日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

自由に生きる山頭火

2008年06月28日 | Weblog
            自由に生きる山頭火


 ゲタをはいて、着物を着た人が、大山澄太、その人だとは私は知らなかった。
 中々上品な風貌で、知性が漂っている。
とても八十歳を越えた人には見えない。
「お宅も作曲したりして、自由人ですな。」
「いやいや、これでなかなか苦しいんですよ。」
「延命十句観音経が合唱曲になるなんて、びっくりしましたよ。なかなかやるじゃないですか。」
「ありがとうございます。この娘たちは今日もコーラスで、延命十句観音経を歌いますが、いま手元にこの娘たちが吹き込んだテープがありますので、差し上げたいと思います。どうか貰っていただけませんか。」
「それはどうも、ありがとう。松山に帰ったら、
山頭火の本を送りますよ。お礼に。」
「それはそれは、ありがとうございます。
どうかよろしくお願い致します。」

 間もなく、松山の消印の押された小荷物が私の手元に届いた。
茶色の紙に、紐を掛けた包みをほどくと、本が2冊出てきた。その本のページには、便せんにひょうひょうとした文字で、本を贈る旨が書かれていた。
多少とも仏教と芸術に関心を寄せている私ではあるが、山頭火は失念していた。
 緑色の表紙には、黒い文字で山頭火と表記されている。


 山頭火。漂白の俳人。頭蛇袋を首から下げて、日本全国を放浪し、心に去来する想いを、自由律の俳句に託した徹底人。
 その生きざまは西行にも似て、一種のあこがれさへも感じさせてくれる。
自分の人生、時空を含めて、自分の欲するままに生きた人。
 生涯は貧しさと引き換えに、いつも心の自由を確保していたことだろう。
 
 山頭火の友人であった大山澄太も、彼にあこがれて著作したのだろうが、私も同じく、彼の心の自由さにあこがれている。
 生き方をよく考えて、人生をすごさくちゃ、とつくづく思った。

 山頭火は私に良い見本を、見せてくれている。
大山さんも良いことを教えてくれたものだ。
そういえば、かって、山田耕作先生は
「歌詞といえば、詩人はすぐ定型に当てはめて作ろうとするが、付曲する側、つまり作曲家は定型に縛られて、たまるものか。
 メロディの流れには、それ自体に必然性があり、定型よりは、自由律の方がよい場合だっていくらもある。」といわれたのを思い出して、
大山さんの「山頭火」を大変ありがたく思った。

横笛悲恋

2008年06月28日 | Weblog
横笛悲恋

近畿地方では、今日は夕方から雨が降ると
天気予報は言っている。
朝は快晴だったが、昼近くになるにつれて、うすい雲が出だした。 花曇である。
今年は暖冬だったせいか、桜は三月二十日過ぎごろから、という開花予想だったが、三寒四温が続き、ちょっと遅れた感じがある。
そのせいか、咲き出したらぱっと、急に満開になった。
 
そこでぼくは今日を除いては、桜を見る機会もなかろうと、京都嵐山まで出かけた。
 たぶん今夜の雨で、大部ちるだろうから、今日の桜見物は大切だ。 わざわざ京都まで、出かけなくても、花見だけだったら、近所で良いのだとも思ったが、ついでに嵯峨野の滝口寺へ行ってみたいというも思いもあった。

 向いで隣り合わせになっている祇王寺には何回か、足を運んでいるのに、滝口寺には、ついぞ足を運ばなかった。
とりわけ理由があったわけではない。なんとなく行きたくなかっただけのことである。
 今日訪問しようと思ったのは、滝口入道と、横笛の悲恋物語が伝説として伝わっているから、一度のその気分に浸ろうと思ったからだ。
 
この世は、ままならぬことの方が多い。この物語も、この世で最も叶えて欲しい願いが、叶えられないところから、生じた悲劇である。
その哀れさや、寂しさが、ぼくの心に共振し、ここにやってくることになったのだ。
 
平家全盛の時代の世相と、現代の世相とは、全く、異次元のようなものだろうが、人情は何も変わっていない。今も相思相愛を、形に仕上げて添い遂げることの出来ない、若い男女はいくらでもいる。
 
確かに、情報社会だから、たった一人の人に縛られることは、少なくなっているだろう。
 あれがダメなら、これがあるさ的に、素早く転換出来る可能性は広がっている。しかし、それは人間関係が、広く浅くという風に、なったまでのことで、浮ついた恋愛感情だろう。
 狭く深くというふうになって、ただ一途に、時には命をかけてもという気持ちになるのが、
恋の情熱というものであれば、浅く広くは現代でも、案外恋愛としては、うけいれられていないのかも知れない。
 
