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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

進次郎内閣  

2024-09-14 17:06:56 | 文化

 

>みんかぶマガジン   >“ほぼ確”進次郎内閣「菅幹事長、高市外務大臣、茂木財務大臣」最強布陣は増税政治家の排除から…その「想定内閣」とは   >みんかぶマガジンによるストーリー・   >5時間・   

>自民党総裁選が幕をあげた。   

>過去最高の9人が推薦人20人を集め立候補したが、小泉進次郎氏の優勢報道が目立つ。   

>では実際に小泉進次郎内閣が生まれた場合、どんな布陣になるのだろうか。   

>経済誌プレジデントの元編集長で作家の小倉健一氏が分析するーー。   

>国民が政治家に求める特性に3つの重要なポイント   

>次の日本の総理大臣を選ぶ、自民党の総裁選が始まった。   

>私は政治家に対して、国民が求める特性に3つの重要なポイントがあると考えている。   

>まず1つ目は「実務能力」だ。   

>これは首相が仕事をしっかりとこなせるか、問題を解決できる力を持っているかどうかである。   

>例えば、大きな災害が起こった時に迅速に対応し、人々を安全に守るための指導力や判断力が求められる。   

>リーダーが国民の信頼を得るためには、この実務能力が欠かせない。   

2つ目は「公約の達成」だ。   

>選挙の際、リーダーは国民にさまざまな約束をする。   

>たとえば、日本維新の会は、選挙公約で<「減税」で物価高騰に対応し、景気回復を>などと主張し、増税なしで改革実現をすると言い切っているのに、国民民主が提出したガソリン減税に反対し、今度は大阪で宿泊税を増税するのだという。>こうした有権者をバカにする態度をとる政党に未来はないだろう。   

>政治家たちは、ただ口先だけでなく、実際に結果を出すことが求められている。   

>「政治家はズルをしない」この当たり前が軽視される日本   

>そして、3つ目が「ズルをしないこと」だ。   

>ズルをしないというのは、汚職をしない、嘘をつかない、国民に対して誠実であるという意味だ。   

>特に、政治家は国民の信頼を大切にし、自分の利益のために不正を行ってはいけない。   

>たとえば、裏金を受け取ったり、法律を無視したりするような行為は、政治家として絶対に避けるべきである。   

 

そうですね。    

 

>しかし、政治家が永田町という政治の中心で長く仕事をするようになると、もしくは永田町にどっぷり浸かったジャーナリストやコメンテーターは、どうしても「ズルをしないこと」が軽視させてしまう傾向がある。   

 

そうですね。英米人には意思 (will) があるが、日本人には意思が無い。だが、日本人には恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。だから、意思決定 (理性判断) の必要な時には恣意決定 (盲目の判断) をしやすい。説明責任が取れなくて問題を起こします。      

 

>政治の世界では、時に裏での取引や、不透明な方法で物事を進めることが行われることがある。   

>これに慣れてしまうと、リーダー自身がズルをしても大したことではないと感じてしまうことがある。   

 

そうですね。英米人が意思の序列を作る所で、日本人は恣意の序列を作ります。これが危険極まりないものです。      

 

>しかし、国民にとっては、この「ズルをしないこと」が非常に重要なポイントだ。   

>リーダーがどれだけ仕事ができても、嘘をついたり汚職をしたりすると、国民はそのリーダーを信頼しなくなる。   

 

そうですね。総理が闇将軍であっては困りますね。   

 

>裏金問題にめちゃくちゃ怒った日本人   

>具体的な例として、自民党の裏金問題がある。   

>この問題では、政治家たちが自分たちの利益のために裏金を受け取り、不正を行っていたことが明らかになった。   

>この不正行為に対して、国民は非常に強い怒りを感じた。   

>なぜなら、政治家たちが国民の信頼を裏切り、自分たちの利益を優先していたからだ。   

>この事件を通じて、国民がいかに「ズルをしないこと」を重視しているかがわかる。

2021年に行われたイギリスの調査(『優れた政治家と政治的信頼』Viktor Orri Valgarðssonら)によれば、リーダーに求められる3つのポイントについて、有権者、ジャーナリスト、そして国会議員がどのように重要視しているかが調べられた。   

