gooブログはじめました!

日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

増田賢作氏  

2024-09-07 13:35:24 | 文化

>ダイヤモンド・オンライン   >国家予算のおよそ5%を投じて撃沈した戦艦大和が生まれた「根源的な失敗理由」   >増田賢作によるストーリー・   >5時間・   

>「仕事が遅い部下がいてイライラする」「不本意な異動を命じられた」「かつての部下が上司になってしまった」――経営者、管理職、チームリーダー、アルバイトのバイトリーダーまで、組織を動かす立場の人間は、悩みが尽きない……。   

>そんなときこそ頭がいい人は、「歴史」に解決策を求める。   

>【人】【モノ】【お金】【情報】【目標】【健康】とテーマ別で、歴史上の人物の言葉をベースに、わかりやすく現代ビジネスの諸問題を解決する話題の書『リーダーは日本史に学べ』(ダイヤモンド社)は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、伊達政宗、島津斉彬など、歴史上の人物26人の「成功と失敗の本質」を説く。   

>「基本ストイックだが、酒だけはやめられなかった……」(上杉謙信)といったリアルな人間性にも迫りつつ、マネジメントに絶対活きる「歴史の教訓」を学ぶ。   

>※本稿は『リーダーは日本史に学べ』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。   

>戦争の悲劇を防ぐため 軍縮条約を結んだものの   

>山本五十六(18841943年)は明治から昭和にかけての海軍軍人。   

>生家は幕末に新政府と戦った長岡藩(新潟)の武家であり、成人した後、旧長岡藩の家老だった山本家に養子に入る。   

>アメリカに駐在武官(現在の防衛駐在官)として赴任したり、ハーバード大学に留学したりした経験から、アメリカの国力の強さを認識。   

>軍艦同士の決戦が主流だった時代から航空戦の時代を予見するなど、先見の明があった。   

>太平洋戦争前には連合艦隊司令長官に昇進。   

>日米の圧倒的な国力差からアメリカとの開戦には反対していたが、開戦が決定してからはハワイ真珠湾の奇襲作戦を立案し、真珠湾攻撃(1941年)を成功させる。   

>しかし、その翌年のミッドウェー海戦(1942年)では敗れ、航空戦に必要となる空母を数多く失った。   

>その後もアメリカとの戦いを指揮するものの、前線視察で赴いた南太平洋・パプアニューギニアのブーゲンビル島の上空で米軍の攻撃を受け、戦死する。   

>現代の企業理念にも通じる「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」という格言でも有名。   

 

そうですね。日本人には意思というものが無いですからね。   

 

2005年に公開された映画『男たちの大和/YAMATO』は、反町隆史・中村獅童といった俳優が好演するなか、戦艦大和の壮絶な撃沈シーンが印象的でした。   

>その戦艦大和は、史上最大の軍艦として、太平洋戦争開始直後の19411216日に就役しました。   

>第一次世界大戦(191418年)の後、戦争による悲劇を防ぐため、当時の5大国であった米・英・仏・伊・日の間で海軍軍縮条約(ワシントン海軍軍縮条約・1922年、ロンドン海軍軍縮条約・1930年)が結ばれました。

>なぜ日本は戦艦大和をつくったのか?   

>しかし、1929年の世界恐慌後、国際情勢が不安定となるなかで海軍軍縮条約の効力は失われました。   

>海軍軍縮条約では軍艦の製造が制限されていましたが、その効力が失われると、大国間で再び軍艦製造競争が起こることが想定されました。   

>そのため、日本でも新しい軍艦をつくることになったのです。   

>しかし、5大国のなかで国力が劣る日本は、数多くの戦艦はつくれませんでした。   

>そこで、数は少なくても高性能の大砲を備えた“超大型の軍艦”をつくることで、他国に対抗しようという発想になりました。   

>そして、「戦艦大和」が誕生したわけです。   

>変化への対応が勝者を決める   

>ところが、軍艦同士が大砲を打ち合って戦う時代は、終わりを告げることが予想されていました。   

>第一次大戦後、急速に進化した航空戦闘機により戦艦を攻めるようになれば、どんなに大きな軍艦でも劣勢に立たされることが想像できたのです。   

>このことを主張した人物こそ、海軍の幹部だった山本五十六でした。   

>アメリカに留学した経験がある山本は、航空戦闘機の進化により戦い方が大きく変わることを予想していました。   

>そのため、戦艦大和の製造にも反対したのです。   

>過去の成功体験が現状判断を狂わせる   

>しかし、日露戦争の日本海海戦(1905年)で、東郷平八郎(18471934年)が指揮する連合艦隊によってバルチック艦隊を破った成功体験がある海軍の多数派は、戦艦大和の製造に突き進んでいきます。   

