もう一つの人生
タイへはよく行った。三十回は越している。初めてバンコクへ行ったとき、ドンムアン空港に降り立った時の開放感は忘れることが出来ない。同時に今まで味わったことがないような、孤独も味わった。
話せないから会話が出来ない。これが最大の困りごとである。お国柄の事情も何も知らずに飛び込んだから、何をするにも全く見当が付かない。タイ人とはタイ語を話すことも、会話することも、出来ないし、文字も全く読めない。つたない英語の会話と、身振り手振りのボデイランゲージ だけである。立ち往生して途方に暮れた。
しかしそれも三十回を越せば、身体がバンコク市内のことを覚えてくれるので、会話が出来なくても、何とかひとり旅が出来た。地理が詳しくないので時間があれば歩いた。4月のソンクラン祭りが水掛祭りだと言うことも知らなかったので、背中から水を掛けられたこともある。
そのうちに第二の都市チエンマイに足を運んだ。ドイステープ寺院から市内を見渡すと城郭都市の様子がはっきり読み取れた。チエンマイには象に乗るために三回ほど行った。
その実績がかわれて、チエンマイ市から長期滞在しないかと案内が来た。もう定年も過ぎていたが、やはり僕は日本に住む方が良かった。それは日本が身体中にしみこんでいるから、今更言葉も分からないところで住むなんて、と言う思いが強い。何時もひとり旅
だから、しっかりした自分を堅持しないとたちまちにして、生きていくのに困る。
そういうわけで頭にたたき込むか、メモをとって知識としてはかなりのことを身につけていたけど。
ある日新聞にもう一つの人生という題で海外長期滞在の特集記事が載った。海外の長期滞在は、僕にとっては旅でしかあり得ない。インドを二月ほど旅したが、とにかく日本に帰りたくてしようが無かった。それはぼくのノスタルジアではなかった。何よりも生活上の不便が大きかったからである。
良くても悪くても、「もう一度の人生」は日本にしがみついて生きなきゃと思っている。
タイへはよく行った。三十回は越している。初めてバンコクへ行ったとき、ドンムアン空港に降り立った時の開放感は忘れることが出来ない。同時に今まで味わったことがないような、孤独も味わった。
話せないから会話が出来ない。これが最大の困りごとである。お国柄の事情も何も知らずに飛び込んだから、何をするにも全く見当が付かない。タイ人とはタイ語を話すことも、会話することも、出来ないし、文字も全く読めない。つたない英語の会話と、身振り手振りのボデイランゲージ だけである。立ち往生して途方に暮れた。
しかしそれも三十回を越せば、身体がバンコク市内のことを覚えてくれるので、会話が出来なくても、何とかひとり旅が出来た。地理が詳しくないので時間があれば歩いた。4月のソンクラン祭りが水掛祭りだと言うことも知らなかったので、背中から水を掛けられたこともある。
そのうちに第二の都市チエンマイに足を運んだ。ドイステープ寺院から市内を見渡すと城郭都市の様子がはっきり読み取れた。チエンマイには象に乗るために三回ほど行った。
その実績がかわれて、チエンマイ市から長期滞在しないかと案内が来た。もう定年も過ぎていたが、やはり僕は日本に住む方が良かった。それは日本が身体中にしみこんでいるから、今更言葉も分からないところで住むなんて、と言う思いが強い。何時もひとり旅
だから、しっかりした自分を堅持しないとたちまちにして、生きていくのに困る。
そういうわけで頭にたたき込むか、メモをとって知識としてはかなりのことを身につけていたけど。
ある日新聞にもう一つの人生という題で海外長期滞在の特集記事が載った。海外の長期滞在は、僕にとっては旅でしかあり得ない。インドを二月ほど旅したが、とにかく日本に帰りたくてしようが無かった。それはぼくのノスタルジアではなかった。何よりも生活上の不便が大きかったからである。
良くても悪くても、「もう一度の人生」は日本にしがみついて生きなきゃと思っている。