中学生になったということで、テッちゃんが空手クラブを卒業した。
小1からだろうか?長きにわたる空手修行だった。幼稚園の頃から、兄コウタツの稽古を見ていたわけで、ボクはその頃のテッセイの姿を、じつは今でも鮮明に覚えている。
空手活動の中でも、メダルを取ったり、啓明賞を受賞したり、黒帯との対戦で2-1というカタチにまで持ってゆき、互角にわたりあえたことなど、色々と物語はある。
だが、それでも空手道禅道会という組織、規定の中では、少年黒帯…初段・補にも届かないという厳しい現実があった。
でも、それでも、彼には悔いがないという。
やり切ったのだ。
少年空手という枠の中で、彼はやり切ったのだ。
そう、本当は、そんな部分にこそ一番大切なものがあるわけで、そこには人が本質に気付いてゆくための、大きな大きなキッカケがあるのだろう。
それは本人の思い込みのやり切った感ではなく、素晴らしい受賞歴や結果からも、それは証明されている。
そんな彼が長文で手紙をくれた。
いつか、ボクの持論にはなるが、感謝の意味と、人の共通した生き方について話したことが、いちばん彼の中で心に残っているという。
いつもそうだが、子供達の純真に、ボクは想いを上手に言葉に出来ないでいる。
ただ、あえて一つの言葉にするのなら、共に稽古をする中で、私こそが学ばせて頂いたと、彼に感謝をするだけだ。
西部道場所属だった。
それは、ある意味で、
ボクが父で、あゆみ先生が母なのだ。
そして僕等の子供はまた一人、新たな世界に旅立ってゆく。
いつか、いつの日か、不安な顔をしながら入門してきた少年は、
物事を最後まで『やり切る』ことでしか得られない感覚的学びを得て、最高の笑顔の中、尊き言葉を残し、
前を…前を…歩いて行った。