>その結果、当時の国家予算のおよそ5%もの巨費を投じて、戦艦大和を完成させたのです。   

 

そうですね。成功体験は進歩の邪魔をしましたね。思考を停止している民族の悲劇でしたね。      

 

>艦内は広く快適な冷暖房完備で、エレベーター、ラムネやアイスクリームの製造機まであり、戦中とは思えない豪華な食事もあって、「大和ホテル」と揶揄されるほどでした。   

>※本稿は『リーダーは日本史に学べ』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。   

 

<日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。

私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り   

 

マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。  

‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて )  

マ元帥の発言はどの駐日大使よりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。     

 

 

 

 

 

 

 



最新の画像もっと見る

5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
マルテンサイト千年グローバル (サムライ鉄の道)
2024-09-07 14:59:00
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタイン物理学のような理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズム人間の思考を模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな科学哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。こういうのは従来の科学技術の一神教的観点でなく日本らしさとも呼べるような多神教的発想と考えられる。
返信する
グリーンスチール (軸受技術関係 )
2024-09-07 15:28:05
「材料物理数学再武装」ってプロテリアル(旧日立金属)でSLD-MAGICという高性能特殊鋼を発明され、島根大学元客員教授でもある久保田邦親博士の理論で、産業界では結構有名な方ですね。最近では、KPI競合モデルという広い意味でいうと部門や指標の相互作用を計算する話をFacebookで見かけました。ストライベック曲線(材料科学領域、潤滑機素設計、潤滑油分野)から国富論や人工知能(AI、DX)の基礎まで与える関数接合論というものがその原典のようです。詳しくはネット上で材料物理数学再武装という大学の講義資料に載っているので興味があれば検索してみてもいいかと思います。
返信する
科学と宗教の文明論的ダイナミクス (歴史国際政治学関係)
2024-09-09 21:08:58
一神教はユダヤ教をその祖とし、キリスト教、イスラム教が汎民族性によってその勢力を拡大させたが、その一神教の純粋性をもっとも保持し続けたのは後にできたイスラム教であった。今の科学技術文明の母体となったキリスト教は多神教的要素を取り入れ例えばルネサンスなどにより古代地中海世界の哲学なども触媒となり宗教から科学が独立するまでになった。一方でキリスト教圏内でも科学と宗教をむしろ融合しようとする働きにより、帝国主義がうまれた。宗教から正当化された植民地戦争は科学技術の壮大な実験場となり、この好循環により科学と宗教を融合させようというのである。その影響により非キリスト教圏で起きたのが日本の明治維新という現象である。この日本全土を均質化した市場原理社会する近代資本主義のスタートとされる明治維新は欧米などの一神教国が始めた帝国主義的な植民地拡張競争に危機感を覚えたサムライたちが自らの階級を破壊するといった、かなり独創的な革命でフランス革命、ピューリタン革命、ロシア革命、アメリカ独立戦争にはないユニークさというものが”革命”ではなく”維新”と呼んできたのは間違いない。しかしその中身は「革命」いや「大革命」とでもよべるべきものではないだろうか。
返信する
ククリット・プラモード タイ元首相談 (安来に思う)
2024-09-09 21:13:48
「日本のおかげで、アジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民が、アメリカやイギリスと対等に話ができるのは、一体だれのおかげであるのか。それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあったためである。12月8日は、われわれにこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大決意された日である。さらに8月15日は、われわれの大切なお母さんが、病の床に伏した日である。われわれはこの2つの日を忘れてはならない。」
返信する
名こそ惜しけれ  (明鏡止水)
2024-09-10 02:22:56
古事記神話になぞらえてリスペクトを示したのでしょうね。
返信する

コメントを投稿