>ダイヤモンド・オンライン >【今話題のwakatte.TVと徹底討論!】「今どきの大学生」は昔とどう違う? >オバタカズユキの意見・ >11時間・
>25年以上多くの読者に選ばれ続けてきた大学案内『大学図鑑!』が今年もパワーアップして発売された。
>現役生・OB・OGら5000人超のナマの声によってつくられた本書は他の大学選びのひとつの手段として選ばれている。
>本記事では最新版である『大学図鑑!2025』の出版を記念して、内容の一部を抜粋し再編集してお届けする。
>(本記事は2023年12月時点に執筆した『大学図鑑!2025』をもとにしています)
>京大が普通になろうとしてる?
>ふーみん オバタさんから見て、京大の印象ってどうですか?
>オバタ 僕の知り合いの京大卒って変わってる人ばっかりなんですよ。
>ふーみん 僕はまともな方なんです、京大では。
>オバタ 京大の知り合いは個性的すぎて何考えてんのか分からないやつばっかり。
>ふーみん いいですね。
>僕は古き良き京大が好き。
>オバタ はいはい。
>ふーみん 最近京大は普通の大学になろうとしてる気がするんです。
>オバタ なんか東大化してない?
>ふーみん そうなんですよ!
>びーやま へえ。
>ふーみん 最近の京大は、立て看板を取り締まったり、学生の自由を奪おうとしてるみたいでちょっと面白くなくなってる。
>学生も昔と比べて、普通になっちゃってて。
>オバタ それはあなたのせいじゃん。
>ふーみん ええ、なんでなんすか。
>オバタ 学歴序列ばっかり言うから。
>あなた日本の受験界で一番影響力があるんだから気をつけないと。
>ふーみん 日本一の影響力(笑)。
>オバタ 受験生に圧倒的な影響力だよ。
>ふーみん よっしゃー。
>オバタ アンチも多いけどね。
>ふーみん おい、やかましいわ。
>学生たちの変化
>オバタ 長くやってる中で、学生の変化みたいなものは感じる?
>ふーみん 最近は推薦入試がめっちゃ多い。
>個人的な感想としては、しゃべりはうまいけど、中身ないって思うことが増えたかも。
>びーやま たしかに面接はうまい。
無哲学・能天気ですね。
>オバタ 当たり障りのないやりとりは上手だけど、「ぺらいじゃん」っていう。
>ふーみん そう。ぺらい。
>びーやま びーやまやんそれ。
>ふーみん 一番ぺらいわ(笑)。
>びーやま インタビュー行くと、偏差値高い大学のほうがみんなしゃべれる。
>ふーみん 間違いない。
>びーやま 大東亜帝国クラスとかそういうとこ行くとちょっと話せないみたいな。
>オバタ 大東亜帝国はたしかに苦労するかもね。
>高偏差値な大学ほど「今風な学生」が多い?
>びーやま あと、偏差値高い大学に今どきの子がめっちゃ増えた。
>オバタ 東大は、実は昔から多かったよ。
>見えてなかっただけで。
>びーやま 早稲田と東大が今どきの子めちゃめちゃ多いですね。
>ふーみん QuizKnockと東大王(TBS系)の功績がでかいと思う。
>びーやま マスコミの力ね。
>ふーみん 勉強イコールかっこいいっていうのを、彼らがつくり出したと思うんですよ。
>オバタ それ、自己弁護じゃないの。
>ふーみん そう。
>俺かっこいいだろ、っておい誰か止めて(笑)。
>びーやま 最近こいつフラれたんです。
>ふーみん やかましいわ。
>びーやま あと早稲田はいもくさいとか慶應チャラいとか、大学ごとの特色がなくなってきてますね。
>オバタ 昔は見ただけでこの人何大学って当てられたんだけどね。
>今は無理。特に女の子は不可能。
>びーやま 学生が画一化してきてるっていうのは感じますね。
>オバタ UNIQLO流行の影響もあるよね。
>ふーみん たしかに。
神は死んだ。もはや我々は上からの指導を必要としない。我々は、自分自身の指導者でなくてはならない。各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy.
