日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

占い師と霊感者

2008年12月22日 | Weblog
占い師と違った予言者は、いつの時代、どこの国でも多く、下の方はいかがわしいインチキから、上は聖書。その他の経典に、名をとどめるものまである。

占い師、霊能者、予言者 と言葉の中身をどこまで正確に理解しているだろうか

占いというのはある種の統計を根拠に、過去現在未来のことについて語るが
霊感師霊能者はある種の強烈な勘、あるいは未だ科学が全く手をつけていない宇宙の霊的交信などによる判断が中心になるので単なる占い師とは質的に違う。

四柱推命などの占いは中国4000年のの歴史を持つと聞かされる。四千年間に沢山の人々におきたきわめて多数の事象 現象の中に一定の法則性が有ることを突き止めてそれを体系化して物事の判断をつけるのだろう。

一方霊感師はこれとは全く違う。神や仏と霊でもって交信しその結果を霊感師の口から言葉として語られる

すなわち霊感師の背後には常に神仏がついている。そして神仏がついているか、それらと霊的な交信が出来るのか、それは本人以外には一切わからない。

そもそも神仏と交信できるというのが、普通の常識では考えられない事で、霊能者の判断も信じるか信じないかという決断を迫られることになる。
僕の経験で言えば出会った霊能者はパーフエクトな霊能者であった。その背後にいる神は歴史上ポピュラーな名前をもつ神である。

殺伐とした暗い時代だからこそ

2008年12月22日 | Weblog
殺伐とした暗い時代だからこそ、心静かに、自分と対話する時間が欲しくなる。その1つの方法として神仏に手を合わせ心を向ける事がある。と言うことは考えられるが そうかといって、繁盛している寺の話など聞いたことがない。近頃は人心は宗教から離れている。宗教離れ、寺離れは急速に進んでいる。寺や神社に行って静かに手を合わせ神仏と真剣な会話を交わしているようでもない。しかしながらそういう働きかけが無くても、神社仏閣のもつあの雰囲気はそこに浸るだけでも心安らかに成る思いがする。
人間は存在自体が神仏の世界に内包されて、いるのだろうか。もしそうなら、人は神仏を含めた世界観を持つ必要がある。今我々は神仏を含めた世界観や価値観の中に生きていると言う自覚があるだろうか。そういうことは無自覚の自覚の範疇にあるのかも知れないが、現実に神社仏閣の前にたたずむと厳粛な気持ちに成るというのは、心の底では無意識的に神仏への畏敬の念を持っていると言うことなのだろうか。