日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

外出

2008年12月19日 | Weblog
外出 081219

寒いから、外出が、おっくうになり、引きこもり、の毎日を抜け出て、今日は、非日常性の旅をした。

大阪を午前6時に出発したバスは、午後2時過ぎには、東京につく。

大阪を出発した時は、日の出はなく、あたりは、夜の闇一色だったが、30分ほど経つと、西の方が,もうあっと明るくなって、しばらくすると、太陽が顔を出した。
朝が早かったので、日の出をゆっくり眺めることもなく、うつらうつらして2、3時間を過ごした。

どこをどう通ったのか知らないが、気がつくと、名古屋港に、大きな橋が架かっていて、その上を走っている。これは生まれてはじめての経験で、東名高速というかってのイメージは大きく変わった。

バスはJRが運行していて、2階建てデラックスバスである。1番前の席は大パノラマで、景観を楽しむにはもってこいである。東名高速で、景観を楽しめるところは、清水ィンターを過ぎて、由比、蒲原の海岸線を走るときと、
富士山を真正面に見るときである。

今日は残念ながら、富士山のみが、雲で覆われて、すそ野の広がりしか見えない。非常に残念だった。
しかし、バスから眺める自然の景色や、人工の街は、僕の脳を活性化し、普段思ッテも見ないアイデアが、次々と浮かんだ。

遠くでは、雷がなっているらしく、音はしないが光だけが、届く。そこで考えた。
雷は、どうして光と音を出すだろう。その原理原則は全然分からない。が、光と音という結果は、ちゃんとわかる。

なぜ、光と音が出るのか、ということはもちろん科学的に説明のつく話ではあるが、もともとそういう原理原則については関心がないから、どうでもいいことになる。

他にも、見るもの聞くもの。それがどうして発生するのか、と、疑問に思いそのメカニズムをたずねることもなく、身の回りの事を何の疑いもなく、受け入れてしまっている自分を発見した。

繰り返しになるが、発生メカニズムは、完全に僕の領域ではなく、科学者の領域で、僕は単純に素直にそれを受け入れるだけでよいのだ。ということが、わかった。

東名高速を大阪から東京まで走って、気がついたことは、こんなことだった。































警察のやり方は生ぬるい

2008年12月19日 | Weblog
警察のやり方は生ぬるい081219

僕は捕り物が大好きである。テレビでよく放映される警察もの
例えば、暴走族取り締まりや、麻薬や犯罪の取り締まりなどを映した場面に、吸いつくように、見入っている。

自分の経験を踏まえて、物を言うならば、近ごろの警察の取り締まりは、とても生ぬるい。あれじゃ犯罪の抑止力にはならないだろうと思う。

暴走族の取り締まりを見ていて、全く歯がゆく思う。
パトカーの前を悠々と暴走する暴走族に、声をかけて警告したり、注意したりして、パトカーがあとを追いかけている姿を見ると、どうしてもっと強力に強圧的に取り締まりができないものだろうか
暴走族という無法者を、言葉で諭すというのか、もともと無法者だから、口で言って、聞くわけがない。

警察をなめきった態度を示しながら、取り締まりのパトカーの前をかくれんぼの鬼ごっこをしているような姿で、ジグザグに逃げる暴走族をこわごわパトカーが追いかけている姿は、まるでさまにならない。

それどころか、このテレビ放映の風景は、この程度まで緩んで大丈夫というサンプルを示しているようである。

どうしてもっとピシッと決めないものか。悪をたたくのに
なぜ強圧的な態度がとれないものなのか。取り締まりの中に、
まあまあという部分があるとすれば、そしてそれが、何らかの形で、暴走族の人権にかかわるとするならば、警察が持っている人権感覚は、間違っていると思う。

意識的に法律を犯す連中には、見せしめの意味も込めて、思い切った強い態度が、ぜひ必要だと思う。