凡人と非凡人
「過ちの道でも良い。その道をひた走る勇が尊いのである。
稚が嬉しいのである。それは徹する心であり、あいまいを忌み嫌う心である。それはまた善悪を一如と観ずる真実さと呼ぶこともできよう。
すべてに、生き抜く誠である。生きの力である。そのひたぶるな心を私はこよなく、懐かしむのである。 中略
それは、私が作曲家として、指揮者として、日本という、不毛の音楽地帯に、展開した。芸術行動の実相であり、音楽活動の実際である。
無理解と嘲罵の奔流を単身横断する精神的行動の記憶あるのみである。そこでは、作曲者は、企業家と化し山師と誹謗され指揮者はピエロの悲し痴技をさえ演ずべく命令されるのである。 中略
しかし私は一切の妥協を排してわかき心を堅持した。真実一路を突進した。芸術の尊厳を護るために。人の世の誠を失わぬ為に。
山田耕筰著 遙かなる青春の調べ(若き日の狂詩曲)より
昔の人は偉かったと言うが、現代人と比べて根性の入れ方が違う。一歩誤れば奈落の地獄をみると判っていても、そこへ飛び込んで勇敢にも、死力を出して戦う。世間の毀誉褒貶など目じゃ無い。それこそ決死の覚悟である。
私が教えて貰った、行動を伴った猛獣的バイタリテイとフアイトと言う言葉の裏には、このような決死的覚悟と行動が隠されていたと言うことは、この本を読み返して、判った事だ。今頃気づくとは!!。非凡なる人と凡人の差がここにある。
「過ちの道でも良い。その道をひた走る勇が尊いのである。
稚が嬉しいのである。それは徹する心であり、あいまいを忌み嫌う心である。それはまた善悪を一如と観ずる真実さと呼ぶこともできよう。
すべてに、生き抜く誠である。生きの力である。そのひたぶるな心を私はこよなく、懐かしむのである。 中略
それは、私が作曲家として、指揮者として、日本という、不毛の音楽地帯に、展開した。芸術行動の実相であり、音楽活動の実際である。
無理解と嘲罵の奔流を単身横断する精神的行動の記憶あるのみである。そこでは、作曲者は、企業家と化し山師と誹謗され指揮者はピエロの悲し痴技をさえ演ずべく命令されるのである。 中略
しかし私は一切の妥協を排してわかき心を堅持した。真実一路を突進した。芸術の尊厳を護るために。人の世の誠を失わぬ為に。
山田耕筰著 遙かなる青春の調べ(若き日の狂詩曲)より
昔の人は偉かったと言うが、現代人と比べて根性の入れ方が違う。一歩誤れば奈落の地獄をみると判っていても、そこへ飛び込んで勇敢にも、死力を出して戦う。世間の毀誉褒貶など目じゃ無い。それこそ決死の覚悟である。
私が教えて貰った、行動を伴った猛獣的バイタリテイとフアイトと言う言葉の裏には、このような決死的覚悟と行動が隠されていたと言うことは、この本を読み返して、判った事だ。今頃気づくとは!!。非凡なる人と凡人の差がここにある。