故上浪明子先生
東京芸術大学を卒業されて声楽家として活躍、日本声楽コンクールの審査員
として後進の指導にもあたられた。
一般的に声楽家は本場のヨーロッパに留学して、ヨーロッパ系の言語を学び
発音するから、どうしても巻き舌になって日本歌曲には不向きな点がある。
日本語は日本語らしく発音して歌ってほしいものだ。
こういう問題の解決に挑んで歌唱法の研究に取り組んだのが、上浪先生である。
知る人ぞ知るであまり評価はされていないようだが、日本歌曲を作曲する身にはありがたいことだ。
ドイツ留学を通してご自身が体験された山田耕筰先生は日本語の発音の不明瞭さを嘆いておられた。
女史の試みは志半ばで、中断したが、後に続く日本人声楽家は、まだ見つからない。残念だ。
東京芸術大学を卒業されて声楽家として活躍、日本声楽コンクールの審査員
として後進の指導にもあたられた。
一般的に声楽家は本場のヨーロッパに留学して、ヨーロッパ系の言語を学び
発音するから、どうしても巻き舌になって日本歌曲には不向きな点がある。
日本語は日本語らしく発音して歌ってほしいものだ。
こういう問題の解決に挑んで歌唱法の研究に取り組んだのが、上浪先生である。
知る人ぞ知るであまり評価はされていないようだが、日本歌曲を作曲する身にはありがたいことだ。
ドイツ留学を通してご自身が体験された山田耕筰先生は日本語の発音の不明瞭さを嘆いておられた。
女史の試みは志半ばで、中断したが、後に続く日本人声楽家は、まだ見つからない。残念だ。