大理レポ
大理は昆明から約400キロほど西にある。大型観光バスで約12時間掛かった。途中で昼飯、トイレ休憩が30分ほどあって、それ以外は走りづめ。礎雄迄60キロは高速道路、それから先は地道、舗装があったりなかったり、腸捻転をおこしかねない悪路を走る。道は山越えで上ったかおもへば下る。野を越え山越えてひたすら走る。10時間も乗ったら大概嫌になる。大理についたのは日もとっぷり暮れた9時近くだった。街の南の端にシェグアン(下関)があるが、ここはにぎやかであった。近代的なビルが立ち並び通過したどの街よりも立派だった。
大理は宋時代には大理王国として栄えた。今の雲南省(ほぼ日本ぐらいの広さ)は大理国のなかに含まれる。古い街だけに四方に城門があり特に南の城門から北の城門へは歩いて20分も掛からないで通り抜けられる。
その通りが一番にぎやかで、人通りの多い復興路である。
街の北のはずれに三塔がある。一番高い塔は70メーターの高さがあるが、これが作られたのは今から約1000年ほど前らしい。
ご苦労さん。千年間お前たちのお陰でどれほど多くの人間がが慰められてきたか。僕は三塔にお礼をいった。大理の観光シンボルとして、これからますます輝きをまして名物になるだろう。
湖の西にある山脈をツアンシャン(蒼山)という。19の山々でなっており高いところでは4000メーターある。3000から4000メーターの山々の頂には雪が積もって白く輝いているが、街を行く人は半袖を着ている。僕はこの峰峰のうちで中和山と呼ばれる山の中腹までリフトで上った。
そこから見る市街の景色は、山と湖と点在する村々と、ほぼ正方形に見える古城都市の家並みなどでのすばらしさは何と表現したら良いのか。古ぼけてはいるが美しい。
これはこれは。僕は思わす歓声をあげた。勿論眼下に三塔が見える。心なしか傾いているようだが、これは建てられて相当の年月が経っている年代物だ。建造年月日は判らないが、南紹の末期つまり大理になる前らしい。それ以後何回か修理はされてはいる。
蒼山、湖、三塔、城門のある街、それだけで絵になる。鉄道はまだ敷かれてないがいづれシャグアン迄は来るのだからこれからは観光化が始まり俗化が加速する。
中国仏教協会会長の趙撲初先生の額がかかっていた。もう故人になったけど、僕は先生に、法隆寺でお目にかかったことがある。鄧小平氏のように、どちらかと言えば小柄な方だった。鑑真和上の里帰りの時だったと思うが、日本に来られて高野山、や法隆寺や東大寺を訪問されたときのことである。先生に関係ある詩に作曲して差し上げたら謝謝となんどもお礼を言われたのと未だに覚えている。先生は高野山金剛峯寺の大師教会の横にある「生かせいのち」の碑文に墨跡を残しておられる。宗教はアヘンだと言って行われた共産主義革命の中にあって、よくぞ仏教を守られたことだとつくづく先生の偉大さに感銘を受けた。
その先生の額をこの大理で見つけたのである。とてもなつかしい気がした。
昆明に着いたときに、華亭寺の羅漢さんを見て、中国に仏教が存在することを嬉しく思った