考えれば、この悲恋物語は、現代でも、十分起こりつつある話しである。
 人の縁、特に男女の縁というものは、難しいものだとつくづく思う。
それは、もてないない男の、もてない口実と、聞こえなくもないが、もてない男や、もてない女が大多数である現実を考えるとき、縁の難しさを痛感する。

 さてさて、話は、気持ちの赴くままに、それてしまった。
横笛悲恋の話に戻そう。
平重盛・小松殿の家来・斉藤時頼はある日、建礼門院の侍女・横笛の舞姿を見て、恋しく思うようになった。が、彼の父は
「お前は名門の出で、将来は平家一門になる身でありながら、なぜあんな、横笛如き女を思いそめるのか、」
と厳しく注意した。

時頼は、主君・重盛の信頼に背いて、恋に迷う己を責めた。そして これはきっと、仏道に入れという尊い手引であると思い、嵯峨の往生院で出家してしまう。

横笛は風の噂に、斎藤時頼が出家して、滝口入道となり、嵯峨野の往生院で、修行していることを聞いて、自分の本心を打ちあけたいと、訪ね歩く。
 ある時荒れ果てた寺で、僧侶の読経する声が聞こえたので、これは時頼に違いないと思い、彼女のまことの思いを打ち明けたいので、女子の身でありながら、ここまでやって来たことを同坊の僧に伝えた。
 
時頼すなわち今は仏門に入って、滝口入道となっている彼は、胸をどきどきさせて、ふすまの隙間からのぞいて、横笛を見ると、女のたもとは涙でぬれ、やせこけていた。
しかも以前懸想して焦がれた顔つきは、あちこち探し求めてさまようて、やつれ果てた横笛そのものであった。
彼女が横笛であることを確かめながら、滝口入道は、別の僧に、
「ここにはそのような人はおりません。」
と言わせて、横笛を追いかえした。

横笛は、どうしても彼女の誠の心を伝えたく、自分の指を切って血を出して、そばにあった石に、
「山ふかみ、おもいいれぬる柴のとの まことのみちに 我をみちびけ」
 と歌を残して、帰っていった。
滝口入道は、未練が残ったまま別れた女性に、住まいを見つけられたからには、修行の妨げになると思い、高野山を修行の場として、高野山に登った。
横笛も、そのあと、すぐ法華寺で尼になった。

その話を聞いた、滝口入道は、歌を一首、横笛に送った。
「そるまでは うらみしかども梓弓 まことのみちにはいるぞうれしき」
横笛は返歌として
「そるとても なにかうらみの梓弓 ひきとどむべきこころならねば」
と贈りそれから、横笛はまもなく法華寺で死んだ。
滝口入道はこのことを伝え聞いて、ますます仏道の修行に励み、高野山の高僧となった。
という話である。原典は平家物語にある。
 
これが、約千年間、語り継がれて続いてきているが、何とも、もの悲しい話ではないか。
 仏門に無縁のぼくなどは、ばかばかしい話にさえ思える。
 もっとドライに考えて、なんとかならなかったのか、と思うのはぼく一人だろうか。
 
男にとって、何か進むべき目標があるとき、思いを寄せる女性がいるというのは、果たして妨げになるのだろうか。相手が邪魔になると、とらえるのではなくて、目標達成のためのサポーターあるいはアシスタントとしてとらえられないものか。そのように活用すれば、むしろプラス要素として受け入られるのに。
そう思うのはぼくのセンチメンタリズムだろうか。
 
この世でもっとも美しく命の炎が輝く、相思相愛の恋愛感情が、修行とか、他にやることがあるという理由で、なおざりにされて、果たして充実した人生が送れるのか。
 首をかしげて、大いに反論したいところである。

 人生目標とラブラブの恋愛感情は両立しないものなのだろうか。
経験のないぼくには両立しそうな気もするけど。

ままならない人生において、お互いに思いをよせあう男女が、その思いを遂げることなく、別れ別れて、この世を去っていくというのは、決して平安時代や鎌倉時代だけの話ではなく、現代でも、どこの国でも、探せばいくつもあることだろう。そして、その現実は悲しい。
 
 それにしてもこの悲恋物語が、千年の時を越えて、現代に伝わり、語られているということは、いったいどういうことを意味するのだろうか。
それは明らかに、この種の問題が、時間を超越しているということを物語る。そして、横笛と滝口入道のような悲恋は、人類発生以来、無数にあったと、思われるから、人々の心の中の哀れという部分に、こういう感情が、こびりついているのであろう。
そしてそれが時々頭をもたげるだろう。だから共感を呼びやすいのだ。
つまり人類普遍の原理、原則の一つであるのだ。

