日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

東大寺2月堂お水取り

2010年03月07日 | Weblog
東大寺2月堂お水取り


752年に実忠和尚が始められた、2月堂のお水取りは、たったの1回の中断もなく今日まで続いているそうである。

今年は2010年だから1260回目のお水取りになるのじゃないか。

1980年、約30年ほど昔に、作品「お水取り」を作詞作曲した。1236回目じゃなかったかと記憶しているが、お水取りが歌になったのは、初めてだと寺の関係者からきいたときの感激は特別だった。1236年間誰もやらなかったことを私がさせていただいたことで、ご本尊の十一面観音にどれほどお礼を申し上げたことか。

この作品を作るについては朝日新聞の奈良支局の記者に知識を授けていただいた。
とりわけ私の関心を引いたのは青衣女人である。

鎌倉時代、行を行う僧集慶の前に青い衣を着た女が現れて、「どうして私のの名前を読み落としたのか」といって姿を消したと言う言い伝えがある。彼はとっさに青衣女人と戒名を読んだそうな。
以後ひときわ高く青衣女人と戒名を読むようになったらしい。

修二会では聖武天皇に始まって、東大寺に関係のある人々の戒名を読み上げて供養する。もちろんこの修法は懺悔をはじめ、五穀豊穣、万民豊楽、世界平和などを願って執り行われるものである。 

話は変わるが、

この火と水の祭典に、終戦の翌年から昭和五十年代まで、一回も欠かさずにお参りになる独身のご婦人が、札幌からこられたと言う話を記者から聞いた。

作詞するときに私は集慶の目の前ににゅっと現れた青衣女人と、札幌の女人を重ね合わせた。

三月一日に始まって十二日がクライマックス。今年も見物客でにぎわうことだろう。



                お水取り


1,弥生三月二月堂 礼堂の広い板の間

  須彌壇は浄土  仏の世界

  リズミカルな声明  うっとりする鈴の音

         ラララ  

  青衣女人の ひときわ高い荘厳な節

  おたいまつから  炎と火の粉が舞っていく

  大和の春を告げる 二月堂 お水取り


2,奈良東大寺 二月堂 身動ぎもせず 座り込む


  かいま見る浄土  仏の世界

  
  響き渡る声明   厳かな修二会

        ラララ

  名を語らぬ  独り身の青い服の(婦人)ひと

  夜空に炎が 輪をえがき 散っていく

  平城京(ならのみやこ)に春をもたらす お水取り  お水取り



小林亜星 その3

2010年03月07日 | Weblog
小林亜星 その3


1,「ヒットするというのはある意味では奇跡に近い。自分が自身を持っても、共同作業で、全部が100点満点ということはほとんど奇跡に近い。」


音楽はグループワークである。ヒットするにはそれぞれがベストを出してトータルで100点をとることがようきゅうされる。たとえば歌詞 メロデイ、アレンジ、歌手
演奏家 それに世相 その時代の人々の飢餓感など、どれもこれもが最高状態に成ったときに歌の持つ力が爆発してヒットする。こういうことは滅多に出来るものではない。


2,「なのにいつも自信を持って安打を、あえていけないという辛い仕事で、それをやっている。からといって、ヒットが出るとは限らない。」

ヒットを願う一方で、ヒットすることをあきらめているような気持ちが僕の心の底にはある。すべての要素をそろえて満点を取るなんて、人間の出来ることではないと思うからだ。
歌作り50年のキャリヤを経て、今なおこんな思いが心の中で渦巻いている。

3,「1日3曲ぐらい毎日作曲している。ある。朝など夢の中で、歌詞も曲もできてしまった。」

これはすごいことである。人と話しているときに頭の中で作曲してしまったという経験はあるが、夢の中で作曲するという経験はまだない。

4,「シンプルはベストである。」

コードにおいて、リズムにおいてメロデイにおいていえることである。近頃は3和音を軽視する傾向があるが、3和音こそ歌の基本の基本である。3和音を古いという人にはろくな曲がない。これはメロデイ作りの場合であって、アレンジはこの限りにあらず。