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内野愛理氏  

2024-09-04 06:48:27 | 文化

>東スポWEB   >「カワイイ私の政見放送を見てね」の内野愛理氏が見た総裁選 小泉進次郎氏に期待するワケ   >東スポWEBの意見・   >23時間・   

>自民党総裁選(12日告示、27日投開票)に立候補者が続々と名乗りを上げ、ヒートアップしている中、決して政治に詳しくない女性の目からはどう映っているのか?    

>7月の東京都知事選に立候補した「カワイイ私の政見放送を見てね」の内野愛里氏(31)が、小泉進次郎元環境相(43)推しとなった理由や各候補者を一般目線から論評した。   

>永田町やメディアの盛り上がりをよそにタレントのトラウデン直美(25)は歴代総裁が並んだ総裁選ポスターを「おじさんの詰め合わせ。内向きなポスター」と酷評すれば、元テレビ東京でフリーアナウンサーの森香澄(29)は総裁選のPR動画の再生数が2万回と聞き、「若者とかテレビを見ない世代とかにも届いていない」とバッサリと切り捨てた。   

>都知事選で「カワイイ」を連呼し、投票率向上を呼び掛けた内野氏も「一般人がそこまで総裁選に関心を持っているかというと必ずしもそうではない」とキッパリ。   

>同世代が情報に触れるのはテレビや新聞ではなく、ほとんどがネットで、都知事選直前まで政治に強い関心はなかったという内野氏は総裁選の候補者12人で、顔や名前が一致するのは、小泉氏、石破茂元幹事長、林芳正官房長官、河野太郎デジタル相、高市早苗経済安保相の5人だけという。   

>「石破さんはアンパンマンじゃないけど、ニッコリした感じで、物腰が柔らかい印象。   

>変な意味ではないです」とかつては怖いと評された石破氏だが、そのイメージもだいぶ和らいでいるようだ。   

>意外にも林氏の名前も挙がった。   

>「今、クジラ肉にはまっていて、お店の人から林さんが捕鯨推進派だというのを聞いたんです。   

>いろんな見方があると思いますが、誰が何をしているのかって、具体的なものがあると分かりやすい」と林氏のクジラ好きは強みになるようだ。   

>河野氏とはネット世代ならではの共感があった。   

>「河野さんのXでのブロック問題が賛否になっていますけど、私も『デブ』とか『ブス』、『もっとやせてください』とか言われたら、『さようなら』って、ブロックしますので。   

>自分が傷ついて、落ち込む時間を使うくらいなら絶対ブロックしたほうがいい。   

>大臣であろうと河野さんもブロックしたほうがいい」と河野氏の毅然たる態度に賛同していた。   

>期待を寄せるのは小泉氏だ。   

>何か特別なことを言っているようで、実は何も言っていない〝進次郎構文〟がネットでは流行している。   

>「ネットでオモチャにされていますが、〝進次郎構文〟は間違っているわけでもウソをついているわけでもない。   

>失言ではない分、平和に政治を行ってくれるのではないか」と逆に安心感を生むとみる。   

>若さや経験不足から心配する声にも「どれくらい力を持っているかは分からないが、ダメダメとなった場合、周りが頑張ってくれる」と不安要素にはならないという。   

>内野氏は「本来なら国民全体が真剣に永田町の人たちと同じ温度感で、総裁選の行方を見て、考えないといけないと思うが、そうならない。   

>少しでも関心を持ってもらうために私も勉強して、各候補の人たちを調べて、ユーチューブで総裁選の予想をしていきます!」と〝カワイイ私の見る総裁選〟として、発信していくという。   

 

(たみ) (しん) () くば 立たず。(政治は民衆の信頼無くして成り立つものではない論語・顔淵    

日本人には哲学がなく、政治家には政治哲学がない。 だから、わが国では政治家は信頼を得ることができない。それで政治屋になる。    

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官)    

政治屋の個人的な努力目標点は三バンと呼ばれている。 三バンとは 地盤:選挙区と後援会・ 看板:知名度・ 鞄:資金力 である。 

政治屋の社会的な努力は派閥形成に協力することである。議員は序列社会の一員になることである。内容の無い人間には印半纏の様なものが必要になる。派閥の領袖は無哲学の議員を十把ひとからげにして選挙戦の数合わせに利用する。そして自分はキング・メーカーになる。

このようにして派閥の序列は崩れることなく、結果的に老人の世界になっている。若い人も無哲学で蚊帳の外にいるから、政界の世代交代は難しい。わが国は衰退途上国になる。             

 

子供には意思が無い。だから大人が子供の後見人になる。      

意思の無い人間には加害者意識がない。罪の意識も無い。だから子供の罪は問わない。   

罪に意識がないから過ちの対する深刻な反省に陥ることも無い。だから徹底的な原因究明にも至らない。’責任者を出してはいけない’ という。意思の無い人間に責任が有ったら大変である。そのうちに調査はうやむやになる。学習効果を残さない人間は浅はかである。       

日本語の文法には時制 (tense) というものが無く、日本人には世界観 (world view) も無い。未来時制の構文がないので、日本人には意思の表現がままならない。優柔不断・意志薄弱に見える。  

意思のある所に方法 (仕方) はある。Where there's a will, there's a way.  

求めよさらば与えられん。 (自ら積極的に求める態度が必要であるという事)  

 

マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。  

‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて )  

マ元帥の発言はどの駐日大使よりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。     

 

現在わが国は若者の投票率が低く、若者の関心は政治の外に置かれている。

政治家には時代の先取りが必要である。  

政治家は、若者を中心にして来るべき世界の内容を夢と希望を持って語るべきである。  

 

日本のインテリは現況報告の後に続く「それがどうした」「それでどうした」の問いに答えが出せない。   

日本人は自己の見解を問う教育を受けてこなかったからである。 だから、国民は軽薄である。   

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)       

 

立憲民主党代表選に出る野田佳彦、枝野幸男は、民主党潰しの戦犯である。わが国においては、深刻な反省がないから、戦犯が真の戦犯にならない。     

日本人には意思が無い。だから、加害者意識がない。罪の意識も無い。そして、失敗の後にも深刻な反省に陥る事も無い。反省も無く天真爛漫な顔をして次の過ちを繰り返す。だから日本人は軽薄である。    

<日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。

私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り

 

 

 

 

 

 

 



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