ストライキについて、そして今後の見通しについて我々の代替列車について
なんの説明もないまま、専用バスに乗り込んだ。
この専用バスはマチュピチュ村、遺跡入り口間で運航しているバスと同じものだった。
マチュピチュ村のバス降車場で降りた・・・
いるはずのペルーレイルの職員はいなかった・・・
ドライバーはハイラム・ビンガム号の事まで把握していないだろう。
唯一の関係者は私達の荷物を列車まで運ぶオッサン・・・
英語がわかるとも思えないようなオッサン・・・
こうなりゃ、こちらも思い切りブロークン英語で勝負だ
要するにポイントと思われる単語を繋げるという荒業
おー要点は通じたらしい(要点しか言っていないけれど)
とにかく、オッサンは自分について来いというようなジェスチャーを見せた。
バスに乗っていたドイツ人や他の乗客はすでにその場を立ち去っていた。
残っていたのはミセス・ゴージャスとその娘(アフタヌーンティー会場に現れた英語圏の母子の
母はどこからどう見てもゴージャスだったのでそう名付けた。20歳そこそこに見える娘も
お嬢様っぽかった・・・)
成功したインド人家族とその兄弟家族(総勢8名ほどでサンクチュアリ・ロッジに宿泊し、ハイラム・ビンガム号に
往復乗車できるのは成功しているインド人に違いないと思う)
彼らも個人旅行なので情報が欲しかったのだろう。
荷物係のオッサンがリヤカー?っぽいのに乗客の荷物を積み終えるまで
見ていた。
マチュピチュは車の規制があるので、こうして人力で荷物を運ぶらしく坂道も多く
大変そうで、思わず手伝ってあげたくなった。
ねