日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

カラオケ

2013年01月07日 | Weblog
カラオケ

下火だといえども、まだまだカラオケは、はやっている。
カラオケに合わせて演歌を歌う光景は、スナックや、クラブ、バーなどを通り越して、一般家庭にまで入ってきている。
機器の手軽さもさることながら、ジャリどもの学芸会しか放送しないテレビに、愛想つかした大人たちが、自分たちの歌を取り戻そうと自宅でカラオケを歌うようになってきたのは、まことにうれしいことである。
歌を愛する者の1人として「みんなが歌手」という現象は、まことに喜ばしいことだと思っている。その時々の気分の流れに沿って、思い思いの感情を歌に託すというのは実にすばらしいことである。
やっと歌が本来の使命を果たすようになった感じさえする。

歌の上手、下手は言うべきではない。要は歌を歌う心なのである。
うれしいにつけ、悲しいにつけ、人は自分のその時の気分で、歌を歌い今日のうさを晴らし、明日への希望をつないでいる。
上手は上手なりに、下手は下手なりの、歌を歌うことによって命の流れの中に新しい息吹を吹き込めるのであれば、それでよいではないか。
他人に聞かせる歌は、先天的に能力の問題もあって、万人が等しくできるというものではないが、自分が楽しむ分には難しい事は何も言う必要がない。
今仮に作曲する側から、、歌が上手と言うのはどういう条件を言うのであろうか。私なりにまとめて箇条書きにしてみると、次のような条件を満たす人のことを言うのではなかろうかと思う。
歌い手の雰囲気が良いこと
聞く人の心に迫ってくる、感情の表現。
音程、リズム、などがしっかりしていて、歌心があること。
天賦の才能に恵まれ、たゆまず磨きをかける努力ができる人。
ただし断っておくが以上の条件は、相互に関連があり、各々の条件が独立して、よくも悪くも、総合的に歌に統合された時に初めて、人の耳と心によく聴こえるのである。