お菊井戸
姫路城の備前門をくぐり中に入ると、天守閣の前の広場・備前丸に出る。
そこから天守閣に登れるが、僕はそちらの方に行かないで、門の前の下り坂を下りて行った。
腹切り丸をやりすごし、リの門を潜ってだらだら坂を下っていくと、上山里と呼ばれる広場に出る。この広場は備前丸のような大きさではなくて、こじんまりしている。その中央付近に、お菊の井戸がある。直径が2mはあろうか。周囲は石柱の柵で囲まれているが、その柵は頑丈なもので、表面には井戸に落ちないように金網のふたがしてある。
立て札には 1500年ごろ、播州更屋敷物語とは、お家のっとりの企てを女中お菊が知り、城主の難を救ったが、家老とその一味はそれを恨み、家宝の皿一枚を隠し、お菊を責め殺し、井戸に投げ込んだという趣旨のことがかかれていた。
私なりに解釈を加えて、もう一度繰り返すと、お菊という女性が大切な皿を割ったとか、無くしたとか言う罪に問われて、実際には無実の身であるにもかかわらず、殺されてこの井戸に投げ込まれ、その後、お菊の怨念が亡霊となって夜なよな現れて、井戸の中から亡霊が「お皿が一枚……二枚……」「九枚……一枚足りない……」と恨めしげな声で皿を数えたと言うのである。
立て札を読んで、物語のあらすじを頭に入れて、井戸の中を見ると確かに気味が悪い気がする。
中をのぞくと、真っ暗で底は見えない。おそらく10m以上はあるのでは無かろうか。
水が見えないから、井戸とは名ばかりで、いざというときにどこかに逃げる逃げ道に使われたのではないかとも思った。井戸の途中からまた横につながる穴が掘られているみたいな感じがした。井戸の縁は掘ったままの土がむき出しで、これが掘られた当時の様子を思い起こさせた。暗くて見えない底を じーっと眺めていると、何故が胸が苦しくなってきた。
この井戸を掘った人達は、ここがお菊の井戸として、後世に悲劇の現場として、名を残すなんて事は、想像だにしなかったのではないか。
どこにでもありそうな井戸が、かくも有名になったには、ここを舞台にして何か事故や事件が、井戸そのものに、まとわりついた事によるものだ。事の真偽は別にして、江戸時代には、これらの話がいろいろ脚色されて、怪談として巷間に伝えられ、浄瑠璃・歌舞伎の題材とされて、当時の大衆の関心を引き、涙を誘ったのだろう。これが怪談として、今に伝わっている。
姫路城の備前門をくぐり中に入ると、天守閣の前の広場・備前丸に出る。
そこから天守閣に登れるが、僕はそちらの方に行かないで、門の前の下り坂を下りて行った。
腹切り丸をやりすごし、リの門を潜ってだらだら坂を下っていくと、上山里と呼ばれる広場に出る。この広場は備前丸のような大きさではなくて、こじんまりしている。その中央付近に、お菊の井戸がある。直径が2mはあろうか。周囲は石柱の柵で囲まれているが、その柵は頑丈なもので、表面には井戸に落ちないように金網のふたがしてある。
立て札には 1500年ごろ、播州更屋敷物語とは、お家のっとりの企てを女中お菊が知り、城主の難を救ったが、家老とその一味はそれを恨み、家宝の皿一枚を隠し、お菊を責め殺し、井戸に投げ込んだという趣旨のことがかかれていた。
私なりに解釈を加えて、もう一度繰り返すと、お菊という女性が大切な皿を割ったとか、無くしたとか言う罪に問われて、実際には無実の身であるにもかかわらず、殺されてこの井戸に投げ込まれ、その後、お菊の怨念が亡霊となって夜なよな現れて、井戸の中から亡霊が「お皿が一枚……二枚……」「九枚……一枚足りない……」と恨めしげな声で皿を数えたと言うのである。
立て札を読んで、物語のあらすじを頭に入れて、井戸の中を見ると確かに気味が悪い気がする。
中をのぞくと、真っ暗で底は見えない。おそらく10m以上はあるのでは無かろうか。
水が見えないから、井戸とは名ばかりで、いざというときにどこかに逃げる逃げ道に使われたのではないかとも思った。井戸の途中からまた横につながる穴が掘られているみたいな感じがした。井戸の縁は掘ったままの土がむき出しで、これが掘られた当時の様子を思い起こさせた。暗くて見えない底を じーっと眺めていると、何故が胸が苦しくなってきた。
この井戸を掘った人達は、ここがお菊の井戸として、後世に悲劇の現場として、名を残すなんて事は、想像だにしなかったのではないか。
どこにでもありそうな井戸が、かくも有名になったには、ここを舞台にして何か事故や事件が、井戸そのものに、まとわりついた事によるものだ。事の真偽は別にして、江戸時代には、これらの話がいろいろ脚色されて、怪談として巷間に伝えられ、浄瑠璃・歌舞伎の題材とされて、当時の大衆の関心を引き、涙を誘ったのだろう。これが怪談として、今に伝わっている。