昨9月11日は、源氏の勉強会後、日本一長い商店街の天神橋筋商店街をぶらぶら南に下り、3丁目の天牛(てんぎゅう)書店に寄りました。
今の天牛書店は吹田市・江坂に本店と大阪・天神橋筋に支店がありますが、もともと千日前や道頓堀に店があった古本屋の老舗(なんかおかしな表現ですね(^。^))です。
ホームページによれば、織田作之助や司馬遼太郎、建築家の安藤忠雄さんなども道頓堀の店を訪れていたようで、私も貧乏学生の頃に近代経済学や心理学などの教官指定の本を角座前のお店に探しに行って、今思えば名物店主だった天牛新一郎さんにこんな本はないか?などと尋ねていました。
その天牛書店で、店前ワゴンの@50円の文庫本や新書のコーナーを見ていると、岩波新書の「津波災害」(河田恵昭著)が目にとまりました。めったに新書は見ないんですが、東北大震災から丁度6ヶ月目に当たる日にめぐり合ったのも縁・・と思って購入しました。2010年12月第1刷発行と、東北の津波の三ヶ月前に出されたものでした。
同書は、2010年2月のチリ沖地震津波の際、出された避難指示や避難勧告に応じて実際に避難した人がとても少なかったことに危機感を持って書かれたようで、何十年や100年単位で発生する大津波の経験が後世に生かされない問題意識も伝ってきます。
本の中で、大阪市の大正橋のたもとにある、1855年に建立された「大地震両川口津波記」と書かれた石碑のことが紹介されていました。
かずさんの住まいは、この大正橋から北へ数キロのところですので、どういうものだろうと思って大阪市のホームページを調べると、次のように紹介されています。
・・・・・・・・・・
安政元年(1854)11月4日・5日に発生した地震と、それに伴う津波によって犠牲となった人々の慰霊と、後世への戒めを語り継ぐことを目的として、長堀茂左衛門町の家中と石碑の建つ(浪速区)幸町の人々が協力して建てた石碑である。
碑文には、地震の後船に避難した人が津波によって大きな被害を受けたこと、148年前の宝永地震でも同じことがあり、教訓を生かすことができなかったことが書かれている。
そして、年月がたてば伝え聞く人は稀となり、忘れ去られてしまうが、今後はこのようなことがないよう、災害を後世に語り継いで欲しいと結んでいる。
記念碑保存運営委員会では、毎年地蔵盆にあわせて石碑を洗い、刻まれた文字に墨を入れるのが年中行事となっている。
・・・・・・・・・・・
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ちょっと長いですが、碑文全文の現代語訳は次のようです。
大地震両川口津波記
嘉永7年(1854年)6月14日午前零時ごろに大きな地震が発生した。大阪の町の人々は驚き、川のほとりにたたずみ、余震を恐れながら四、五日の間、不安な夜を明かした。この地震で三重や奈良では死者が数多く出た。
同年11月4日午前8時ごろ、大地震が発生した。以前から恐れていたので、空き地に小屋を建て、年寄りや子供が多く避難していた。
地震が発生しても水の上なら安心だと小舟に乗って避難している人もいたところへ、翌日の5日午後4時ごろ、再び大地震が起こり、家々は崩れ落ち、火災が発生し、その恐ろしい様子がおさまった日暮れごろ、雷のような音とともに一斉に津波が押し寄せてきた。
安治川はもちろん、木津川の河口まで山のような大波が立ち、東堀まで1.4mの深さの泥水が流れ込んだ。両川筋に停泊していた多くの大小の船の碇やとも綱は切れ、川の流れは逆流し、安治川橋、亀井橋、高橋、水分橋、黒金橋、日吉橋、汐見橋、幸橋、住吉橋、金屋橋などの橋は全て崩れて落ちてしまった。さらに、大きな道にまで溢れた水に慌てふためいて逃げ惑い、川に落ちた人もあった。
道頓堀川に架かる大黒橋では、大きな船が川の逆流により横転し川をせき止めたため、河口から押し流されてきた船を下敷きにして、その上に乗り上げてしまった。
大黒橋から西の道頓堀川、松ケ鼻までの木津川の、南北を貫く川筋は、一面あっという間に壊れた船の山ができ、川岸に作った小屋はながれてきた船によって壊され、その音や助けを求める人々の声が付近一帯に広がり、救助することもできず、多数の人々が犠牲となった。また、船場や島ノ内まで津波が押し寄せてくると心配した人々が上町方面へ慌てて避難した。
