日々雑感

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ダキニ天、伏見稲荷

2009年11月07日 | Weblog
         ダキニ天、伏見稲荷



1月1日。私は夢を見た。なんの夢か。もうかすんでわからなくなってしまったが、丸24時間経っている今、ダキニ天、という言葉だけが頭に残っている。

ダキニ天。和名・稲荷大明神。稲荷といえば、京都伏見のお稲荷さん。商売の神様。
なんのご縁があるのか分からないが、伏見稲荷さんのおでましだ。普段
手を合わせたこともないのに、なぜ?単なる夢か。いや、おそらくつながっているであろう神仏の世界から
「今年はダキニ天におすがりせよ」という御託宣をいただいたのにちがいないと受け止めた。

 女房、長女、私の3人で、歩くことを前提に伏見稲荷に詣でる。
今年はダキニ天に初詣である。つながらない部分を私は「かつぐ」ことによって埋め合わせた。
夢の中でダキニ天は「今年はお参りに来い。お参りにきたならば、御利益を与えてやろう。必要な銭を与えてやろう。」と言われたように思えた。
それにしても、正月早々おめでたい話である。

人波にもまれて、私は拝殿に進み、ダキニ天こと、伏見稲荷大明神に向かって、心の中で祈った。
「何のご縁かは存じませぬが、1月1日、夢枕におでまし下さってありがとうございます。来社して祈れというというありがたいご催促なのか、福をやるから取りに来いというお招きなのかは知りませんが、早々と参上いたしました。家内と長女を連れてをはおりますが、あれは付録です。3人がかりで是が非でも御利益をという大がかりな仕掛けではありません。
3人3様です。夫婦親子といえども、皆、各それぞれの方向でお願いすることでしょう。とはいえ、私に福の神がとりついて、家の中に夢にも思わなかった大金が転がり込んでくるようなことにでもなれば、それは家内がいちばん願っていることゆえ、ありがたいことに違いありません。本人に直接たしかめてはいませんが、この男をなんとしても世に送り出して、どうしても男にしてみせるという、坂田三吉の女房・小春のような夫婦愛の発露抑えがたくというところから、ダキニ天にお願いするという情熱をもって、女房が本日お参りしているようには思えません。
ダキニ天。夫婦といえども、一心同体ではない身の哀しさ。どうかその点は女房に直接本心を聞いたうえで、彼女のお願いを叶えてやってほしいのです。なお、今年が始まるにあたって、その当初、1月2日の日に願掛けをする以上、かけた願が聞き届けられて、心願が成就した暁には、何をほっておいても、お礼参りさせていただくことは言うまでもありません。何事もよきようにご解釈賜りまして万事よろしくお願い申しあげます。」


ダキニ天が私の願いをどう受け止められるか、それは確かめようがないからそっとしておくこと以外には手は無いが、私の方でははっきりと記憶しておいた。
 生まれてこのかた1月1日に神様の夢を見るなんて初めてである。
おめでたいこと限りなし。