日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

身内

2010年03月16日 | Weblog
身内

貴方は私の身内としてここにやってきたのか、それともお客として来たのか。

お客としてならそれなりの待遇をしよう。おみやげを持たせて帰らせよう。とサイババはいった。

お客として日本から1万キロ飛んできたのか。それとも世紀の聖者にあってその加護を受けたいと願ってここまで来たのか、何を重視するかだが、僕は身内で有りたい。

と言うことはすでに神と縁の糸を結んでいることになるから。  

メロデイ作り

2010年03月15日 | Weblog
メロデイ作り

名曲のアナリーゼは出来てもそのアナリーゼの要素を寄せ集めて合成しても名曲は生まれない。ある音が次の音に進行する必然性は特殊な場合をのぞいてほとんどない。
次に進行する音を選択する自由は全く作家の自由意志に任される。その作家の自由意志に重大な影響を及ぼすのは神仏の御意である。こういうことに思いを致すとき、作曲家は「音楽は神仏の啓示」と言う言い方をする。そして作家の立場に立ってみると自分が作曲する場合に
まさにそう実感するすることが出来るから、このことは本当だと思う。

6歳児、ほっぺにちゅうして性犯罪

2010年03月14日 | Weblog
6歳児、ほっぺにちゅうして性犯罪

アメリカでの話。小学校一年生の男子が、同級生の女の子のほっぺにキスをした。校長の判断ではセクハラだという。セクハラ意識がない行為はセクハラではないが、こういう判断がでたと言うことは、やはり、社会が病んでいるとしか思えない。


なぜインドへ心が向かうのか

2010年03月13日 | Weblog
なぜインドへ心が向かうのか

実のところ気が重い。カルカッタ、バラナシ、デイリーなどをへ行ったが
落ち着いたのサルナートぐらいである 。それでも再びインドへ行きたくなるのは
本当のインドに触れていないという思いがして、インドを知りたいという探求心がわき起こっているから。
常磐先生はバラナシのガンジス川に骨を埋められたが、ヒンズー教徒が信じるあの来世を信じておられたのだろうか。

親切心なのか、下心ありの親切心か、その判断が難しい。親切心あるいは下心であろうと価値観が違うので理解の仕方には差生じる

生きることの意味を求めて人生という旅を続け、何かが見えるころには幕が降りる


2010年03月12日 | Weblog



心に心配事があると空まで曇って見える。

町をみると心がワクワクしたのは10代から20代。60代になると輝きを失ってすべてに灰色の記事霧がかかっで ぼやけて見える。
希望のない日々はものすべてがダルである。

置かれている状況がどんな悲惨なものであれ、幸せ感を持って生きる人たちがいる。人類は究極において楽観的な心情になるように作られているのかもしれない。

思う通りにはならない
その原因は運命的なものであり、あるいは意思伝達がうまくいかない誤解であるかもしれない
物の中に自分がいては何もわからない。常に自分を埒外に置くこと

弱気からは何も生まれない。弱気と悲観主義は悪だ。人々の心から追放すべし。。
1200年の時の風雪にさらされ、その間に多くの人から検証され、その結果、 
今に残っているのだから弘法大師のいうことは本物だ。弱気は大師の教えにもそむくことになる

若い女への思いは信仰と同じで、理性を捨ててかかってコンタクトする。
目が覚めてみると頭を使う前に感情で対応していたことがわかる。その結果
後には不快な思いだけが残る。

世界連邦を考えるとき

2010年03月10日 | Weblog
世界連邦を考えるとき

同じ祖先から生まれた人間が、いろいろと差別することは地球上のすべて人間は同胞だという考え方をもつためには障害となる。
学歴、出自、社会以上の立場、性、知能水準、宗教、肌の色、地域性などなど
による差別は、現実がたとえ各自バラエティーにとんで存在するとしても大きな立場に立ってみると、大したことではない。
世界連邦を考えるとき、各国は地方国家である。共通語としてエスペラントや英語があり日本語は方言である。日本の芸術、芸能は郷土芸能である

歌の付属品へ

2010年03月09日 | Weblog
歌の付属品へ

近ごろの歌を聞いていると、歌の善し悪し以上に歌の付属品が問題にされているようだ。
たとえば衣装、、例えば服装、ぎんぎらぎん、茶髪、など非日常性の異様な風体、衣装を求められている。

そしてそれは歌というよりは、踊りのバックグランドミュージックになり下がっている。
心の思いを、感情を歌い載せて伝える本来の歌のあり方からすれば、大きく逸脱している。

歌というものは、詞を味わいながら、メロディーやリズムを聞いて心を震わせたり、感動したりしてこそ初めて、歌になりうるのである。良い歌にはぎんぎらぎんの服装や、茶髪など付属品は要らない。

小林亜星その4

2010年03月08日 | Weblog
小林亜星その4


1,毎日書いていると受けるということがいつも見えているから真面目にやっている今よりも、この頃の方がヒット曲が生まれていたので、不思議だ。これもときの勢いというものでしょう。

まじめにって取りくんでいるときよりも、ふっと息を抜いたときの方が曲想がよくわくときがある。 しかし長い目で見ると毎日継続することが大切で、この毎日の積み重ねが潜在的にあってこそ、息を抜いたときに表に出てくるんじゃないかと思う。誰でもヒットをねらって作曲するわけだが、ヒットしたら不思議だなと思うから、なんか変な話である。

2,メロディーも自分の素朴な幼稚な気持ちになって作らないとだめで、素朴で、単純なコード進行で誰でも答えてすぐ覚えられる。曲。その方がよほど難しい。

実にその通りで素朴で幼稚な心でないとないとよい作品は出来ない。複雑に考え出すと収拾がつかなくなる。単純素朴とは余計なものをそぎ落とすということなのかもしれない。
これは難しいことである。

3,感動を呼ぶためには、単純素朴それに、自分の秘密の泉がないとできない。

単純素朴だけでは感動を呼ばない。それにプラスするものがあるかないかが必要である。その何かこそが個性だと思う。僕の場合メロデイが美しいという特性がある。
今後はクラシック系を卒業して大衆歌に目を向けようとおもう。人生の哀歓を歌で表せば、その歌はどれだけのパワーを持つかによって人々の心に届くか 届かないかが決まる。
そのためには職人魂を持って精進することが大切だ。

東大寺2月堂お水取り

2010年03月07日 | Weblog
東大寺2月堂お水取り


752年に実忠和尚が始められた、2月堂のお水取りは、たったの1回の中断もなく今日まで続いているそうである。

今年は2010年だから1260回目のお水取りになるのじゃないか。

1980年、約30年ほど昔に、作品「お水取り」を作詞作曲した。1236回目じゃなかったかと記憶しているが、お水取りが歌になったのは、初めてだと寺の関係者からきいたときの感激は特別だった。1236年間誰もやらなかったことを私がさせていただいたことで、ご本尊の十一面観音にどれほどお礼を申し上げたことか。

この作品を作るについては朝日新聞の奈良支局の記者に知識を授けていただいた。
とりわけ私の関心を引いたのは青衣女人である。

鎌倉時代、行を行う僧集慶の前に青い衣を着た女が現れて、「どうして私のの名前を読み落としたのか」といって姿を消したと言う言い伝えがある。彼はとっさに青衣女人と戒名を読んだそうな。
以後ひときわ高く青衣女人と戒名を読むようになったらしい。

修二会では聖武天皇に始まって、東大寺に関係のある人々の戒名を読み上げて供養する。もちろんこの修法は懺悔をはじめ、五穀豊穣、万民豊楽、世界平和などを願って執り行われるものである。 