その昔、宝永4年(1707年)10月4日の大地震の時も、小舟に乗って避難したため津波で水死した人も多かったと聞いている。長い年月が過ぎ、これを伝え聞く人はほとんどいなかったため、今また同じように多くの人々が犠牲となってしまった。
今後もこのようなことが起り得るので、地震が発生したら津波が起こることを十分に心得ておき、船での避難は絶対にしてはいけない。また、建物は壊れ、火事になることもある。お金や大事な書類などは大切に保管し、なによりも「火の用心」が肝心である。川につないでいる船は、流れの穏やかなところをえらんでつなぎ替え、早めに陸の高いところに運び、津波に備えるべきである。
津波というのは沖から波が来るというだけでなく、海辺近くの海底などから吹き上がってくることもあり、海辺の田畑にも泥水が吹き上がることもある。今回の地震で大和の古市では、池の水があふれ出し、家を数多く押し流したのも、これに似た現象なので、海辺や大きな川のそばに住む人は用心が肝要である。
津波の勢いは、普通の高潮とは違うということを、今回被災した人々はよくわかっているが、十分心得ておきなさい。
犠牲になられた方々のご冥福を祈り、つたない文章であるがここに記録しておくので、心ある人は時々碑文が読みやすいよう墨を入れ、伝えていってほしい。
安政2年7月建立
:::::::::::
岩波新書の「津波災害」(河田恵昭著)では、津波のエネルギー、恐ろしさ、臨海部の津波火災、大都市の津波災害など、平易に書かれています。ちょうどよき機会ですから、手にとられることお勧めです。
今の天牛書店は吹田市・江坂に本店と大阪・天神橋筋に支店がありますが、もともと千日前や道頓堀に店があった古本屋の老舗(なんかおかしな表現ですね(^。^))です。
ホームページによれば、織田作之助や司馬遼太郎、建築家の安藤忠雄さんなども道頓堀の店を訪れていたようで、私も貧乏学生の頃に近代経済学や心理学などの教官指定の本を角座前のお店に探しに行って、今思えば名物店主だった天牛新一郎さんにこんな本はないか?などと尋ねていました。
その天牛書店で、店前ワゴンの@50円の文庫本や新書のコーナーを見ていると、岩波新書の「津波災害」(河田恵昭著)が目にとまりました。めったに新書は見ないんですが、東北大震災から丁度6ヶ月目に当たる日にめぐり合ったのも縁・・と思って購入しました。2010年12月第1刷発行と、東北の津波の三ヶ月前に出されたものでした。
同書は、2010年2月のチリ沖地震津波の際、出された避難指示や避難勧告に応じて実際に避難した人がとても少なかったことに危機感を持って書かれたようで、何十年や100年単位で発生する大津波の経験が後世に生かされない問題意識も伝ってきます。
本の中で、大阪市の大正橋のたもとにある、1855年に建立された「大地震両川口津波記」と書かれた石碑のことが紹介されていました。
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かずさんの住まいは、この大正橋から北へ数キロのところですので、どういうものだろうと思って大阪市のホームページを調べると、次のように紹介されています。
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安政元年(1854)11月4日・5日に発生した地震と、それに伴う津波によって犠牲となった人々の慰霊と、後世への戒めを語り継ぐことを目的として、長堀茂左衛門町の家中と石碑の建つ(浪速区)幸町の人々が協力して建てた石碑である。
碑文には、地震の後船に避難した人が津波によって大きな被害を受けたこと、148年前の宝永地震でも同じことがあり、教訓を生かすことができなかったことが書かれている。
そして、年月がたてば伝え聞く人は稀となり、忘れ去られてしまうが、今後はこのようなことがないよう、災害を後世に語り継いで欲しいと結んでいる。
記念碑保存運営委員会では、毎年地蔵盆にあわせて石碑を洗い、刻まれた文字に墨を入れるのが年中行事となっている。