「どちらからですか。ちょっと曇っているけれど、これを花見日和と言うのでしょうね。」
「そうですね。大阪からきました。大阪でも、花見はできるが、嵐山や嵯峨野の方が、なんとなく風情がありますね。一年に一回しか見ることができないので、今日は桜の花の色香を満喫して、帰ります。」
「それはぼくだって同じです。それにしても、ほとんど人のこない、滝口寺に、こられたのは、どうして?」
「詳しくは知らないが、この寺は、悲恋に終わった二人が、あの世で結ばれている。いや、結ばれてほしいと願う寺ではありませんか。
 そういう思いが今の私の心境に、ぴったりなんです。
その思いを重ねあわせると、私は得もいえない気分に包まれるのです。だから、私の今の気分を味わおうと思ったら、いつまでもここに立っていたい。佇んでいたい気持ちです。
 いくつになろうと、私は今のこの気分を、いつまでも忘れないでしょう。私の記憶の中にこの思いをきざみこんでおきたいのです。
 男と女の仲というものには、真実の恋というものがあるのでしょうが、私には、それは単なるあこがれの世界のものであるとしか思えないのです。しかし、現実には恋を求めているし、恋をするという気持ちを失いたくは無いのです。
 ひょっとすると、この気持ちが、今この寺に鎮まっている、横笛の気持ちと、二重重ねになって共鳴しているのかもしれませんね。
 人は死んでも魂は残るというじゃありませんか。たぶん強い思念というものは、残ると思います。それは、単なる私自身しか通用しないロマンかもしれないが、その何とも言いえて妙な気分が好きなんです。」

[いやいや、そういうことを考えているのは、決してあなた一人ではありますまい.。
 昔だったらとっくにこの世を去っているような年代のぼくも、今あなたが言われたのと、同じ感覚を持って、生きていますよ。だから独りで、この滝口寺を訪ねたのです。
たぶん目的が同じく、あなたのような気分をここで味わいたいということだったと思います。]

「それにしても祇王寺は、あれほど頻繁に人が、出入りするのに、すぐ隣にある滝口寺はかくも有名な横笛悲恋の伝説を持ちながら、訪れる人はほとんどありませんね。なんとも不思議な感じがします。
自分の人生が意のままならないという理由で、多くの人が出家したり、世をはかなんで、自殺したり、愛する人と別れたり、本当に人生いろいろありますね。」
 
「その通りです。自分の外側に起こることは、自分の力ではほとんど変えることができませんが、自分の内側すなわち心の持ち方によって、
少しは、事態は変わると思いますよ。
 心の持ち方です。たとえば、人そのものに強い執着心を持てば、それはそれで良い面もあるが、うまくいかなかったときに、命取りになりますよ。だから、ぼくは物事にあまりこだわらないようにしているのです。
般若心経というお経の中にも、人がこだわるものは、夢や幻のように、実体のないものであるから、こだわる必要は無いと、説かれているように思います。
 いやはや、仏教の専門家でないぼくが、説教めいたことを言って、恐縮に存じます。」

会話をしているうちに、顔に冷たい水滴が一筋触れた。たぶん雨が降ってきたのだろう。
その人は
「じゃ、お先に」という言葉を残して石段を下りていった。

 滝口寺という寺の名前は、佐佐木信綱博士の命名らしいけど、寺というには、あまりにもかけ離れたイメージで、農家の一軒家のような感じがする。
 この滝口寺は、曇り空の下では、まだ三時だと言うのに、薄暗くなり始めてた。
 
 嵐山や嵯峨野の一帯は、花見の人で、溢れている。にもかかわらず、滝口寺は、今は、ぼくひとりで約千年昔の悲恋物語に、思いをはせている。誰も来ない。風もおとなわない。
 
静かな春の一日。ぼくに与えられた時間は心の中が、横笛ロマンで埋め尽くされ、なかなかその場を離れがたかった。
生者必滅 会者定離 誰か、これを免れん。
そんな言葉が頭のなかで渦巻いている。

 辺りを薄暗くしている竹藪も、人々の喧噪も、どこかへいってしまって、少しも気にならなかった。
 
人の縁が結ばれる難しさは、いつの時代でも同じで、またいつの時代でも、恋愛感情は成就してハッピイになるのが少なくて、大方は片思いや、悲恋で終わるのが、世の常だと思いつつ、
滝口寺を後にした。