>この3つのポイント(先の私のあげたポイントと似ている部分もあるが別のものだ)は「能力」、「誠実さ(約束を守ること)」、「信頼性(一般市民の考え方に通じていること)」である。   

>総裁選に向け意見交換か 菅前総理と茂木幹事長会食   

>この調査でわかったことは、まず1つ目に、有権者は「信頼性」、つまりリーダーが一般の人々の気持ちや考えに共感できるかどうかを重視しているということだ。   

>リーダーが国民の生活や悩みを理解し、同じ立場で考えることが求められているのだ。   

>裏金などはこの信頼性をもっとも潰してしまうだろう。   

>政治家は、多少の悪いことをしてもバレなければ問題ないと思っているふし   

2つ目に、政治家や政治エリートたちは「誠実さ」、つまり約束を守ることを重視している。   

>彼らにとって、正直であることや、言ったことを実際に行動に移すことが大切だとされている。   

3つ目に、ジャーナリストは「能力」、つまり仕事をうまくこなす力を重視している。   

>これは、リーダーが難しい問題に直面したときに、しっかりと対処できるかどうかが重要だということだ。   

>しかし、実際には、どんな人物が首相や閣僚になっても、「どうしてこの人が?」と疑問を持たれることがある。    

>それは、政治家が「能力」をあまり重視していないためだ。   

>また、国民との信頼関係も後回しにされることが多い。   

>政治家は、多少の悪いことをしてもバレなければ問題ないと思っているふしがあるし、仮にバレても大したことではないと考えていることが多いのだ。   

>例えば、総裁選で裏金問題があまり大きな議題になっていないことを見ると、政治家たちは「よし、問題にはならない」と安心しているのかもしれない。   

>裏金のような不正があっても、政治家自身はそれほど心配していないということだろう。   

>父・小泉純一郎政権時代は、飯島勲が閣僚候補者を徹底調査   

>最近では、小泉進次郎氏が次期首相になる可能性が高まっているようだ。   

>自民党の有力議員である野田聖子氏や東京都知事の小池百合子氏が進次郎氏を応援している様子を見ると、この流れは簡単には止まらないかもしれない。   

>もし進次郎氏が首相になれば、彼の内閣のメンバーがどのような顔ぶれになるのかを予測し、先ほど述べた「能力」、「誠実さ」、「信頼性」の観点から分析してみたいと思う。   