英米流の高等教育は子供を大人にする為の教育である。思春期の到来とともに言語能力の発達する頃を待ってこの教育は行われる。英文法の中の時制 (tense) を活用して非現実の内容を文に表現する訓練である。子供には現実 (事実) ばかりがあって非現実(哲学・考え) がない。英米流の高等教育は子供から大人に変わる人間に哲学を獲得させようとする仕組みである。すると浅薄な人間が思慮深い人間に変身する。だからどこの国でも英語の高等教育に力を入れることになる。
日本語は現実の内容だけを表す言語である。哲学は非現実 (考え) の内容であるから、思考を停止している日本人には縁がない。日本式の判断だと、見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。だから現実ばかりの言葉 (日本語) を話す人が非現実の内容を語る学習をすると常に失敗する。嘘(きれいごと) ばかりを語っていては学習に力が入らない。だから思考停止になっている。それで日本人は相変わらず無哲学・能天気の民となっている。わが国の有権者はあらかた高等教育の真価を体得していない。だから高等教育の無償化は国民の総意が得られない。わが国は英米流の高等教育の導入に失敗し続けているので、何処の国も日本に我が子の高等教育の成果を期待する親はいない。
今の地球はアングロ・サクソンの支配体制の下にある。個人の哲学が相手を引き付けて人々の尊敬を得る。アフリカ系米国人はアメリカの大統領になった。インド系英国人は英国の首相になっていた。彼等の出世は高等教育の賜物である。
当の日本人の若者はいまもなお国内の序列競争にうつつを抜かしていて、教育内容の吟味などする余地はない。これは日本語文法に階称 (hierarchy) がある為である。’上と見るか・下と見るか’ の判断に囚われざるを得ない。 難関出身者が序列社会でどれほど優位に立つているかの話ばかりで持切りである。それで入試地獄が存在する。世界に関する注意力の不足で日本人は井の中の蛙になっている。国際社会で印欧語族の知識人を相手にして苦戦を強いられることになる。
グリム童話に ‘オオカミと七ひきの子ヤギ’ という話がある。大人と子供の違いを説明しているので面白い。
オオカミは大人であるが、子ヤギは子供である。
大人には現実 (事実) と非現実 (考え) の内容がある。が、子供には現実だけがある。日本人にも現実だけがある。
子ヤギは現実の内容を調べて、オオカミが自分達の母親であるかどうかを判断しようとしている。
オオカミは、現実の内容を誤魔化して、非現実の目的を達成しようとしている。つまり、子ヤギたちを食べることを考えている。
オオカミは、白い手ときれいな声を出してかれらの母であると言い、ドアを開けさせる。
ドアを開けるとオオカミが小屋に入って来て子ヤギを食べるという話である。オオカミは非現実の内容をついに行動により現実に移したである。
賢い人は ‘純粋によく観察する’ が、そうでない人は ‘自分の期待したもの’ しか見ようとしない。子どもには非現実の内容の推察まではできない。だから子供は現実を信じるしかない。日本人も現実を信じるしかない。
グリム童話はドイツ人の童話である。だから、わが国にある桃太郎や金太郎の内容とは次元が違う。
1939年8月23日に独ソ不可侵条約が締結され、平沼総理大臣は8月28日「欧洲の天地は複雑怪奇」という声明とともに総辞職した。西洋人は文字通り日本人とって複雑怪奇である。
マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。
‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下)
マ元帥の発言はどの駐日大使よりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。
日本人は思考を停止している。それで、自分自身の意見を持たない。マスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら現実に関する情報を流しても、それが社会の木鐸 (世人を教え導く人) の役割を果すことはない。 ‘
‘それがどうした、それでどうした’ の問いに答えが出せない。我々日本人は自分自身の見解を述べる訓練をしてこなかった。だから日本人の発現は個人として価値が低い。
イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。
何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)