日々雑感

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太安万侶

2012年04月17日 | Weblog
太安万侶 12/04/17

古事記と日本書紀それに、万葉集を加えて、記紀万葉と覚えたものである。
教壇に立って、現役パリパリの教師だった僕は、太安万侶の墓が偶然奈良市郊外の茶畑で見つかり、墓誌の銅板に刻みこまれた年月日が歴史年表上の年月日とわずか1年の差しかなかったという事実に驚いた。
その1年の差というのも、人間に例えれば、満年齢が、数え年齢かによる差で、すこしも狂いがないと、記録の正確さを、改めて実感させられた。

発見当時は1979年で、古事記が出来上がった712年からすると、1300年の歳月を経ての話である。
この偶然の大発見には少なからず、興奮を覚えた。あれ以来行こう行こうと思って、30年が経った。

本日の朝日新聞夕刊で、本来の出身地である田原本の多神社へ、発見現場である茶畑から近くの十輪寺から分骨されているという記事が載った。
なお、現在の多神社の宮司さんからさかのぼること、51代目が太安万侶。その人だったらしい。1300年の時を経て出身地の古里へ里帰りと言うことになる。

僕が教えていたのは18才の生徒だったから、彼らはもう五〇代のおじさん、おばさんになっている。それにしても、1300年以上も昔のことが、最近偶然によって掘り起こされ、時の流れと、言い伝えの時が一致するとは改めて驚いた。