時代 (江戸時代など) でも学問がありましたね。わが国の教育界に私立と官立が共存すれば、出資の違いによる ’上と見るか・下と見るか’ の争いも激しくなりますね。学問以外の競争が起こりますね。
>中江藤樹の藤樹書院、伊藤仁斎の古義堂(堀川塾)、広瀬淡窓の咸宜園など、師弟関係を原点とする私塾は、徳川政権の昌平坂学問所や各藩の藩校と並立して学問と教育を担っていたのである(『大学の誕生』)。
>歴史家の大久保利謙も、「近世の学問発達史を見ても、真に貢献のあつたのは官立学校でなく、寧(むし)ろ之等の私塾であつた」と指摘した(『日本の大学』)。
官立学校は西洋の学問の受け売りをする為に必要だったのでしょうね。私立に任せておいたのでは能率が上がらない。
>明治になってからも、ある時期までは私塾から発展した私立学校は光を放っていた。
>1858(安政5)年に福澤諭吉が創設した蘭学塾を起源とする慶應義塾は、明治初頭に入門者が増加し、塾舎の増築や出張所・分塾の開設、移転を繰り返して発展した(『慶應義塾百年史』)。
>大ベストセラー『西洋事情』を書いた代表的洋学者の私塾は、志ある全国の若者を惹きつけた。
>ちょうど維新の混乱期で、明治新政府は学校どころではない。
>「日本国中苟(いやしく)も書を読んで居る処は唯慶應義塾ばかりという有様」で、洋学といえば慶應義塾という状態が5、6年は続いたという(『福翁自伝』)。
>開塾5年の1863(文久3)年から1871(明治4)年までの入門者数は1329人を数える(「慶應義塾紀事」)。
>『西国立志編』で知られる中村敬宇(正直)、自由民権運動を代表する思想家である中江兆民も、それぞれ同人社、仏学塾という私塾を持っていた。
>1873年創設の敬宇の同人社は、福澤の慶應義塾、近藤真琴の攻玉塾(攻玉社)とともに明治の「三大義塾」と呼ばれたという。
>1874年に開かれた中江兆民の仏学塾(はじめ仏蘭西学舎)は、名前が示すようにフランス語教育とフランス学が中心であり、モンテスキュー、ルソー、ヴォルテールなどのテクストを用いた。
>仏学塾が刊行する雑誌『政理叢談』は、ヨーロッパの思想を紹介して自由民権運動に強い影響を与えることになる。
>ルソーの『社会契約論』をもとにした兆民の『民約訳解』が掲載されたのも、この『政理叢談』である。
その頃は世を上げて翻訳文化でしたね。
>夢物語にすぎないが、もし政府が官立学校を作らずに私学を育成する方針を選んでいたとしたら、特色ある「同人社大学」「仏学塾大学」などが続々誕生し、慶應などと覇を競う別の世界が生まれたかもしれない。
翻訳文化大学の乱立が起こったでしょうね。
>少なくとも、後世の私立学校生が官学との格差に煩悶する事態にはならなかっただろう。
それはおそらく序列メンタリィティから来る悩みでしょうね。学問から来る悩み事ではないでしょうね。日本語文法の呪いですかね。
>官学が存在しなければ私学差別は発生しないからである。
出資者の違いが学問の本質に影響するとは考えられませんね。
>ところが、同人社も仏学塾も明治20年代にはその歴史を閉じ、いまや跡形もない。
‘寄らば大樹の陰’ ですかね。見栄と外聞かな。学問の本質に関係のない所に日本人の学問の問題が在るのでしょうね。
>私塾起源の私学は、近代日本の学問と研究の王座に君臨することなく、東大を頂点とする官学がその地位を占め続けた。
出資者の違いが学問の成果に影響を与えるという事ですかね。
>1871年設置の文部省よりも前に創設され、大きなプレゼンスを誇った慶應義塾は、私学の衰退、官学の隆盛を実体験しながら歴史を刻んでいくことになる。
>慶應こそ東大の覇権確立の第一目撃者であり、第一被害者でもあった。
東大と慶應は加害者と被害者の関係にあるのでしょうかね。日本人はややもすると上下の判定に熱を燃やしがちである。大学はもっと他に専念すべき使命があるのではないでしょうかね。
>尾原宏之(Hiroyuki Ohara)
>1973年、山形県生まれ。
>甲南大学法学部教授。
>早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。
>日本放送協会(NHK)勤務を経て、東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程単位取得退学。
>博士(政治学)。
>専門は日本政治思想史。
>首都大学東京都市教養学部法学系助教などを経て現職。
>著書に『大正大震災──忘却された断層』、『軍事と公論──明治元老院の政治思想』、『娯楽番組を創った男──丸山鐵雄と〈サラリーマン表現者〉の誕生』など。
日本語の文法には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。 順位の比較は没個性的でなくてはならない。だから、序列競争の励みは個性の育成にはならない。
日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。ため口を禁じられているので、相手と対等な立場でものをいう事ができない。人間が真に平等であるという実感を体験したことがない。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。
日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬と序列作法には浅薄さが付きまとう。
日本人の政治家にも、政治哲学がない人が多い。だから、我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っていて、上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在をウチソト意識として確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことに懸命になる。そして、定刻通りに帰宅しないなど義理の仕事にやりがいを感じている。無哲学と序列メンタリティの相乗作用により派閥政治は無くならない。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。だが叙勲の獲得は難しい。
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