サッカー狂映画監督 中村和彦のブログ

電動車椅子サッカーのドキュメンタリー映画「蹴る」が6年半の撮影期間を経て完成。現在、全国で公開中。

女川に行ってきた

2011年12月26日 | 日記

先日の25日、仙台まで行ったついでに女川まで行ってきた。
震災から9ヶ月以上たったが、実はまだ被災地に行ったことがなく、一度は自分の目で見ておきたいと思い、
女川に向かった。
別に何かができるわけでもない。ただ見ておこう、行くべきだと思っただけだ。

まずは仙石線で石巻を目指した。しかし高城町駅~矢本駅間は復旧しておらず、松島海岸駅で代行バスに乗り換える。
野蒜あたりにさしかかると、バスの車窓からも明らかな津波の爪痕がわかる風景が続く。
2階建ての住居の1階部分が壁だけを残して吹きさらしになっていたり、ブルーシートや板で目張りしたある家もある。
多くの住居が新しく、点在しているのは何故だろうと思ってよく見ると、家がない場所は全壊して瓦礫が撤去されたのだと気付く。まるで一面が宅地造成地のようになっているところもあった。
途中のスーパーなどにも生々しい津波の痕跡が残されている。営業しているコンビニはどこも新しく、そのことが被害の大きさを感じさせた。

再び矢本で列車に乗り換え、石巻へ。石巻からは再び代行バスで女川を目指す。
途中の線路は地盤沈下のためか海面ぎりぎりのところも多い。
女川駅の一駅手前の浦宿駅はホームの線路がのため冠水しているようだった。

バスはいったん山あいに入る。
郵便局と七十七銀行の仮庁舎を過ぎて間もなく、女川港の海が見えてくる。
と同時に、津波で破壊された光景が広がる。
言葉を失っているうちにバスは、そのなかを進んでいく。
見渡す限りの壊滅状態。
バスは高台の上で停車。そこは陸上競技場前の前のスペース。
到着したと認識できるまでにしばし時間を要した。

呆然としながら、車窓から見た坂の下へと歩を進める。 
海が見下ろせる地点まで来て、再び立ちつくす。
視界をさえぎるものがほとんどない…。
瓦礫は撤去されており、大きな建物だけが点在している。

どこからどう歩いていいのかわからないが、とにかく歩き出す。
アパートの3階には巨大な流木が突き刺さったままで、津波の高さを思い知る。
役所や生涯教育センターも凄まじい状態。

風は突き刺すように冷たい。
風をさえぎるものはない。

各家庭にも失礼ながら立ち入らせていただく。
布団や湯呑みなど、かつては生活の場であったことを思わせるものも、そこかしこに残されている。
5円玉と1円玉が散乱している。どうやら貯金箱が割れたあとのようだった。

バス停のある高台から下りてくる途中に駅まで600mという標識があったが、駅らしいものは何もない。
どこに駅があったのかさえわからない。

瓦礫の集積場に行く。
うず高く積まれた瓦礫が、破壊されたものの大きさを物語っている。

漁港には船が停泊。
仮の漁協も建てられているようだが、日曜日だということもあり、ひと気は無い。

オアシスのように、自動販売機があった。
実は風景を目の当たりにした時、食べ物はもちろん、水の一滴も立ち去るまでは飲めないと思った。
自動販売機に寄付できるようになっており、わずかばかりの金額を寄付し、暖かい飲み物を購入。体を温める。

対岸に人の気配がする建物が見え、行ってみることにする。

車の往来がかなりあり、ナンバーを見てみると宮城のみならず、新潟、秋田、千葉など。
どうやら、被災地の光景を目に焼きつけに来た人たちもかなりいるようだった。
冬休みに入ったこともあるのだろう。父と息子もいた。息子にこの現実をきちんと見せておきたかったのだろうか。

建物に近づくと、鮮魚店だった。しかも寿司も食える。
食事ができるとは思ってもみなかった。
もちろん早速入店し、寿司を堪能。
お腹を満たした後。再び歩き回る。

バス停とは違う高台に上がり、そこから見下ろす風景を目に焼き付けておこうと階段を上がっていった。
避難場所にも指定されているようであった。
上には病院があり、駐車場の脇には仮設の長屋風の建物が建てられていて、薬局などが入っている。
奥には、「おちゃっこクラブ」という喫茶店もあった。
迷わず入店すると、乳飲み子を抱いた女性が出迎えてくれた。
コーヒーを注文し陳列してあった商品を物色していると、試食品をくれた。
「サンマかりんとう」と「いわし揚げ」。早速購入。
その後、仮設住宅のことなど、いろいろと話を聞くことができた。
病院のある高台まで津波がおしよせ駐車場の車が流されたことを聞き、改めて押し寄せた津波の巨大さ、高さを思い知った。
本当に信じられないような高さだ。高台は、建物の5階くらいの高さに相当するくらいには見えた。

赤ちゃんのことを聞いてみると、5月に生まれたのだという。震災の時は妊娠7ヶ月だったそうだ。
「お名前は?」とたずねると、命名の由来とともに教えてくれた。

たとえ停電していて真っ暗闇でも、朝になれば海から太陽は昇ってくる。
名前は「朝日」。
新たな生命が育っていた。


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