日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

流行8-13

2008年06月20日 | Weblog

          流行

最近個性の多様化とか、個性の重視とか、個性の尊重 とか、叫ばれながらもその一方で、今年のファッションには熱いまなざしがおくられる。

私は、元来ファッションに身を委ねるということは主体性の欠除ではないかと考えてきた。自己主張を重んじ、個性を重視するのなら、今年の流行が何であろうと平気でいられる筈ではないか、私はそう思う。

誰かが作り出して、はやらせたフアッションの中に身を委ねるということは没主体もいいところ、もともと主体性がなかったのではないかとさえ疑う。言葉を変えれば.主体性のない、つまり中味のない軽薄人間ということになるだろう。

 こういう私の立場からすれば、ファツションも無批判に受け入れて、ファツションという川の中に飛び込むのではなくて主体性をきっちり持ってフアッションとかかわりあいを持ったらいいのではないかということになる。

こういう考えのもとに 、私は万年ジーパンをはいては娘たちのひんしゅくをかっている。がんこ一徹も困りものだがさればとて、何でもファッション・ファシションと騒ぐ娘達の生きざまも困ったもんだ。私はこと服装に関してはファッションのラチ外にいて孤高を保つつもりでいる変人である。
92・12・13

公園風景

2008年06月20日 | Weblog
公園風景

噴水の周りでその親子は遊んでいた。五時間ほどたつて私はまたそこを通った。
今朝がた見かけたあの親子はまだ同にところに居た。父親はべンチに腰かけ女の子は、父親にしがみついていた。何かにおびえているように見えたし、母を求めて泣いているようにも見えた。膝の上に女の子をのせて胸で抱いているその姿からするとクレーマー、クレーマに見えた。女の子は三つぐらい、男の子はよちよち歩きで無心に砂遊びをしている。奥さんはどうしたのだろう。病気なんだろうか、買物にでも出かけたのだろうか、いやひょっとしたら離婚して家を出て行ったのかもしれない。いやいや最悪亡くなったのかもしれない。私の思いは悪い方へ悪い方へと発展しそうな気配だったので、それをふりきろうと私は空を見上げた。
煤煙が漂う都会の冬空を茜色に染めて、太陽は西の空へ落ちていく。青黒い影に転じた
生駒の山にはもう夕月がかかっている。私はコートの襟を立てゝ足早に立ち去った。