話は変わるが、

この火と水の祭典に、終戦の翌年から昭和五十年代まで、一回も欠かさずにお参りになる独身のご婦人が、札幌からこられたと言う話を記者から聞いた。

作詞するときに私は集慶の目の前ににゅっと現れた青衣女人と、札幌の女人を重ね合わせた。

三月一日に始まって十二日がクライマックス。今年も見物客でにぎわうことだろう。



                お水取り


1,弥生三月二月堂 礼堂の広い板の間

  須彌壇は浄土  仏の世界

  リズミカルな声明  うっとりする鈴の音

         ラララ  

  青衣女人の ひときわ高い荘厳な節

  おたいまつから  炎と火の粉が舞っていく

  大和の春を告げる 二月堂 お水取り


2,奈良東大寺 二月堂 身動ぎもせず 座り込む


  かいま見る浄土  仏の世界

  
  響き渡る声明   厳かな修二会

        ラララ

  名を語らぬ  独り身の青い服の(婦人)ひと

  夜空に炎が 輪をえがき 散っていく

  平城京(ならのみやこ)に春をもたらす お水取り  お水取り



小林亜星 その3

2010年03月07日 | Weblog
小林亜星 その3


1,「ヒットするというのはある意味では奇跡に近い。自分が自身を持っても、共同作業で、全部が100点満点ということはほとんど奇跡に近い。」


音楽はグループワークである。ヒットするにはそれぞれがベストを出してトータルで100点をとることがようきゅうされる。たとえば歌詞 メロデイ、アレンジ、歌手
演奏家 それに世相 その時代の人々の飢餓感など、どれもこれもが最高状態に成ったときに歌の持つ力が爆発してヒットする。こういうことは滅多に出来るものではない。


2,「なのにいつも自信を持って安打を、あえていけないという辛い仕事で、それをやっている。からといって、ヒットが出るとは限らない。」

ヒットを願う一方で、ヒットすることをあきらめているような気持ちが僕の心の底にはある。すべての要素をそろえて満点を取るなんて、人間の出来ることではないと思うからだ。
歌作り50年のキャリヤを経て、今なおこんな思いが心の中で渦巻いている。

3,「1日3曲ぐらい毎日作曲している。ある。朝など夢の中で、歌詞も曲もできてしまった。」

これはすごいことである。人と話しているときに頭の中で作曲してしまったという経験はあるが、夢の中で作曲するという経験はまだない。

4,「シンプルはベストである。」

コードにおいて、リズムにおいてメロデイにおいていえることである。近頃は3和音を軽視する傾向があるが、3和音こそ歌の基本の基本である。3和音を古いという人にはろくな曲がない。これはメロデイ作りの場合であって、アレンジはこの限りにあらず。

小林亜星その2

2010年03月05日 | Weblog
小林亜星その2

服部正先生の教えの中で、今でも印象に中でいることは三つある。

1、俺はアーティストが、と自ら言ってはいけない。まず職人になれ、
最高の職人になって、その人が精神の領域まで表現できるようになったときに初めて人が、あの人はアーティストだと言ってくれるのだ。
実にそう思う。職人と言えば宮大工西岡常一氏の言葉を思い出す。彼は法隆寺の宮大工だったが、法隆寺建立に使われた木材と工法を基本にそのまま受けついている。
宮大工といっても室町時代以降の宮大工と、法隆寺宮大工とはかなり異なり、ようするに白鳳の建築とは山を買ってその樹木をすべて無駄なく作るという点で、山の命そのものが移し替えられたものだ。そしてその建築技術というのは古代だから劣っているということではなく、中世以降とは思想が異なるということなのだ。このあたりは、私にはちょっと唖然とするものがあった。私は日本の古代とはそれほど大したもんじゃないという歴史の感覚を持っているのだが、山そのものが白鳳の建築の命となれば、山そのものをはぐくむ生活の感性がそのまま仏教に移されることになるし、山の樹木と共生する感性はおそらく千年のスパンがあるだろう。
 西岡常一にとって寺院建築とは千年近い山の命の形を変えたものだ。
こういう哲学を持った人こそ真の職人だ。


2自分が音楽の神様だと思うこと。だから自分の才能を行うに広めないということは犯罪行為である。
自分が神様だとは思えないが、音楽を神様からいただくことはある。
職人と反対に僕はそれにほとんど手を加えることなく、ウタに仕上げる。
取り組み方があまりにも軽いと思いながら、作曲は続ける。

