いつも泣いていた。
いつも泣いていたんだ‥彼は。
7年ほど前だろうか、小学生だった彼は、いつも兄に泣かされていた。
そんな彼を、ボクは廊下に連れ出し、こう言ったことを覚えている‥
『今度、必殺技を教えてやるから‥強くなろうか?』
そうは言ったものの、次の週から豊橋支部の緊急事態に、ボクは豊橋支部での指導員として派遣されることになった。
だから、いつも彼のことは気になっていたし、アレコレあり、その2年後に再会し、また彼を指導できることを、とても嬉しく思ったものだ。
ある師範が言った‥
『井口先生、Y兄弟を黒帯に導いたら、たいしたものですよ‥』
その言葉にもあるように、正直、そこまで行けるのだろうかと自分でも思った。
あの頃‥彼の同期の子達は強くなり、たくさんの子が入賞し、黒帯を巻いて行く。
彼のお母さんが言う‥
『ウチの子は、いつ賞がとれるのだろう‥』
ボクは思った‥
それは、そんなにカンタンな問題ではないし、受賞できない子は生徒達の大半をしめる。
それでも、ボクには独自の理論や稽古法‥そして意識上げの方法論だってあるのだから、なんとかならないものだろうか‥とも。
10年間、一人の黒帯も生まれなかった浜松地区。自分が浜松を指導をするようになり、そして2年目からは、もう毎年のように黒帯を巻く子は誕生している。
いや、それどころか全日本チャンピオンまでもが何人も。
もちろん、その要因は多々あるのだろうが、少なからずボクも、彼らがソコに行きつくためのキッカケの中の、その一つにはなれたような気がする。
でもリョウガに関しては、それでもソコまでの結果を想像できずにいた。
数年間の高台道場・強化稽古では、仲間たちの躍進に対し、彼は、いつだって涙してきたのだ。
でも、それと同時に、親御さん達や仲間たちの応援もあり、頑張れたという現実もあった。
そして何より、この結果に本人を導いたのは、リョウガの【努力できる才能】があったからこそ。
この子の努力の跡は、2013年10月15日のブログを見てもらえれば。
運動能力は中の下、おそらく大半は途中下車するであろう状況にも、諦めることなく頑張ってこれたのは、この努力できる才能があったから。
その背景には、脳内へ積み重ねる情報として、たくさんの出逢いの中での関わりがあるのだろうし、イチバンの理由としては、やはり家庭での教育的なものがソコにあるからなのだろう。
思えば週4回の指導の中、この数年、誰よりも近くにいたのは彼だったのかも知れない。
その証拠に、ボクがイメ-ジし、指導してきた組手スタイルをイチバン体現できている。
全日本大会を優勝してからの計3大会を、連続して制覇もしているのだ。
〔まさか、ここまで来るとは‥〕
子供の能力とは、ここまでのものなのか‥
ここまで導きだせるものなのか‥
ならば簡単に線を引くことの愚かなことよ‥その成長に対してと‥
リョウガの頑張りからも、たくさんのことをボクは学んだ。
特別な運動能力もなく、小さな体で、それでも継続することの大切さを示し、受験生でありながらも、まだ変わらず頑張っているリョウガ。
そのスタ-トから考えてみても、この頑張りは、これからの後輩達への希望の光となる。
そして、今では兄のシュンヤも黒帯を巻き、弟のリョウガを認めている。
『強くなろうか?』
あの日、涙していた少年への約束。
この数年の中で‥強化稽古、居残り稽古、頭の勉強会、稽古前の会話など、色々と物語はあるのだけれど、少しだけ、あの日の言葉への責任を‥ボクは果たせたような気がした。
全日本大会 制覇・・
少年空手 最高位 弐段への昇段・・
これからも語り継ぐべき物語‥リョウガの物語。
思えば・・少年空手のフィールドでは、いつも二人三脚だった。
このスタイルへの拘り‥その想いが‥立ちはだかる現実を打つ。
それは不可能だと思うことを、可能に変えて行くということ。
振り返れば、涙の轍からは、いくつもの歌が聴こえる。
喜びの歌‥
哀しみの唄‥
そして今の彼の立ち位置からは、きっと‥
希望の歌が聞こえるのだろう。
言葉じゃない‥
ボクとリョウガは体感した。
それは、あくまでマワリがあってのチカラであり、本人の努力はあるのだけれど、それでも導かれたうえの結果なのだと。
ならば、すべての出逢いに感謝しよう。
武道‥
啓明‥
こぼした涙が・・
一番輝く星となる
※リョウガ、昇段おめでとう !!
いつも見守ってくれた御家族の皆様、ありがとうございます・・m(__)m