日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

姥捨て

2008年06月12日 | Weblog
楢山詣り


後期医療保険制度の与党案は国民の生活実態を正確に反映した物ではない。つじつま合わせのぼろが、続出している。だから評判はすこぶる悪い。ひょっとしたら政府与党は次の選挙で大敗北を喫するかも知れない。
それはあまりにも国民をなめた諸行に、国民の怒りが爆発した結果そうなると思われる。例えば後期医療保険制度を1つ例にとってみればよく分かる。

いくら保険制度を改善して将来に備えると言っても、哲学とイメージが悪すぎる。
法の趣旨から読み取れる、哲学について考えて見ると、

これは姥捨て山法案だと言われてもしかたがない。というのは75才で線引きしたことである。線引きされなくても判っている老人の淋しい気持ちを全く無視して、差別するのがこの法案の実態だ。

改革してあるいは改組して、来るべき本格的高齢者社会に備えるというのは正しいことである。しかしながら現在の法案を見るかぎり、そこに人間として温かい血が通っていると思われるだろうか。

この法律から感じるのは、数字だけの世界で、将来を考えようとする態度がありありと見え甘い砂糖で表面をいくら糊塗しても、中味が丸見えで、従って得心はいかないのである。

現在の75才以上の人達の生き様をよく考えて見るがいい。戦争中は兵隊としてかり出され、死ぬような目に遭いながら、運良く命あって生還した男達。あるいは銃後を守る婦人だと強制され、そのように教育された女性達。75才以上という昭和1桁世代とはこういう受難の世代である。

戦後の復興時には、馬車馬のように働かされ、企業戦士と言われるほど、こき使われて、そのあげく、後期高齢者として姥捨て山に捨てられるかのような法律を強制される。

自民党よ、公明党よ。昭和1桁生まれの悲鳴や、悲哀節が聞こえないのか。特に弱者の味方を標榜し、政治に暖かい血を通わせると公言する、公明党に至っては、血も涙もない法律が判らないのか。如何に嘘つきか。

公明党は弱者と言われる人達の味方ではなかったのか。何故政府自民党を諫める勇気がないのか。暖かい血を通わせることが出来ないのか。公明党支持者の中には何故反対の声がわき起こらないのか。不思議である。

所詮は与党に同調して官職や地位を得ようとして与党のお先棒を担いでいるように見える。これは心外なことではないのか。そう言う誤解を与えることが真意だとは思えない。しかしそう見える。これは世間でよく言う「不徳の致すところ」で済ませられる問題ではない。
法律を作る場合その根底には出来る限り、多くの人達の幸福と安寧が前提とされるのが当たり前である。

現代の人口の中で国家の命令で最も苦難な道を歩かされた世代を、この法律のように冷酷に扱ってそれで、人の道に叶っているであろうか。本音の段階で、人が心の底から怒りを覚えるような法律を、その世代の人達に強制できるのか。これでは人心は離反して当然だ。僕は前期高齢者だが、後期高齢者世代の人達に同情する。

さてそれではどうすればよいのか。やはりもう一度最初からやり直し財源については矛先を徹底した無駄の除去に向け、それを行い、それでも足りないときは消費税に手をつけるべきだろう。
今の自民党のやり方は、経費節減特に官僚組織を無傷にして国民から金を巻き上げようと言うところに基本的な無理がある。現状のたらずまいを全て国民負担というのでは話にならない。自民党も官僚も何の痛みを感じることなく、と言う発想は国民の生活実感からかけ離れた、思い上がりも甚だしい。

              姥捨て(作詞)
1,
街の外れの 老人の里
里山権現  詣りたや
祭り囃子に わらべうた
じじも長生きしすぎたか
漏れるため息 また聞こえる
2,
裏山 つくづく 眺めれば
陽は はやかげって 夜半の月
古い入れ歯に   白髪染め
ばばも長生きしすぎたの
(老女)おうなの つぶやき  また聞こえる

3,
灯りを消して  外見れば
陽は はや 沈んで秋の月
チラチラするは  初雪か
二人は長生き し過ぎたの
諸行無常の 想いあり
 
諸行無常の音がする