3,その時の感動が大きければ大きいほど良い曲が生まれる。紙を見た瞬間の感動が鈍いと、なかなかメロディーのリードができない。 と彼は説く。


あらゆることに感動する鋭敏な神経と感受性がないと創作家にはなれない。神が降臨する音楽に鈍感だったら、まず作曲家はつとまらない。

ついでに書くと彼はこうもいった。メロデイが美しく確かなものでないと人間の叙情性は薄れる。つまり心はやせ細るということだ。こういう観点からすると現代の若者のウタはウタに値しないと僕は思っている。。はやりの歌は肉体に働きかけてエネルギーの発散やストレスの解消呼び起こす単なるBGMにすぎないと僕は思う。ウタが生涯のものでなくて、一過性の慰みものでいいのだろうか。今の若もは40代に成ったときにどんなウタを歌うのだろうか。

最近思ったことことですが、

2010年03月04日 | Weblog
最近思ったことことですが、

コンピューターでは作曲は出来ないと言うこと、アレンジは確かに便利ですぐ出来ます。最初にひらめく曲想は、人間以外のものでは出来ない、ということが判ってきました。
やはりギターとか、ピアノを演奏(さっきょくのための)することの方が便利です。今年こそはと、かけ声ばかりですが、まこと今年こそはヒットする作品を書きたいものだと頑張るつもりです。

今書いているのは、鉄幹をめぐる2人の女、すなはち晶子と山川登美子の恋愛もので、これを登美子サイドから書いてみょうと思っています。彼女については、かなり調べたので後は、作詞して曲をつければ良いのですが、さて歌手を誰にするか、が問題です。

恋争いで晶子に破れはするが、彼に対する思いは決して負けるものじゃないと言うところを強調して書くつもりです。

人間の真実なんて誰にもわかったもんじゃない。ただ調べるほどに、彼女が気の毒な運命にあったようです。僕は彼女の実家のある福井県小浜まで車で行ってきました。

1人の人間の命が掛かっている作品だけに、ふさわしい作品を作らなければと、はりきっています。

登美子に限らず恋愛は成就したほうの数が圧倒的に少なく、人は切なく苦い思いを経験させられる方が多いような気がします。何故なら人生は自分の思うようにならない側面があるからです。だから登美子のことを書いても、実は大多数の庶民感情をすくい上げてると考えています。どんなものが出来るか楽しみです。

人生の様相は人様ざまです。しかし、なべて人生は思うようにならない上に孤独です。これは当たり前の話しですが、気もちとしてそう思いたくありません。

 奈良の大仏さん

2010年03月03日 | Weblog
               奈良の大仏さん

パリから孫が帰国した。姉も弟もパリの日本人幼稚園に通っていた。
空港に出迎えに行ったら、姉はいきなり 奈ー良の奈ー良の大仏さん とうたいだした。

母親が口ずさんでいたものを、姉が覚えてしまったのだ。それが空港で自然に口から出たのだろう。
この奈良の大仏さんは、東大寺の長老清水公照先生が作詞されたもので、それに私がメロディーをつけた。

清水先生は これは子供の歌でね 、と言われたが私は即座に反対した。
子供にとっては、言葉が難しすぎるというのが、僕の言い分である。
(2)寂の影踏み 肉もりかえす なんていうフレーズは、大人の私にも理解しかねた。この意味がわかる人は少ないのではないかと思う。たぶん子供では理解できないだろう。
しかしこの理解は、先生の真意を汲んでは居なかった。
歌詞の意味がわかるとか、わからないとか、そんなことは大した問題じゃないんだ。大仏さんというものをイメージして、その雰囲気を知るだけで十分なんだ。いや大仏さんは全日本人の心のふるさと。 それだけを覚えてもらいたい、それが先生の真意だったんだろう。

強行に反対したわけではないが、先生はいや、とも、そうか、ともいわれなかった。
私もそれ以上のことを口にはしなかったが、先生と別れてから、これは童謡であると言われた言葉が耳に残り、心の中で渦巻いていた。

