日々雑感

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古賀政男氏の宗教体験0

2017年12月20日 | Weblog
古賀政男氏の宗教体験

今私の手元にある資料では、1977年11月21日PM10時25分。鈴木健二アナウンサーがいたのでたぶんNHKテレビだろう。側には近江敏朗、杉本苑子、扇谷正造の各氏がいたというメモがある

古賀政男さんは次のように語った。
「そのとき僕は死にかけていたんですよ。真っ暗な闇の中にいたが、紫の衣を着たでっぷりした男の人が現れてこっちへ来い。そちらへいくなと導いてくれた。後になって考えてみると多分あれはお大師さまに違いない。ぼくはもうありがたくて、感謝ただそれだけしかなかった。」
補ってみるとこうである。

古賀政男さんは脳いっ血で倒れた。その倒れている最中に彼が見た1つの場面がこの場面であるというのである。これ以後彼の言葉はもつれるようになって後遺症が残った。しかし命は助かった。このことに感激した彼は光明真言を作曲した。

おん あぼきゃべいろしゃのう まかぼだら まにはんどまじんばら はらばりたやうん。

日ごろ信仰していたであろう川崎大師に彼はこれと川崎大師賛歌を奉納した。歌っているのは近江敏郎郎さんである。彼が天性信仰深い性格かどうかは知らないが、こういう経験も加わって彼は自宅の屋敷の中に観音様やお大師さまやお不動さまなど5カ所に神仏が祭っている。

さらに彼はこんな経験もしていると語った。彼が音楽を教えた生徒の中に美しい女弟子がいた。この女弟子に古賀さんは恋いをした。ところがある日病気にかかったこの女弟子が夢の中で、玄関までやってきた。夜明け前、早朝のことで、彼は驚いたが、その日のうちに届いた知らせはその美しい女弟子がその時刻になくなっていたということである。彼の恋はまた悲恋に終わった。

疑問は残るにしても彼は天下の公器系NHKテレビで、以上のような経験をかたった。
 錯覚や幻覚のたぐいではなく、正しく彼は以上のことを経験体験したのである。その実感がなくして、作り話だったら、こんなことはそうやすやす口にできることではない。

ある日私は古賀政男記念館を訪ねた。新宿から小田急に乗って代々木上原で下車、高架に沿って新宿方向に引き返しちょっと道を折れたところに記念館はあった。門から玄関までは緩やかな坂で道の左側には供養する主を失った神仏の祠がいくつも目についた。玄関を入ると壁に弁財天像がかかっている。これは作者が棟方志巧でこの彫刻をしている姿がテレビで放映をされた。
棟方は布で作った注連縄を頭に巻いてだれかと対話しながら彫刻刀を動かしていたが、そこには誰もいなかったから彼は今彫っている弁天さまと対話していたのであろう。
「弁天さま。そうですか。ここをもっと赤く。ハイハイ分かりました。口紅をもっと濃くしましょう」
あたりに人がいないのに彼は対話を続ける。TVカメラはそれを執拗に追う。あのテレビで見た棟方の彫刻した弁天さんだ。そーいえば弁天さまは音楽の神様だ。
人は一生涯で何回か人知を超えた不思議体験を経験する。しかしその源を克明にさかのぼって、追及はしない。従って不思議経験はそのまま時の闇の中に葬られる。

そしてこのような不思議体験は特に芸術家においても多いように思う。しかも洋の東西を問わず、また時代を問わず記録として残っているものも数が多い。
バッハもベートーベンも、シューベルトも一様に作曲する際に神の啓示のあることを実感したと告白している。おそらく絵画がにおいても彫刻、建築においても同じ経験がなされたこことだろう。

それにしても古賀さんのように大師さんに命をすくわれた人は数限りないのではないか。お大師さんを信仰する者はそれだけでも素晴らしいことであり、ありがたいことである。