一緒に!

重度自閉症・知的障害児の息子と、自閉症と娘たちと夫との暮らしを赤裸々につづります。

育児の責任感

2020-04-24 07:42:00 | 日記
次女のんちん現在10歳の育児について、



のんちんだけ、
唯一、



鼻炎もないし、肌が弱くもない、
偏食もない、
睡眠障がいもない。、、



口が達者で、
思ったことを口で伝えられるためか、
かんしゃくもなかった。

育てやすい子だった。小さいときは。

生まれてから幼少期、


みーちゃんとみーくんは
睡眠障がいや、かんしゃくが
ひどくてひどくて、毎日が壮絶で

ほんとに苦しい育児だったけど、


のんちゃんは、
ほんっとに、育てやすい赤ちゃんだった。


幼児期も
おしゃべりも上手で、
物怖じせず、知らないおじさんとかおばさん
誰にでも笑顔で話しかけて、

みんなに可愛がってもらえて、
逆に、誘拐の心配をしていたくらい。。だった。


それが、
いつのまにか、気づいたら、
幼稚園、あがり、小学校あがるころには、
とても、頑固で、自分の非を認めない、
嘘つく、ごまかす、自分を大きく見せる、
登園、登校、拒否、
とても気分屋、言うことを聞かない、やる気ない、
無気力、無関心、なこどもになっていた。


しかも
それは、どんどん年々ひどくなり
やりづらくなっていった。



のんちゃんが
幼稚園に入園したころ、
みーくんの障がいの特性が急激にあらわれ、
そこからの3人育児は記憶もないほど、
壮絶なものになっていった。


平穏な日、ってなかった。

のんちゃんも
自我や、自己肯定感を育てる、
大切な時期に、


ゆっくりと甘えることができず、
どころか、
みーくんに生活の邪魔をされ、
それを、泣き叫びながら、拒否する毎日が続き、
私にも怒鳴り散らかされながら、
育った。


それは、
ほんとに後悔。


もちろん、
当時からずっとずっと、事あるごとに、
いや、事がなにもなくても、
常に困ってる状態だったから、


夫には相談、報告はしてきたけど、助けを何度も求めたけど、
適当に仕事を理由に責任逃れされ、スルーされて、
真剣に相談に乗ってもらえることすら、なく、
ひとりで、すべてするしかなかった。



のんちゃんのペースに足並みを合わせてあげることも
もちろんできなかったし、

常に
のんちゃんに対しては
申し訳ない思いでいっぱいだったけど、


私は私で
その時、その場ある状況、環境で、
常に、子どもたち3人のことを考え、
最善を模索しながら、悩みながら
ここまで来た。

ひとりでできる精一杯をやってきたつもり。


今、
突然の有事で、


長いあいだ、休校になって、
ずっと家に一緒にいる。



あのとき、
みーくんが1〜2歳で、のんちゃんは園児、のとき、、、、とは違って、


みーくんの状態はだいぶ落ち着いたし、


今もまだ余裕がないときは多いけど、
あのときから比べたら、
だいぶ、手は離れたし、



今、落ち着いて、のんちゃんと接することができる時間がもててることを、


逆にありがたい時間だと
感じる。


この時間を、
今後のこの子のために、、、、

有効に動いてくれたらいいな、と思ってる。


幼稚園から小学校に入る、
親から離れて行く期間に、


十分に甘えきれなかった。
赤ちゃんがえりしそこなった。


5年生になる
今でも、


ずっと
かーか、かーか、と


私の後ろをつきまとう。


お風呂も
いまだに
かーかと入りたい!!!と希望。


ほんとなら、
かーかと寝たい、みたい。


みーくんが生まれてからは、
お姉ちゃんたちはずっと二人だけで寝させてて、
それも夫の協力は一切得られなくって。



昨日も
いつものように、


かーかとお風呂入る!!!と
のんちゃんが言った。


みーくんも入れなあかんから、
トートにLINEして!何時に帰ってくるか聞いて。


早く帰ってくるなら、
みーくんはトートに任せて、
のんちゃんと入るよ。


でも
結果、
帰宅は夜中。


みーくんを入れるので
のんちゃんはしぶしぶひとりで入った。



その話や、
のんちゃんの話をしたけど、


またはぐらかされ、違う話に変えられた。
責任逃れ。


真っ向から向き合おうとしないね。

夫を直接的に責める発言はしないけど、
責められてるって思うんか。


でも、
二人の子どもだから、
一緒に
この子のためにどうするのがいいのか

考えないとあかんやろ、



できないことは、
なにか他のことや、
言葉やコミュニケーションで
フォローできることもいっぱいあるし、

それすらもしないし、
現状をまず把握して、悪い部分を認めて、反省しなかったら、



前へ
進めないし、


問題点あってもずっと立ち止まったまんまやのに。



やっぱり
この人とは一緒に歩まれへん。


ひとりで歩む、これからも。