外出 081219
寒いから、外出が、おっくうになり、引きこもり、の毎日を抜け出て、今日は、非日常性の旅をした。
大阪を午前6時に出発したバスは、午後2時過ぎには、東京につく。
大阪を出発した時は、日の出はなく、あたりは、夜の闇一色だったが、30分ほど経つと、西の方が,もうあっと明るくなって、しばらくすると、太陽が顔を出した。
朝が早かったので、日の出をゆっくり眺めることもなく、うつらうつらして2、3時間を過ごした。
どこをどう通ったのか知らないが、気がつくと、名古屋港に、大きな橋が架かっていて、その上を走っている。これは生まれてはじめての経験で、東名高速というかってのイメージは大きく変わった。
バスはJRが運行していて、2階建てデラックスバスである。1番前の席は大パノラマで、景観を楽しむにはもってこいである。東名高速で、景観を楽しめるところは、清水ィンターを過ぎて、由比、蒲原の海岸線を走るときと、
富士山を真正面に見るときである。
今日は残念ながら、富士山のみが、雲で覆われて、すそ野の広がりしか見えない。非常に残念だった。
しかし、バスから眺める自然の景色や、人工の街は、僕の脳を活性化し、普段思ッテも見ないアイデアが、次々と浮かんだ。
遠くでは、雷がなっているらしく、音はしないが光だけが、届く。そこで考えた。
雷は、どうして光と音を出すだろう。その原理原則は全然分からない。が、光と音という結果は、ちゃんとわかる。
なぜ、光と音が出るのか、ということはもちろん科学的に説明のつく話ではあるが、もともとそういう原理原則については関心がないから、どうでもいいことになる。
他にも、見るもの聞くもの。それがどうして発生するのか、と、疑問に思いそのメカニズムをたずねることもなく、身の回りの事を何の疑いもなく、受け入れてしまっている自分を発見した。
繰り返しになるが、発生メカニズムは、完全に僕の領域ではなく、科学者の領域で、僕は単純に素直にそれを受け入れるだけでよいのだ。ということが、わかった。
東名高速を大阪から東京まで走って、気がついたことは、こんなことだった。
寒いから、外出が、おっくうになり、引きこもり、の毎日を抜け出て、今日は、非日常性の旅をした。
大阪を午前6時に出発したバスは、午後2時過ぎには、東京につく。
大阪を出発した時は、日の出はなく、あたりは、夜の闇一色だったが、30分ほど経つと、西の方が,もうあっと明るくなって、しばらくすると、太陽が顔を出した。
朝が早かったので、日の出をゆっくり眺めることもなく、うつらうつらして2、3時間を過ごした。
どこをどう通ったのか知らないが、気がつくと、名古屋港に、大きな橋が架かっていて、その上を走っている。これは生まれてはじめての経験で、東名高速というかってのイメージは大きく変わった。
バスはJRが運行していて、2階建てデラックスバスである。1番前の席は大パノラマで、景観を楽しむにはもってこいである。東名高速で、景観を楽しめるところは、清水ィンターを過ぎて、由比、蒲原の海岸線を走るときと、
富士山を真正面に見るときである。
今日は残念ながら、富士山のみが、雲で覆われて、すそ野の広がりしか見えない。非常に残念だった。
しかし、バスから眺める自然の景色や、人工の街は、僕の脳を活性化し、普段思ッテも見ないアイデアが、次々と浮かんだ。
遠くでは、雷がなっているらしく、音はしないが光だけが、届く。そこで考えた。
雷は、どうして光と音を出すだろう。その原理原則は全然分からない。が、光と音という結果は、ちゃんとわかる。
なぜ、光と音が出るのか、ということはもちろん科学的に説明のつく話ではあるが、もともとそういう原理原則については関心がないから、どうでもいいことになる。
他にも、見るもの聞くもの。それがどうして発生するのか、と、疑問に思いそのメカニズムをたずねることもなく、身の回りの事を何の疑いもなく、受け入れてしまっている自分を発見した。
繰り返しになるが、発生メカニズムは、完全に僕の領域ではなく、科学者の領域で、僕は単純に素直にそれを受け入れるだけでよいのだ。ということが、わかった。
東名高速を大阪から東京まで走って、気がついたことは、こんなことだった。