地獄行き
だいぶ昔のことである。
奈良の薬師寺で高田好胤氏の講演を聴きにいった。
一番人気の高い地獄と言うところを、スライドで見せる日だった。
昔の人が書いた地獄模様をスライドにして、それを講堂に貼られた、まくいっぱいに映しながら高田師は長い竿の先で一つ一つ指し示し説明された。
スライドが終わると再び解説をされて、最後にこう言われた。
「本日お参りの方も大半が地獄行きだろうと思う。かく言う私が真っ先に旗持って地獄へ行くことだろう。だから皆さん安心なさい。」
私は人間というものは、なんと罪深いものだろう。仏の教えを説き、薬師三尊に懺悔とお経を供えて、一生を捧げられ、娑婆世界の俗人を教化することに、自分のすべてを捧げた人にして地獄行きとは。」と嘆いた。
日頃の言動をもってすれば、地獄行きは避けがたいと思われる私であるが、あんな恐ろしい地獄行きは、まっぴら御免である。そこで考えた。
高田師が東向いて旗を持って走れば、私は西向いて全力疾走しようと。
しかし、、、、、、と私は途中で考えた。
高田氏が真っ先に地獄に行くと断言されたのは、現世の彼の行いの結果としての地獄行きではなくて、誰よりも早く地獄へ行くことによって、彼のあとに続いた地獄行きの亡者共を、一人残らず師の功徳によって地獄から救ってやるという、固い決意の表明なのかもしれない。
もしそうだとすれば、やはり1人でまごまごするよりは、腹を決めて師の後について走るか。そのほうがひょっとすると地獄行きをすくわれるのかもしれない。
ここまで考えてはみたものの、私にはまだ確信が持てない。
今度師に巡り会えたら、その時はとくと師の腹の内を聞いて、その後師に同行するか、反対の方向目指して走るかを決めようと思う。
地獄はあんな恐ろしいところだというのであれば、地獄行きは避けたいものである。
だいぶ昔のことである。
奈良の薬師寺で高田好胤氏の講演を聴きにいった。
一番人気の高い地獄と言うところを、スライドで見せる日だった。
昔の人が書いた地獄模様をスライドにして、それを講堂に貼られた、まくいっぱいに映しながら高田師は長い竿の先で一つ一つ指し示し説明された。
スライドが終わると再び解説をされて、最後にこう言われた。
「本日お参りの方も大半が地獄行きだろうと思う。かく言う私が真っ先に旗持って地獄へ行くことだろう。だから皆さん安心なさい。」
私は人間というものは、なんと罪深いものだろう。仏の教えを説き、薬師三尊に懺悔とお経を供えて、一生を捧げられ、娑婆世界の俗人を教化することに、自分のすべてを捧げた人にして地獄行きとは。」と嘆いた。
日頃の言動をもってすれば、地獄行きは避けがたいと思われる私であるが、あんな恐ろしい地獄行きは、まっぴら御免である。そこで考えた。
高田師が東向いて旗を持って走れば、私は西向いて全力疾走しようと。
しかし、、、、、、と私は途中で考えた。
高田氏が真っ先に地獄に行くと断言されたのは、現世の彼の行いの結果としての地獄行きではなくて、誰よりも早く地獄へ行くことによって、彼のあとに続いた地獄行きの亡者共を、一人残らず師の功徳によって地獄から救ってやるという、固い決意の表明なのかもしれない。
もしそうだとすれば、やはり1人でまごまごするよりは、腹を決めて師の後について走るか。そのほうがひょっとすると地獄行きをすくわれるのかもしれない。
ここまで考えてはみたものの、私にはまだ確信が持てない。
今度師に巡り会えたら、その時はとくと師の腹の内を聞いて、その後師に同行するか、反対の方向目指して走るかを決めようと思う。
地獄はあんな恐ろしいところだというのであれば、地獄行きは避けたいものである。