>まず、世間の注目は官房長官や幹事長といった重要な役職に向けられているが、これに加えて、政権を支えるためのしっかりとした裏方の体制も整えなければならない。   

>小泉純一郎政権の時、飯島勲氏が首席秘書官として活躍し、閣僚の候補者リストを徹底的に調べ、スキャンダルを防いだことは良い例だ。   

>こうした裏方の働きが、政権の安定にとって重要であることは言うまでもない。   

>最近では、総裁選に立候補した小林鷹之氏が、事務所費の不記載問題を報じられ、出鼻を挫かれたのが記憶に新しい。   

>このようなスキャンダルは、公認会計士などの専門家に立候補前に政治資金報告書をしっかりとチェックしてもらえば防ぐことができたはずだ。   

>進次郎氏が新たに首相になった場合、こうした問題を防ぐために、飯島氏のような信頼できる秘書官を官邸に入れることができるかどうかが問われるだろう。   

>こういった裏方の力を借りて、国民との信頼関係をしっかりと築くことが重要だ。   

>菅義偉は副総理・副総裁でいいのか   

>次に、菅義偉元首相の処遇も大きな課題である。   

>周囲からは体力的な問題を理由に、副総裁の役職が良いのではないかという意見が出ている。   

>しかし、副総裁は実際の権限がほとんどない名誉職のようなものであり、それだけでは物足りないと感じる。   

>菅氏には、もっと実務に携わってほしいと多くの人が考えている。   

>私としては、菅氏が幹事長に就任し、日本各地の問題を官邸に持ち込み、解決に向けて動いてほしいと思う。   

>特に、菅氏が官房長官時代に沖縄で進めた政策がようやく成果を見せ始め、沖縄の政治情勢にも変化が見られる。   

>原発反対の強い地盤や、他にも問題を抱える地域が日本には多く存在する。   

>これらの難しい課題に対して、菅氏のリーダーシップと手腕が必要とされている。   

>菅氏は、能力や公約の達成という観点からも、その役割を果たすことができる数少ない政治家の一人だ。   

>菅氏なしでは解決できない問題が多くあるのだから、彼には引き続き、重要な役割を担ってもらいたいものである。   

>国民負担を減らすことが経済成長に繋がる経済政策について考える。   

>日本は西側陣営に属しており、中国やロシアとの間に緊張関係があることは多くの人が理解している。   

>しかし、自民党の経済政策を見ていると、「増税して配る」「ばら撒いて増税する」という2つのやり方しかないように感じられる。   

>イギリスやアメリカでは、減税が保守的な政治家の主な政策であるが、日本ではそうなっていない。   

>例えば、アメリカではバイデン大統領や副大統領のカマラ・ハリスが進める政策が左派的だと言われているが、日本でも同様の方向に進んでいる。   

>半導体産業への多額の税金投入や異次元の少子化対策を見ると、まるで左派的政党が経済政策が進められているようだ。   

>しかし、国民負担を減らすことが経済成長に繋がるというのは、日銀の2000年の調査でも明らかになっている。   

>国民負担を軽くすることが経済に良い影響を与えるのだ。   

>この点をしっかりと打ち出しているのが、総裁選で「増税をしない」と明確に表明し、岸田政権の増税政策を否定した茂木敏充氏である。   

>茂木氏を財務大臣に据えることが、日本の経済にとって非常に重要な人事になるだろう。   

>外務大臣には安倍晋三元首相の意思を継ぐこの人   

>一方、進次郎氏の現在の陣営には、菅義偉氏の人脈と増税志向の強い若手政治家が集まっている。   

>彼らは自分たちが増税を進めようとしているとは言わないかもしれないが、例えば、前少子化担当大臣の小倉將信氏は、税金を使ってさまざまな政策を実施し、ばら撒き政策を進めてきた。   

>巨額の税金を使ってばら撒けば、当然、増税が必要になる。   

>私たちが負担する増税は、こうした無計画な政策によって生まれるのだ。   

>こうした無駄な政策を進める政治家には、閣僚ポスト、党のポストを与えるべきではない。   

>どんな役職についても、結局は税金をばら撒くことしか考えていないからだ。   

>それよりも、進次郎氏が選挙活動の中で、ちょっと応援を多めに行くなどでごまかしに走ったほうがいいだろう。   

>彼らにポストを与えないことこそが一番の人事なのである。   

>次に、外務大臣には安倍晋三元首相の意思を継ぐ高市早苗氏がふさわしいだろう。   

>高市氏は対中政策で強硬な姿勢を取ることが多いが、それが成功するかどうか不安に思う人もいるかもしれない。   

>しかし、小泉純一郎政権や第二次安倍政権でも外交は官邸主導で進められてきた。   

>高市氏ならトランプ大統領とうまくやるだろうし、もしカマラ・ハリスが大統領になったら官邸がしっかりとグリップすれば問題ないだろう。   

>デジタル庁や子ども家庭庁を解体し、それぞれ総務省と厚生労働省に戻すべき   

>彼女は強硬に見えるが、中国が日本産海産物を全面禁輸したときも、あっさりすぎるほどにさっさと矛先を納めた政治家なのである。   

>おかげで、禁輸は解除されないままだが…。   

>最後に、デジタル庁や子ども家庭庁を解体し、それぞれ総務省と厚生労働省に戻すべきだ。   

>これらの役所は、まだ人材が不足しており、無駄な混乱を続けるよりも、既存の省庁に戻したほうが効率的だろう。   

>ポストが減ることで一部の愚かな自民党政治家が反発するかもしれないが、ここは進次郎氏のリーダーシップに期待したいところだ。   

 

