リニアモーターカーの足音
昭和39年10月の新幹線は、東京大阪間を旧東海道線の特急の半分以下の時間で走った。初めて乗ったときは、東海道線に乗り慣れた僕には驚異的な速さだった。
今日は最新鋭の、のぞみに乗った。新大阪を出発すると、13分で京都につく。
大阪の地下鉄で言うならば、梅田から難波、約4キロに要する時間だ。
新大阪、東京間500kmをたった2時間半ちょっとで走る。
車窓から見える風景は、遠くを見ると、ゆっくり。近くを見ると、目まぐるしく、とてもみれたものではない。
対抗列車とすれ違うときは、おそらく500キロのスピードだ。
バンコクへ行く途中、北へ向かって飛ぶ飛行機を見た。こちらは1000キロの速さで飛んでいるから、おそらく相手の飛行機も時速1000キロで飛んでいたであろう。
小指ほどの大きさの飛行機があっという間に視界から消えた。だが、幸運にも僕はそれをビデオで撮影して今持っている。
時代は確実に進む。今僕が驚いている新幹線よりも速い、リニア新幹線の出現によって大きく、交通事情は変わるだろう。その時代はもうすぐ、そこまでやってきている。子供の時代には、リニア新幹線に乗って東京、大阪を往復する日が確実にやってくる。
滋賀県の新しい知事が誕生したのを機会に、栗東新駅の計画がとん挫している。その後の駅周辺はどのように整理されたのかを、みようと目を凝らしたが、遂に見ることはできないままに米原を通過した。
新駅周辺がどのようになってきたかは見逃したが、現状がすべての結果である。ここまで来るのにどれほど多くの人間の欲が渦巻いたことか。
笑った人、怒った人、悩んで苦しんだ人、などすべて人間の欲模様だ。目に見えるのは草原にすぎないが、そこは人間の悲喜こもごも、欲望の坩堝である。
最近、滋賀県知事は記者会見を開いて、離婚を発表した。僕はなんとなく残念な気がしたが、学者の夫は政治に手を出さないという信念があり、政治家になった妻とは、折り合いが付かなかったらしい。
公の立場の人であれば、私人でありながら、公人である。その両者を使い分けるなんて、夜寝ているときぐらいしかない。
この離婚によって知事の決意の程を、見ることができる。おそらくつらい思いをしたことだろう。
しかし考えてみれば、私人でありながら、公人と言うのは政治家ばかりではない。
いずれの道にせよ、その道を突き進む時には、公人になる覚悟が必要だ。
例えば、芸術家が芸術の追求する場合に、真、善、美を追求するところに家庭のなごみは少ない。芸術家は家庭の安寧よりは芸術の追求や、作品の制作に己を捧げるからである
あるいは事業家が事業を立ち上げて、それを軌道に乗せるまでおそらく、家庭を顧りみている暇はないだろう。
これには、よほどの夫婦の意思疎通や、共通理解や、連携が必要である。
小早川秀秋が天下分け目の関ヶ原の戦いの勝敗に大きな役割を果たした。東軍西軍どちらにも、組するようで、組しないで、様子見を決めこみ、勝ち軍を家康側つまり東軍に見て、松尾山に無傷で蓄えた兵力が、一気に山を駆け下り、伯仲していた両軍の形勢を決めたと史実は語っている。もし逆に西軍に加勢していたら、おそらく徳川の天下はあるまい。天下分け目の大決戦に大きく影響を与えた軍勢がこの山に陣取っていたなんて。この地は歴史の分水嶺だ。その布陣が線路わきの松尾山だと言うのに、時速250キロ以上のスピードは文字通り、飛ぶがごときで、あっという間に通過した。新幹線の車窓からは、歴史遺跡の取材なんてできたものではない。
今は山中 今は浜 今は鉄橋渡るぞと 思うまもなくトンネルを
変わる景色の面白さ。
こういうのんびりした旅をしようとすれば、ローカル線に乗るに限る
旧東海道線を走るとき、大阪発23時過ぎの東京品川行きに乗ると、豊橋あたりで、夜が明けて来る。普通列車だから、地元の人が方言を背負って乗ってくる。その訛りを聞いていると、このあたりを境にして、関西圈と関東圏か入れ替わる。
