>373716 ハーバードにペーパーテストはない 求められるのは「人とつながる力 >匿名希望 22/01/03 PM11
>リンク引用
>(中略)
>楠 教授はハーバードの入試についてどう考えますか。 >サンデル ハーバードに限らず米国の大学入試は、学力を含め様々な面から学生を包括的に評価している。 >地域的にも経済的にも人種的にも多様な学生が集うことで、教室での議論が豊かになることを目指しているんだ。
我が国も議論が豊かになると良いですね。
>君自身は日本型入試の是非をどう考えているのかな? >楠 日本は長い間、試験の成績という単純な物差しで志願者の実力を評価してきました。 >このやり方は非常に透明性が高い。 >誰もが合格を目指せるし、コネや家柄も関係ない。 >実力だけの勝負です。
日本型入試は義理と人情からの決別ですね。
>サンデル 米国の共通テストSATは元々、大学入試の機会均等を実現するために導入されたものだ。 >しかし、現実には「高収入層の出身者ほど、テストでよい成績を取る」というはっきりした傾向が現れてしまった。 >だから私は少なくとも米国では、テストの成績だけで合格者を決めるのは誤りだと考えている。
アメリカにも高収入層の出身者の塾通いがあるのですか。
>楠 日本でもやはり、同じ傾向が出ています。 >ハーバードが入試でレガシー(卒業生の子弟)の志願者を優遇していることについてはどう考えますか。
アメリカにはコネがあるのですね。入試地獄の沙汰も金次第ですか。それは、わが国では後ろめたい裏口入学になりますね。
>サンデル レガシーの優遇には二つの面がある。 >一つはそれが世代を超えた共同体意識をもたらすこと。
日本人の序列感覚のようなものですね。
>もう一つは財政だ。 >ハーバードの豊かな財政は、ハーバードの卒業生らによる多額の寄付金で支えられており、それらは経済的余裕がない学生への奨学金にも使われている。 >レガシーを優遇することは富裕層出身者に有利に働くが、それによって得られる寄付金のおかげで、ハーバードは低所得の学生も入学させることができる。
一挙両得ですね。
>楠 僕も奨学金があるからこそハーバードに通えている。 >学生の経済的な多様性を持たせることに貢献している以上、レガシー優遇は全体的に見ればメリットの方が大きいのでは? >サンデル 私の考えは「たとえ多様性を持たせるためであっても、学業について行けない学生を入学させてはならない」ということだ。
落ちこぼれ学生の長期在籍は困りますね。
>多様性の本来の目的である、教室の議論を豊かにすることに貢献できないからだ。 >ハーバードは幸運なことに、学力面では十分な実力を持った生徒が定員よりもずっと多く志願してくる。 >東大もそうだろう。 >問題は、そうした大学で志願者を選抜する時に、あくまでも学力だけで選ぶべきなのか、それともそれ以外の要素も考慮するべきなのか、ということだ。 >この問いへの答えは、「大学教育が何を目指すかによって変わる。 >大学の目的が研究者の育成だけならば、合否の基準は学力だけでいい。
我が国の選抜試験は学力試験だけであるが、それで特に良い研究者が育つという話も聞いたことも無い。大学の水準が国際的に順位を上げたということも無い。
>だが、社会のリーダー育成も含めるのならば多様性も考慮して志願者を選抜する方が、妥当だし公平だろう。
個人の多様性は必要ですね。
>大学入試の正義を考えるには、まず大学教育の目的について議論するべきだ。 >日本では、そういう場はあるのかな。
私は聞いたことがありませんね。
>楠 こういう問題は一つのシンポジウムや新聞記事だけを通じて解決できることではありません。 >多くの人々がこの問題に関心を持つことで、初めて大きな変化がもたらされるのではないでしょうか。
日本人は無哲学・能天気ですからね。政治音痴です。多くの人々の理解を期待しているということは、何もしないということでしょうね。わが国の個人は大衆の中に埋もれていますね。
‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’ ( グレゴリー・クラーク)
>サンデル その通りだね。 >どんな入試がふさわしいかは、それぞれの社会が決めることだ。
少なくとも今の日本の入試体制では、欧米型の国際人はわが国からは出て来ませんね。出てきても潰されます。
>ただ、どんな入試であろうと、中程度の収入の家庭出身者が大学教育を受ける機会を保障することは重要だ。
そうですね。中流は国の底力ですね。
>だが、米国では大学の授業料が高すぎて、労働者階級出身者の大半が大学には通えない。 >これこそ米国が直面し、まだ解決できていない問題なんだ。
その点からすると日本の教育制度と医療制度の料金はそこそこですね。
>後に続く者たち >楠は海外の大学に進学した若者たちと3年前、NPO「留学フェローシップ」を立ち上げて、海外大学を目指す「後輩」たちの指導にもあたっている。 >今年からは?島がリーダーだ。
日本にも海外の大学を目指す人が必要ですね。
>活動の中心は、エッセーの書き方を指南する4泊5日の夏合宿。 >昨年は京都で開催し、全国から45人の高校生が集まった。
‘青年よ、大志を抱け’ ですね。
>米国大学の出願の締め切りは翌年1月ごろ。 >それに向け、参加者には主に自分の経験を題材に、エッセーを書かせる。
米国の入試ではエッセーを書かせるのですかね。
>失敗をテーマにすることも多く、ネガティブな過去と正面から向き合うつらさに、泣き出したり、合宿から逃げだしそうになったりする生徒もいるという。
受験生の感情的な騒ぎは日本の入試では一般的ではないですね。
>それでも?島らが厳しく教えるのは、「海外進学が最終目的ではない。 >エッセーを通じて自己分析力と自己表現力を身につけ、人生を切り開く自発性を持つ人間になってほしい」と思うからだ。
そうですね。自発性の獲得が目的で、海外進学はその手段ですね。手段の目的化は避けなくてはなりませんね。人生の脱線につながります。
>?島は、後輩たちをこう励ます。 >「試験官の人生観を変えられるようなエッセーを書けば、絶対に合格できるよ。
それはそうでしょうね。言うは易く行うは難し。
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