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ちょっと長いですが、碑文全文の現代語訳は次のようです。
大地震両川口津波記
嘉永7年(1854年)6月14日午前零時ごろに大きな地震が発生した。大阪の町の人々は驚き、川のほとりにたたずみ、余震を恐れながら四、五日の間、不安な夜を明かした。この地震で三重や奈良では死者が数多く出た。
同年11月4日午前8時ごろ、大地震が発生した。以前から恐れていたので、空き地に小屋を建て、年寄りや子供が多く避難していた。
地震が発生しても水の上なら安心だと小舟に乗って避難している人もいたところへ、翌日の5日午後4時ごろ、再び大地震が起こり、家々は崩れ落ち、火災が発生し、その恐ろしい様子がおさまった日暮れごろ、雷のような音とともに一斉に津波が押し寄せてきた。
安治川はもちろん、木津川の河口まで山のような大波が立ち、東堀まで1.4mの深さの泥水が流れ込んだ。両川筋に停泊していた多くの大小の船の碇やとも綱は切れ、川の流れは逆流し、安治川橋、亀井橋、高橋、水分橋、黒金橋、日吉橋、汐見橋、幸橋、住吉橋、金屋橋などの橋は全て崩れて落ちてしまった。さらに、大きな道にまで溢れた水に慌てふためいて逃げ惑い、川に落ちた人もあった。
道頓堀川に架かる大黒橋では、大きな船が川の逆流により横転し川をせき止めたため、河口から押し流されてきた船を下敷きにして、その上に乗り上げてしまった。
大黒橋から西の道頓堀川、松ケ鼻までの木津川の、南北を貫く川筋は、一面あっという間に壊れた船の山ができ、川岸に作った小屋はながれてきた船によって壊され、その音や助けを求める人々の声が付近一帯に広がり、救助することもできず、多数の人々が犠牲となった。また、船場や島ノ内まで津波が押し寄せてくると心配した人々が上町方面へ慌てて避難した。
その昔、宝永4年(1707年)10月4日の大地震の時も、小舟に乗って避難したため津波で水死した人も多かったと聞いている。長い年月が過ぎ、これを伝え聞く人はほとんどいなかったため、今また同じように多くの人々が犠牲となってしまった。
今後もこのようなことが起り得るので、地震が発生したら津波が起こることを十分に心得ておき、船での避難は絶対にしてはいけない。また、建物は壊れ、火事になることもある。お金や大事な書類などは大切に保管し、なによりも「火の用心」が肝心である。川につないでいる船は、流れの穏やかなところをえらんでつなぎ替え、早めに陸の高いところに運び、津波に備えるべきである。
津波というのは沖から波が来るというだけでなく、海辺近くの海底などから吹き上がってくることもあり、海辺の田畑にも泥水が吹き上がることもある。今回の地震で大和の古市では、池の水があふれ出し、家を数多く押し流したのも、これに似た現象なので、海辺や大きな川のそばに住む人は用心が肝要である。
津波の勢いは、普通の高潮とは違うということを、今回被災した人々はよくわかっているが、十分心得ておきなさい。
犠牲になられた方々のご冥福を祈り、つたない文章であるがここに記録しておくので、心ある人は時々碑文が読みやすいよう墨を入れ、伝えていってほしい。
安政2年7月建立
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岩波新書の「津波災害」(河田恵昭著)では、津波のエネルギー、恐ろしさ、臨海部の津波火災、大都市の津波災害など、平易に書かれています。ちょうどよき機会ですから、手にとられることお勧めです。
初夏に紫色の小花をたくさんつけ、秋には実が紫色に熟す「むらさきしきぶ」が、自宅近くの歩道のアスファルトを押しのけています。夏の間は気がつきませんでしたが、紫の実にふと目が止まりました。
紀伊半島に大きな被害を与えた台風12号では、知人宅にも床下浸水が出たり大きな傷跡を残しました、今年の日本列島は天災への備えの大事さや、自然の猛威を感じさせることが多いようです。
今度の9月12日(月)は、中秋の名月・15夜です。今年は6年ぶりに満月にも当たるようで、古来より観月に最適な時節とされていますが、自然や季節の変わりは猛威とともに、私たちに心の豊かさも恵んでくれます