今思うに、懐かしい。悪名高い犯罪多発列車だったが、もう一度同じ状態の列車に乗りこみ、あの何とも言えない旅情を楽しみたいものである。しかし残念なことに、今はもう大阪発の東京行き深夜列車はない。
大阪という大都会の真ん中に住んでいながら、新幹線に乗るのに、係員に道案内を乞うブザマである。まごまごして、目当ての列車にのりおくれるということは無かったが。
ホームに着いた列車の座席に座るまで、なんとなく不安である。大阪という都会に住む、ぼくという都会人は、おのぼりさんになった。
考えてみると、ビジネスには都合がよいかもしれないが、僕のように、鉄道の旅を楽しむ人間にとっては、味気のない鉄道の旅になってしまった。旅が無機質になった。愛想がない。人はただ黙々と時速250kmのベルトコンベヤーで運ばれて行き来する。
その上リニアー新幹線の出現によって、スピードは格段にアップされ、旅情の世界は遙か彼方へ遠のいていく。
リニアモーターカーの足音
昭和39年10月の新幹線は、東京大阪間を旧東海道線の特急の半分以下の時間で走った。初めて乗ったときは、東海道線に乗り慣れた僕には驚異的な速さだった。
今日は最新鋭の、のぞみに乗った。新大阪を出発すると、13分で京都につく。
大阪の地下鉄で言うならば、梅田から難波、約4キロに要する時間だ。
新大阪、東京間500kmをたった2時間半ちょっとで走る。
車窓から見える風景は、遠くを見ると、ゆっくり。近くを見ると、目まぐるしく、とてもみれたものではない。
対抗列車とすれ違うときは、おそらく500キロのスピードだ。
バンコクへ行く途中、北へ向かって飛ぶ飛行機を見た。こちらは1000キロの速さで飛んでいるから、おそらく相手の飛行機も時速1000キロで飛んでいたであろう。
小指ほどの大きさの飛行機があっという間に視界から消えた。だが、幸運にも僕はそれをビデオで撮影して今持っている。
時代は確実に進む。今僕が驚いている新幹線よりも速い、リニア新幹線の出現によって大きく、交通事情は変わるだろう。その時代はもうすぐ、そこまでやってきている。子供の時代には、リニア新幹線に乗って東京、大阪を往復する日が確実にやってくる。
滋賀県の新しい知事が誕生したのを機会に、栗東新駅の計画がとん挫している。その後の駅周辺はどのように整理されたのかを、みようと目を凝らしたが、遂に見ることはできないままに米原を通過した。
新駅周辺がどのようになってきたかは見逃したが、現状がすべての結果である。ここまで来るのにどれほど多くの人間の欲が渦巻いたことか。
笑った人、怒った人、悩んで苦しんだ人、などすべて人間の欲模様だ。目に見えるのは草原にすぎないが、そこは人間の悲喜こもごも、欲望の坩堝である。
最近、滋賀県知事は記者会見を開いて、離婚を発表した。僕はなんとなく残念な気がしたが、学者の夫は政治に手を出さないという信念があり、政治家になった妻とは、折り合いが付かなかったらしい。
公の立場の人であれば、私人でありながら、公人である。その両者を使い分けるなんて、夜寝ているときぐらいしかない。
この離婚によって知事の決意の程を、見ることができる。おそらくつらい思いをしたことだろう。
しかし考えてみれば、私人でありながら、公人と言うのは政治家ばかりではない。
いずれの道にせよ、その道を突き進む時には、公人になる覚悟が必要だ。
例えば、芸術家が芸術の追求する場合に、真、善、美を追求するところに家庭のなごみは少ない。芸術家は家庭の安寧よりは芸術の追求や、作品の制作に己を捧げるからである
あるいは事業家が事業を立ち上げて、それを軌道に乗せるまでおそらく、家庭を顧りみている暇はないだろう。
これには、よほどの夫婦の意思疎通や、共通理解や、連携が必要である。