考えてみると、若者がよく口にする歌は、英語の歌詞になっている場合が多い。アメリカンポップスをうたっている歌手の何人が、その歌詞の意味を理解して歌っているのであろうか。
英語の原詩に忠実でなければならん、ということは必要ないのである。英語だろうが、中国語だろうが、歌詞を味読して、どうのこうのというのは、特別な人にのみ要求されることであって、大衆は英語だろうが、中国語だろうが、調子よく歌えたらそれでよいのである。歌詞の内容がどうだ、こうだという前に、その歌詞がふさわしいメロディーと、リズムにさえのっていれば、それでよいのである。雑な言い方をすれば、調子がよければそれでよいのである。

そう考えたときに、奈良の大仏さんに含まれる、難しい漢語の意味は全然問題がないということになった。現に4歳の子供があの難しい漢語が含まれている奈良の大仏さんの歌詞を、問題なくちゃんと言葉通りに歌っている。

歌というものは、歌詞の意味が完全に理解されなければいけない、というものでもないのだ。
だが作曲家にとっては、できる限り、原詩の言葉の意味に忠実で、それをふまえた上で、いかにそれ以上の表現をするか、つまりメロデイやリズムに乗せるか、それが問題なのである。
作曲家はそういうことを意図するが、その意図通りに歌われるか、というと、おおかたの場合無関係に人は歌う。まさかその歌が大人の歌だから、子供は歌ってはいけない、あるいはその逆ということを強制できるものでもない。

歌はいったん作曲家の手をはなれると、作者のコントロールのきくものではない。歌は完全に独立して人の口に上る。人は自分の好みに応じて、好き勝手に歌うものである。それが歌の本質だからである。子供が生みの親の意のままにならないのと同じである。

さてこの奈良の大仏さんは言葉こそ難しいが、歌詞の全体像は子供の雰囲気を持っている。
なーらのなーらの大仏さんと、大人が真顔で歌うはずがない。これはどう見ても童謡である。
奈ー良の奈ー良の大仏さん ピカっと光るしび二つ
修学旅行の思い出に 子供ごころのほのぼのと
奈ー良の奈ー良の大仏さん 

シルクロードの果ての地に 今も笛吹き鼓うつ
楽音天女舞い降りて 常夜の明かり ゆらぐなり

おどけ心に口をあけ ラホツのおつむ見仰げば
おめめをすぼめ おはようさん
おててをあげてこんにちは
奈良の奈良の大仏っさん

追記 歌詞は五番まで作られているが二番、四番は省略した。

二番
たぎる血汐もうつせみの 浪に漂い浪に消ゆ
月夜の甍仰ぎつつ 寂の影踏み肉もり返す

四番
三千世界くまなく照らす
ビルシャナ仏とのたまひて
無量無遍億千万  ここまほろばを鎮めなん


”小林亜星氏の場合 1

2010年03月02日 | Weblog
”小林亜星氏の場合 1


サントリーウイスキーの有名なコマーシャルや歌謡曲、「北の宿から」などの作曲で有名な小林亜星氏の著書「亜星流」には僕にとっては示唆に富んだフレーズがたくさんある。

以下いくつかに分けてコメントを加えることを試みる

「1964年に初めてNYに行ったとき。写真の好きな僕は今すぐハーレムに1だが、ちょうどその時日曜日で、この教会で批評を忘れることのできない体験をした。

それがゴスペルだった。僕はゴスペルの活力たくましい黄、魂の叫びを聞いて涙が止まらなくなった。そして人間には心や頭脳以外に魂というものがあると確信した。」

歌が声だけで歌われるならば、涙など出やしない。歌声に載った魂が聞く人の魂と共鳴したときに涙がでるのだ。歌う側にも、聞く側にも魂があってそれが交流するのである。

昨日のせた原稿「音楽療法」の中で日野原医師のことについて書いているが、医博も人間は体とこころと魂から成り立っているといわれる。この説には僕も同感で脳学者がいうように、人間のすべてを脳作用で説明しようとしても説明しきれないものがあることを作曲家小林亜星氏は指摘している。これは僕も実感することで脳科学では説明しきれないものだと思うから、すべてを脳科学的に説明しようというのは間違っている。