10月中旬の満月は十三夜と呼ばれるようですが、これから秋の深まりを実感できる季節ですね。
::::::::::::
今朝、でかけた帰途に、むらさきしきぶの写真を撮って帰ろうと思ったら、アスファルトの根っこから切り取られて無くなっていました。
ごめんなさい(^_^;)、代わりに最近の昼も夜も行列ができるご近所のラーメン屋さんを紹介します。写真は、今日のお昼頃のですが、とおり筋でもなく、駅からも少しありますがわざわざ食べに来てるんだろうなという人が列を作って待っています。豚骨ですがあっさり、確かにおいしいです。

:::::::::
以前のブログで紹介した、柳田邦男さんの「死の医学」への日記に続いて、新潮文庫の天童荒太さんの家族狩り全5部を読んでいて、終わりました。長い物語です。でも第1部を読み終えれば、最後まで読み進めようと思います。
::::::
明日は9・11 米国同時テロがあった日、10周年の日は無事に済んで欲しいものです。
紀伊半島に大きな被害を与えた台風12号では、知人宅にも床下浸水が出たり大きな傷跡を残しました、今年の日本列島は天災への備えの大事さや、自然の猛威を感じさせることが多いようです。
今度の9月12日(月)は、中秋の名月・15夜です。今年は6年ぶりに満月にも当たるようで、古来より観月に最適な時節とされていますが、自然や季節の変わりは猛威とともに、私たちに心の豊かさも恵んでくれます
10月中旬の満月は十三夜と呼ばれるようですが、これから秋の深まりを実感できる季節ですね。
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今朝、でかけた帰途に、むらさきしきぶの写真を撮って帰ろうと思ったら、アスファルトの根っこから切り取られて無くなっていました。
ごめんなさい(^_^;)、代わりに最近の昼も夜も行列ができるご近所のラーメン屋さんを紹介します。写真は、今日のお昼頃のですが、とおり筋でもなく、駅からも少しありますがわざわざ食べに来てるんだろうなという人が列を作って待っています。豚骨ですがあっさり、確かにおいしいです。
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以前のブログで紹介した、柳田邦男さんの「死の医学」への日記に続いて、新潮文庫の天童荒太さんの家族狩り全5部を読んでいて、終わりました。長い物語です。でも第1部を読み終えれば、最後まで読み進めようと思います。
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明日は9・11 米国同時テロがあった日、10周年の日は無事に済んで欲しいものです。
子供の頃からの電器好きで、小学2年ぐらいのときにお年玉で買ってもよいと言われ、大阪・難波にある高島屋に、ロケットの形をして突端がアンテナになるゲルマニュウム・ラジオを喜んで買いに行ったことが記憶にあります。
長じて真空管の短波受信機を自作して、アマチュア無線のやり取りを聞いたりして、家の電気製品が故障すると喜んで修理に励んで、洗濯機のモータ周りのコンデンサを交換したりしていました。
でも、トランジスタから集積回路などがいろんな機器に導入されるようになって、動かなかったり、音や絵が出なくなっても手も足も出なくなってしまい、電器好きも近頃はヨドバシカメラの売り場を巡るか、新しい機器が出るとドンナンカナー?と見に行くぐらいです。
そんな、わが家に、近々、ワンセグのお風呂テレビが配達されてくることになって、録画機能付ですから、男女のサッカー予選に間に合うかなと楽しみにしています。(写真は、注文しているものです。)

:::::::::::
昨日の会合で聞いた話では、最近の傾向として覚せい剤の航空旅客による密輸入の摘発が増えているようです。
50~70代ぐらいの日本人女性が、恋人のようになっていた若いナイジェリア人から、故国のアフリカの両親にあって欲しいからと言われて出かけ、帰りにお土産を入れて持ち帰ったスーツケースには二重底にして覚せい剤が何キロも入っているような、love connectionと呼ばれる手口が、何件も摘発されているようです。甘い話には気をつけましょう(T_T)/~~~