小早川秀秋が天下分け目の関ヶ原の戦いの勝敗に大きな役割を果たした。東軍西軍どちらにも、組するようで、組しないで、様子見を決めこみ、勝ち軍を家康側つまり東軍に見て、松尾山に無傷で蓄えた兵力が、一気に山を駆け下り、伯仲していた両軍の形勢を決めたと史実は語っている。もし逆に西軍に加勢していたら、おそらく徳川の天下はあるまい。天下分け目の大決戦に大きく影響を与えた軍勢がこの山に陣取っていたなんて。この地は歴史の分水嶺だ。その布陣が線路わきの松尾山だと言うのに、時速250キロ以上のスピードは文字通り、飛ぶがごときで、あっという間に通過した。新幹線の車窓からは、歴史遺跡の取材なんてできたものではない。
今は山中 今は浜 今は鉄橋渡るぞと 思うまもなくトンネルを
変わる景色の面白さ。
こういうのんびりした旅をしようとすれば、ローカル線に乗るに限る
旧東海道線を走るとき、大阪発23時過ぎの東京品川行きに乗ると、豊橋あたりで、夜が明けて来る。普通列車だから、地元の人が方言を背負って乗ってくる。その訛りを聞いていると、このあたりを境にして、関西圈と関東圏か入れ替わる。
今思うに、懐かしい。悪名高い犯罪多発列車だったが、もう一度同じ状態の列車に乗りこみ、あの何とも言えない旅情を楽しみたいものである。しかし残念なことに、今はもう大阪発の東京行き深夜列車はない。
大阪という大都会の真ん中に住んでいながら、新幹線に乗るのに、係員に道案内を乞うブザマである。まごまごして、目当ての列車にのりおくれるということは無かったが。
ホームに着いた列車の座席に座るまで、なんとなく不安である。大阪という都会に住む、ぼくという都会人は、おのぼりさんになった。
考えてみると、ビジネスには都合がよいかもしれないが、僕のように、鉄道の旅を楽しむ人間にとっては、味気のない鉄道の旅になってしまった。旅が無機質になった。愛想がない。人はただ黙々と時速250kmのベルトコンベヤーで運ばれて行き来する。
その上リニアー新幹線の出現によって、スピードは格段にアップされ、旅情の世界は遙か彼方へ遠のいていく。
昭和39年10月の新幹線は、東京大阪間を旧東海道線の特急の半分以下の時間で走った。初めて乗ったときは、東海道線に乗り慣れた僕には驚異的な速さだった。
今日は最新鋭の、のぞみに乗った。新大阪を出発すると、13分で京都につく。
大阪の地下鉄で言うならば、梅田から難波、約4キロに要する時間だ。
新大阪、東京間500kmをたった2時間半ちょっとで走る。
車窓から見える風景は、遠くを見ると、ゆっくり。近くを見ると、目まぐるしく、とてもみれたものではない。
対抗列車とすれ違うときは、おそらく500キロのスピードだ。
バンコクへ行く途中、北へ向かって飛ぶ飛行機を見た。こちらは1000キロの速さで飛んでいるから、おそらく相手の飛行機も時速1000キロで飛んでいたであろう。
小指ほどの大きさの飛行機があっという間に視界から消えた。だが、幸運にも僕はそれをビデオで撮影して今持っている。
時代は確実に進む。今僕が驚いている新幹線よりも速い、リニア新幹線の出現によって大きく、交通事情は変わるだろう。その時代はもうすぐ、そこまでやってきている。子供の時代には、リニア新幹線に乗って東京、大阪を往復する日が確実にやってくる。
滋賀県の新しい知事が誕生したのを機会に、栗東新駅の計画がとん挫している。その後の駅周辺はどのように整理されたのかを、みようと目を凝らしたが、遂に見ることはできないままに米原を通過した。
新駅周辺がどのようになってきたかは見逃したが、現状がすべての結果である。ここまで来るのにどれほど多くの人間の欲が渦巻いたことか。
笑った人、怒った人、悩んで苦しんだ人、などすべて人間の欲模様だ。目に見えるのは草原にすぎないが、そこは人間の悲喜こもごも、欲望の坩堝である。
最近、滋賀県知事は記者会見を開いて、離婚を発表した。僕はなんとなく残念な気がしたが、学者の夫は政治に手を出さないという信念があり、政治家になった妻とは、折り合いが付かなかったらしい。