そうですね。   

 

 

 

 


さんきゅう倉田氏  

2024-09-14 13:35:44 | 文化

OTONA SALONE   >中学で学年トップ→日比谷高校→東大。「やっぱりみんな頭いいんだ」生粋の秀才の胸の内は   >OTONA SALONEの意見   >22時間・   

>さんきゅう倉田です。   

>日本大学の附属の高校から日本大学理工学部に進学し、建築を学んで東京国税局に入り、法人の税務調査などを少しやって退職し、芸人になりました。   

>昨年から東京大学に通い始め、現在2年生です。   

()      

>英語に強い日比谷高校   

>日比谷高校では、2年の11月に文系と理系に分かれます。   

>それまではすべての生徒が生物も物理も化学も地学も世界史も日本史も地理も勉強しているため、学び始めが遅い科目では中高一貫校に遅れをとってしまうこともあるようです。   

>しかし、英語では負けていません。   

>日比谷の英語の授業は、①教科書の読解②プレゼン③英語表現の3つに分けられ、アイデアの発表や質問、グループディスカッションなどの機会があり、英語で話す力が常に求められていて、英語力は私立の上位校に遅れを取っていません。   

>ぼくが高校の頃は授業中に他の生徒と話す機会などありませんでした。   

>クラスメイトの意見を聞くことはなかったし、知識を共有することもなかったし、授業の予習や復習をすることもなかった。   

>ましてや英語で会話をしたことなんてありません。   

>日比谷高校特有のカリキュラムが、彼らの英語力を伸ばすのかもしれません。   

>今回取材に応じてくれた東大の先輩以外にも日比谷高校出身の友人がいます。   

>彼女の作ったプレゼン資料を見たときに、ぼくは心を揺さぶられました。   

>その資料は外資系コンサルが持つような巧みさとは異なるアプローチで、具体的には20歳前後の学生の内面から滲み出た可愛さによって洗練されていて、「どうしてこんなに上手なの?高校でプレゼン資料を作った経験があるの?」と聞かずにはいられないほどでした。   

>日比谷の英語の授業が生徒の多様な能力を伸ばしていると感じる資料でした。   

>私立専願は珍しい   

>日比谷高校では、学期の始まりや終わり、模試の結果が発表された後に集会が行われます。   

>「学年集会では頻繁に東大の話をされる」   

>模試の科目ごとに先生の話を聞き、開成高校などの結果と比較されるそうです。   

>しかし、ここで西や国立など他の都立校の話が出ることはありません。   

>東大進学率の高い私立校と常に比較され、東大進学を推奨する校風に晒されることで、「東大合格」という気概が醸成され、私立専願で受験勉強をする生徒は少数派になります。   

>「私立専願と聞くとびっくりする。   

>それくらい珍しい」   

>放課後の講演会やワークショップ   

>日比谷高校では、授業以外にも学びがあります。   

>例えば、医学部専門塾の先生が出入りしていて放課後に数学の授業をしているとか、OBOGの外交官や野村総研の人が来て話をしたり、オードリー・タンがオンライン講演をしたりするそうです。   

>あのオードリー・タンが日本の一高校で講演をすることに驚きました。   

>しかし、そのような素晴らしい行事であっても学校から積極的にアナウンスがあるわけではなく、生徒が自分で掲示板を見て情報を集めます。   

>例え留学制度があっても先生は知らせてくれません。   

>そのため社会に出る前から積極的に情報を集める姿勢や情報が集まってくるネットワークが大切であると学びます。   

>各教室には前、横、後ろに3つの黒板があり、後ろの黒板はこのようなお知らせの張り紙で埋め尽くさています。   

>横の黒板では休み時間に、生徒が思いついた数学の美しい解法を書くなどの使い方をするそうです。   

>どうしてもぼくの高校の頃と比較してしまうんですが、黒板を生徒が使うことなんてなかったし、稀にぼくが黒板を使って授業の振り返りをしても関心を持つ生徒はいませんでした。   

>勉強に関心がある仲間がいる環境を羨ましく思います。   

 

神は死んだ。もはや我々は上からの指導を必要としない。我々は、自分自身の指導者でなくてはならない。各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy. 

