日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

ある芸術家の断片

2019年04月16日 | Weblog
ある芸術家の断片

彼女は20才を待たずして、熱烈な恋愛を経験する。そして結婚して人妻になった。彼女は彼の下にやって来て、日々甘い夫婦生活を送る。
が、天は二人の甘い夫婦生活が続くことを許さなかった。彼女は病に倒れたのである。20年ばかりの熱愛生活は5年ほどで病魔によって引き裂かれた。彼女は長い闘病生活のすえ、不帰の人となった。普通は共白髪が理想で、夫婦の契りをむすめば、4,50年は続くのが世間一般だ。芸術家は熱愛する彼女がいて、その支えで創作も進むというものだが、それは人間の都合というものである。必ずしも天は味方するとは限らない。
愛に燃える日々が人生の中でどれほど貴重なものか。何時もその他大勢の側にいる僕はうらやましい限りである。

現代は未婚のままで一生を送る男女が増えている。僕の身の回りを見渡してもごろごろいる。勿論個人の自由意思に基づいて、独身主義を選択しているのだから他人が何か言う必要は無い。

しかし僕は考える。動物全般に言えることだが、男女のつがいは自然の摂理である。この芸術家のように、熱い想いは永続されなかっても、人生の相思相愛と言ううま酒の味を知らずして、果たしてこの世に生きた充実感はあるのだろうか。
例え永続しないでもかまわない。一瞬の恋するものの熱愛の時を経験することなく、夕暮れを迎えて、生きたという実感が味わえるだろうか。
純粋な愛を求めてさまようのは、男女人間としての当然の理であり、芸術家のみの特権ではあるまい。
しかし男女のご縁というものは、ご縁という風が吹かない限り、その結びつきは生まれないのかも知れない。男にせよ女にせよ各々が背負っている運命のままに独身生活が決定されているとは、思えない。やはりお互いを死にものぐるいで、求め合わないとそこには、何の風も吹かないのではないか。

短くても200%の全身全霊を込めて、愛情のなんたるかを知ったり、味わったりすることが、生きる喜びを教えてくれると思う。
ある芸術家の人生の断片を知って、自分の思うところを書いてみた。

言い訳

2019年04月16日 | Weblog
ブログは小さい言葉を並べて、それを見ながら、言いたいこと、書きたい事をフレーズにする。
さらにそれをまとまった文章に仕上げる。

文章になったものを、コピーしてブログ画面に貼り付ける。

ワードではない日本語ソフトを使うので、それを貼り付け画面に貼り付けた場合、変な変換が起こる。

そしてそれがいつも必ず起きるのか、というとそうではない。

時たまだから、こちらもうまく変換できているものと誤解して、そのまま画面を閉じてしまう。
本来だったら、即座に訂正すべきだが、面倒くさくなって、そのまま放置して、恥をかく。

校正能力が不足しているうえに、誤動作が加わるので、なんとも見苦しい文章になってしまう。

これからどうすれば良いか。貼り付けた文章の校正は荷が重い。このままでいくか。

恥をかきつづける。それもまた良しか。言い訳の独り言。