公の立場の人であれば、私人でありながら、公人である。その両者を使い分けるなんて、夜寝ているときぐらいしかない。
この離婚によって知事の決意の程を、見ることができる。おそらくつらい思いをしたことだろう。
しかし考えてみれば、私人でありながら、公人と言うのは政治家ばかりではない。
いずれの道にせよ、その道を突き進む時には、公人になる覚悟が必要だ。
例えば、芸術家が芸術の追求する場合に、真、善、美を追求するところに家庭のなごみは少ない。芸術家は家庭の安寧よりは芸術の追求や、作品の制作に己を捧げるからである
あるいは事業家が事業を立ち上げて、それを軌道に乗せるまでおそらく、家庭を顧りみている暇はないだろう。
これには、よほどの夫婦の意思疎通や、共通理解や、連携が必要である。
小早川秀秋が天下分け目の関ヶ原の戦いの勝敗に大きな役割を果たした。東軍西軍どちらにも、組するようで、組しないで、様子見を決めこみ、勝ち軍を家康側つまり東軍に見て、松尾山に無傷で蓄えた兵力が、一気に山を駆け下り、伯仲していた両軍の形勢を決めたと史実は語っている。もし逆に西軍に加勢していたら、おそらく徳川の天下はあるまい。天下分け目の大決戦に大きく影響を与えた軍勢がこの山に陣取っていたなんて。この地は歴史の分水嶺だ。その布陣が線路わきの松尾山だと言うのに、時速250キロ以上のスピードは文字通り、飛ぶがごときで、あっという間に通過した。新幹線の車窓からは、歴史遺跡の取材なんてできたものではない。
今は山中 今は浜 今は鉄橋渡るぞと 思うまもなくトンネルを
変わる景色の面白さ。
こういうのんびりした旅をしようとすれば、ローカル線に乗るに限る
旧東海道線を走るとき、大阪発23時過ぎの東京品川行きに乗ると、豊橋あたりで、夜が明けて来る。普通列車だから、地元の人が方言を背負って乗ってくる。その訛りを聞いていると、このあたりを境にして、関西圈と関東圏か入れ替わる。
今思うに、懐かしい。悪名高い犯罪多発列車だったが、もう一度同じ状態の列車に乗りこみ、あの何とも言えない旅情を楽しみたいものである。しかし残念なことに、今はもう大阪発の東京行き深夜列車はない。
大阪という大都会の真ん中に住んでいながら、新幹線に乗るのに、係員に道案内を乞うブザマである。まごまごして、目当ての列車にのりおくれるということは無かったが。
ホームに着いた列車の座席に座るまで、なんとなく不安である。大阪という都会に住む、ぼくという都会人は、おのぼりさんになった。
考えてみると、ビジネスには都合がよいかもしれないが、僕のように、鉄道の旅を楽しむ人間にとっては、味気のない鉄道の旅になってしまった。旅が無機質になった。愛想がない。人はただ黙々と時速250kmのベルトコンベヤーで運ばれて行き来する。
その上リニアー新幹線の出現によって、スピードは格段にアップされ、旅情の世界は遙か彼方へ遠のいていく。
リニアモーターカーの足音
昭和39年10月の新幹線は、東京大阪間を旧東海道線の特急の半分以下の時間で走った。初めて乗ったときは、東海道線に乗り慣れた僕には驚異的な速さだった。
今日は最新鋭の、のぞみに乗った。新大阪を出発すると、13分で京都につく。
大阪の地下鉄で言うならば、梅田から難波、約4キロに要する時間だ。
新大阪、東京間500kmをたった2時間半ちょっとで走る。
車窓から見える風景は、遠くを見ると、ゆっくり。近くを見ると、目まぐるしく、とてもみれたものではない。
対抗列車とすれ違うときは、おそらく500キロのスピードだ。
バンコクへ行く途中、北へ向かって飛ぶ飛行機を見た。こちらは1000キロの速さで飛んでいるから、おそらく相手の飛行機も時速1000キロで飛んでいたであろう。
小指ほどの大きさの飛行機があっという間に視界から消えた。だが、幸運にも僕はそれをビデオで撮影して今持っている。