長じて真空管の短波受信機を自作して、アマチュア無線のやり取りを聞いたりして、家の電気製品が故障すると喜んで修理に励んで、洗濯機のモータ周りのコンデンサを交換したりしていました。
でも、トランジスタから集積回路などがいろんな機器に導入されるようになって、動かなかったり、音や絵が出なくなっても手も足も出なくなってしまい、電器好きも近頃はヨドバシカメラの売り場を巡るか、新しい機器が出るとドンナンカナー?と見に行くぐらいです。
そんな、わが家に、近々、ワンセグのお風呂テレビが配達されてくることになって、録画機能付ですから、男女のサッカー予選に間に合うかなと楽しみにしています。(写真は、注文しているものです。)
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昨日の会合で聞いた話では、最近の傾向として覚せい剤の航空旅客による密輸入の摘発が増えているようです。
50~70代ぐらいの日本人女性が、恋人のようになっていた若いナイジェリア人から、故国のアフリカの両親にあって欲しいからと言われて出かけ、帰りにお土産を入れて持ち帰ったスーツケースには二重底にして覚せい剤が何キロも入っているような、love connectionと呼ばれる手口が、何件も摘発されているようです。甘い話には気をつけましょう(T_T)/~~~
××ロジ(株)とか、(株)△△物流などとメーカの名称を付して、もっぱらそのメーカの商材・サービスなどにあわせた安定輸送確保を目指している会社のことは、直ぐにいくつも頭に浮かぶのではと思います。
このほど、船井総研ロジ(株)が、日本のメーカーなどの大企業傘下の物流機能を担っている子会社について、親会社に対して、グループにおける物流子会社の存在意義や保有の方向性について意識調査した結果が報道されていました。
意識調査の有効回答は61件で有効回答率は15%弱ですが、親会社の経営企画部門や管理戦略部門が、物流子会社についての満足度や評価についてどのような意識なのかが見えて興味深いものです。
面白いなと感じたのは、物流子会社について「重要な機能ではあるが内部に持つ必要がない」との意識が、割りとあるように見えることです。
なお、物流部分を切り出して、子会社化することは良く見られることですが、その主な動機の一つにはコスト低減があるようです。
次に意識調査結果のグラフを張っておきます。

調査の概要は次のページに出ています。
http://www.f-logi.com/research_2011.html
::::::::::
近畿、中部は今夜から明日いっぱいぐらいは、ゆっくりした台風の暴風雨の中ですね、皆さんご安全に!!
このほど、船井総研ロジ(株)が、日本のメーカーなどの大企業傘下の物流機能を担っている子会社について、親会社に対して、グループにおける物流子会社の存在意義や保有の方向性について意識調査した結果が報道されていました。
意識調査の有効回答は61件で有効回答率は15%弱ですが、親会社の経営企画部門や管理戦略部門が、物流子会社についての満足度や評価についてどのような意識なのかが見えて興味深いものです。
面白いなと感じたのは、物流子会社について「重要な機能ではあるが内部に持つ必要がない」との意識が、割りとあるように見えることです。
なお、物流部分を切り出して、子会社化することは良く見られることですが、その主な動機の一つにはコスト低減があるようです。
次に意識調査結果のグラフを張っておきます。
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調査の概要は次のページに出ています。
http://www.f-logi.com/research_2011.html
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近畿、中部は今夜から明日いっぱいぐらいは、ゆっくりした台風の暴風雨の中ですね、皆さんご安全に!!