英米流の高等教育は子供を大人にする為の教育である。思春期の到来とともに言語能力の発達する頃を待ってこの教育は行われる。英文法の中の時制 (tense) を活用して非現実の内容を文に表現する訓練である。子供には現実 (事実) ばかりがあって非現実(哲学・考え) がない。英米流の高等教育は子供から大人に変わる人間に哲学を獲得させようとする仕組みである。すると浅薄な人間が思慮深い人間に変身する。だからどこの国でも英語の高等教育に力を入れることになる。

日本語は現実の内容だけを表す言語である。哲学は非現実 (考え) の内容であるから、思考を停止している日本人には縁がない。日本式の判断だと、見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。だから現実ばかりの言葉 (日本語) を話す人が非現実の内容を語る学習をすると常に失敗する。嘘(きれいごと) ばかりを語っていては学習に力が入らない。だから思考停止になっている。それで日本人は相変わらず無哲学・能天気の民となっている。わが国の有権者はあらかた高等教育の真価を体得していない。だから高等教育の無償化は国民の総意が得られない。わが国は英米流の高等教育の導入に失敗し続けているので、何処の国も日本に我が子の高等教育の成果を期待する親はいない。  

今の地球はアングロ・サクソンの支配体制の下にある。個人の哲学が相手を引き付けて人々の尊敬を得る。アフリカ系米国人はアメリカの大統領になった。インド系英国人は英国の首相になっていた。彼等の出世は高等教育の賜物である。

当の日本人の若者はいまもなお国内の序列競争にうつつを抜かしていて、教育内容の吟味などする余地はない。これは日本語文法に階称 (hierarchy) がある為である。’上と見るか・下と見るか’ の判断に囚われざるを得ない。 難関出身者が序列社会でどれほど優位に立つているかの話ばかりで持切りである。それで入試地獄が存在する。世界に関する注意力の不足で日本人は井の中の蛙になっている。国際社会で印欧語族の知識人を相手にして苦戦を強いられることになる。  

 

グリム童話にオオカミと七ひきの子ヤギという話がある。

オオカミは大人であるが、子ヤギは子供である。

大人には現実 (事実) と非現実 (考え) の内容がある。子供には現実だけがある。日本人も現実だけがある。   

子ヤギは現実の内容を調べて、オオカミが自分達の母親であるかどうかを判断しようとしている。

オオカミは、現実の内容を誤魔化して、非現実の目的を達成しようとしている。つまり、子ヤギたちを食べることを考えている。   

オオカミは、白い手ときれいな声を出してかれらの母であると言い、ドアを開けさせる。    

ドアを開けるとオオカミが小屋に入って来て子ヤギを食べるという話である。オオカミは非現実の内容をついに実現したのである。     

賢い人は ‘純粋によく観察する’ が、そうでない人は ‘自分の期待したもの’ しか見ようとしない。子どもには非現実の推察まではできない。だから子供は現実を信じるしかない。日本人も現実しかない。   

グリム童話はドイツ人の童話である。桃太郎や金太郎の内容とは次元が違う。         

1939年823日に独ソ不可侵条約が締結され、平沼総理大臣は828日「欧洲の天地は複雑怪奇」という声明とともに総辞職した。

マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。  

‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて )  

マ元帥の発言はどの駐日大使よりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。     

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。     

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。公文書のフリガナを ‘振りローマ字’ に変えるだけでも、それ相当の進歩に成りますね。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。能率の良い言語の習得には音読が欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。         

 '為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり'  上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)         

 

日本人は思考を停止している。それで、自分自身の意見を持たない。マスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら情報を流しても、それが社会の木鐸 (世人を教え導く人) の役割を果すことはない。

‘それがどうした、それでどうした’ の問いに答えが出せない。我々日本人は自分自身の見解を述べる訓練をしてこなかった。だから日本人は個人として価値が低い。      

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)     