時代は確実に進む。今僕が驚いている新幹線よりも速い、リニア新幹線の出現によって大きく、交通事情は変わるだろう。その時代はもうすぐ、そこまでやってきている。子供の時代には、リニア新幹線に乗って東京、大阪を往復する日が確実にやってくる。
滋賀県の新しい知事が誕生したのを機会に、栗東新駅の計画がとん挫している。その後の駅周辺はどのように整理されたのかを、みようと目を凝らしたが、遂に見ることはできないままに米原を通過した。
新駅周辺がどのようになってきたかは見逃したが、現状がすべての結果である。ここまで来るのにどれほど多くの人間の欲が渦巻いたことか。
笑った人、怒った人、悩んで苦しんだ人、などすべて人間の欲模様だ。目に見えるのは草原にすぎないが、そこは人間の悲喜こもごも、欲望の坩堝である。
最近、滋賀県知事は記者会見を開いて、離婚を発表した。僕はなんとなく残念な気がしたが、学者の夫は政治に手を出さないという信念があり、政治家になった妻とは、折り合いが付かなかったらしい。
公の立場の人であれば、私人でありながら、公人である。その両者を使い分けるなんて、夜寝ているときぐらいしかない。
この離婚によって知事の決意の程を、見ることができる。おそらくつらい思いをしたことだろう。
しかし考えてみれば、私人でありながら、公人と言うのは政治家ばかりではない。
いずれの道にせよ、その道を突き進む時には、公人になる覚悟が必要だ。
例えば、芸術家が芸術の追求する場合に、真、善、美を追求するところに家庭のなごみは少ない。芸術家は家庭の安寧よりは芸術の追求や、作品の制作に己を捧げるからである
あるいは事業家が事業を立ち上げて、それを軌道に乗せるまでおそらく、家庭を顧りみている暇はないだろう。
これには、よほどの夫婦の意思疎通や、共通理解や、連携が必要である。
小早川秀秋が天下分け目の関ヶ原の戦いの勝敗に大きな役割を果たした。東軍西軍どちらにも、組するようで、組しないで、様子見を決めこみ、勝ち軍を家康側つまり東軍に見て、松尾山に無傷で蓄えた兵力が、一気に山を駆け下り、伯仲していた両軍の形勢を決めたと史実は語っている。もし逆に西軍に加勢していたら、おそらく徳川の天下はあるまい。天下分け目の大決戦に大きく影響を与えた軍勢がこの山に陣取っていたなんて。この地は歴史の分水嶺だ。その布陣が線路わきの松尾山だと言うのに、時速250キロ以上のスピードは文字通り、飛ぶがごときで、あっという間に通過した。新幹線の車窓からは、歴史遺跡の取材なんてできたものではない。
今は山中 今は浜 今は鉄橋渡るぞと 思うまもなくトンネルを
変わる景色の面白さ。
こういうのんびりした旅をしようとすれば、ローカル線に乗るに限る
旧東海道線を走るとき、大阪発23時過ぎの東京品川行きに乗ると、豊橋あたりで、夜が明けて来る。普通列車だから、地元の人が方言を背負って乗ってくる。その訛りを聞いていると、このあたりを境にして、関西圈と関東圏か入れ替わる。
今思うに、懐かしい。悪名高い犯罪多発列車だったが、もう一度同じ状態の列車に乗りこみ、あの何とも言えない旅情を楽しみたいものである。しかし残念なことに、今はもう大阪発の東京行き深夜列車はない。
大阪という大都会の真ん中に住んでいながら、新幹線に乗るのに、係員に道案内を乞うブザマである。まごまごして、目当ての列車にのりおくれるということは無かったが。
ホームに着いた列車の座席に座るまで、なんとなく不安である。大阪という都会に住む、ぼくという都会人は、おのぼりさんになった。
考えてみると、ビジネスには都合がよいかもしれないが、僕のように、鉄道の旅を楽しむ人間にとっては、味気のない鉄道の旅になってしまった。旅が無機質になった。愛想がない。人はただ黙々と時速250kmのベルトコンベヤーで運ばれて行き来する。
その上リニアー新幹線の出現によって、スピードは格段にアップされ、旅情の世界は遙か彼方へ遠のいていく。