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海軍陸戦隊が動いたかも

2019年08月17日 15時43分07秒 | その他
 二・二六事件のあれこれについて。

 二・二六事件とは昭和11年2月26日、陸軍の青年将校が起こした反乱で、首相や閣僚などが襲われ、首相官邸では風貌が似ていた義弟が身代わりになって首相は無事、高橋是清大蔵大臣他が殺されました。

 日付の二・二六は「にいてんにいろく」とは読まず、正しくは「にいにいろく」と読みます。

 当時の陸軍上層部は反乱将校達に同情的で鎮圧を躊躇したと言われ、大臣達が殺された事に激怒した昭和天皇が自ら近衛部隊を率いて鎮圧するとの意向を示されてようやく鎮圧に動きました。

 この間、陸軍の動きが遅いとして海軍が独自に陸戦隊を動かして鎮圧しようとする動きが有ったとの文書が見つかった旨、先日NHKの報道が有りましたが、生前父親がこの話をしていましたから、一般には知られていた事のように思います。

 陸戦隊は海軍所属の歩兵部隊の事で、軍艦に乗り組んでいる兵員で臨時に編成され、一部には常設部隊も有ったように聞きます。

 当時の陸軍と海軍は、それぞれ異なる国を参考にして成立するなど文化も違い、仲違いしていましたから、仮に海軍陸戦隊が反乱鎮圧に動けば、反乱部隊以外の陸軍との衝突による内戦状態も懸念されました。

 遠い昔の出来事のように思いますが、埼玉県知事だった畑和(はたやわら)氏が二・二六事件の際に反乱兵の一員として警視庁占拠に出向いたと聞きました。

 上官の命令に従っただけの兵隊は罪を問われなかったと言うのは建前で、実はその後、激戦地を転戦させられたと聞きます。戦死すれば話の拡散が防止できるからと言うのが理由。無事政治家になった畑和氏は幸運だったと言えます。

 身近なところで大正生まれの母親は当日、交通が遮断されたため通学できなかったと話していました。


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