 

 

 

 


大越健介氏

2024-09-14 05:41:06 | 文化

>日刊スポーツ   >小泉進次郎氏、大越健介キャスター「派閥?」質問への回答が話題 都知事選の立候補者も私見   >日刊スポーツ新聞社によるストーリー・   >7時間・   

>自民党総裁選(27日投開票)に出馬した小泉進次郎元環境相(4312日放送のテレビ朝日系「報道ステーション」に生出演し、キャスターの大越健介氏から問われた“派閥の力学”に対しての受け答えがSNS上で話題となった。   

>大越氏は、無派閥で活動している進次郎氏に対して「菅(義偉元首相)さんという実力者が支援をしていると言われている。   

>菅さんを慕う人たちが、ある意味、派閥のような形になっているということはないですか」と指摘。   

 

派閥と序列メンタリティは同根ですからね。日本語を話す人間から序列メンタリティを除外することは難しい。      

 

>これに対し小泉氏は「菅さんであろうと誰であろうと、選挙になったら応援してくれたら一番ありがたいです。   

>誰でも応援してほしいです」と発言した。   

 

そうですね。派閥に拘ることなく応援が必要ですね。   

 

>大越氏は「なるほど」と一瞬、間をあけ「わかりました。   

>簡潔ですね」と笑いながら、次の話題へと移った。   

 

大越氏には彼独自の見解があるのですかね。   

 

>これに対し7月の東京都知事選で「ジョーカー議員」の通称で立候補した河合ゆうすけ氏は「小泉進次郎氏、派閥政治をつい肯定してしまう」と私見をXに投稿。   

>他にも「議論を避けた」「議論になってない」などの指摘もみられた。   

 

派閥と序列メンタリティを峻別することはできませんね。個人が印半纏を着るか着ないかの違いでしょう。      

 

>一方で、「うまく返したと思いますよ。   

 

そうですね。    

 

>『そうです』と答えらたら『派閥政治が残っている』と言われ『違う』と答えても『それを派閥と言うのでは?』と言われて、派閥政治から脱却していないようなイメージをつけられる。   

>話が止まった時点で小泉進次郎の思い通り。   

>なかなかの曲者ですな」などのコメントもあった。

 

小泉氏は愚者の愚問に答える必要はありませんね。   

日本人は思考を停止している。それで、自分自身の意見を持たない。マスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら情報を流しても、それが社会の木鐸 (世人を教え導く人) の役割を果すことはない。

‘それがどうした、それでどうした’ の問いに答えが出せない。我々日本人は自分自身の見解を述べる訓練をしてこなかった。だから日本人は個人として価値が低い。      

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)    

 

>番組には、総裁選に出馬している高市早苗経済安保相(63)、小林鷹之前経済安保相(49)、林芳正官房長官(63)、上川陽子外相(71)、加藤勝信元官房長官(68)、河野太郎デジタル相(61)、石破茂元幹事長(67)、茂木敏充幹事長(68)も出演した。

 

日本語の文法には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、(角界のように) 勝負の成績が用いられるが、近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから、わが国では難関出身者たちが社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。 序列順位の比較は没個性的でなくてはならない。だから、序列競争の励みは大切な個性の抹殺に手を貸しているのである。  

 

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら日本人は ‘序列なきところに礼儀なし’ になる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位の通用する所に限られている。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は家族制度・天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。   

 

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしていなくてはならない。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。国民は思考を停止しているからである。だから、日本人の尊敬と序列作法には浅薄さが付きまとう。   

 

政治には未来社会の先取りが必要である。しかし日本人の政治家にも、政治哲学がない人が多い。だから、我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語には存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っていて、上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在をウチソト意識として確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことに懸命になる。そして、会社では定刻通りに帰宅しないなど義理の仕事にやりがいを感じている。無哲学と序列メンタリティの相乗作用により派閥政治は無くならない。議員は十把ひとからげの扱いになっている。義理が廃ればこの世は闇だ。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。だが叙勲の機会を得ることは難しい。