流行
最近個性の多様化とか、個性の重視とか、個性の尊重 とか、叫ばれながらもその一方で、今年のファッションには熱いまなざしがおくられる。
私は、元来ファッションに身を委ねるということは主体性の欠除ではないかと考えてきた。自己主張を重んじ、個性を重視するのなら、今年の流行が何であろうと平気でいられる筈ではないか、私はそう思う。
誰かが作り出して、はやらせたフアッションの中に身を委ねるということは没主体もいいところ、もともと主体性がなかったのではないかとさえ疑う。言葉を変えれば.主体性のない、つまり中味のない軽薄人間ということになるだろう。
こういう私の立場からすれば、ファツションも無批判に受け入れて、ファツションという川の中に飛び込むのではなくて主体性をきっちり持ってフアッションとかかわりあいを持ったらいいのではないかということになる。
こういう考えのもとに 、私は万年ジーパンをはいては娘たちのひんしゅくをかっている。がんこ一徹も困りものだがさればとて、何でもファッション・ファシションと騒ぐ娘達の生きざまも困ったもんだ。私はこと服装に関してはファッションのラチ外にいて孤高を保つつもりでいる変人である。
92・12・13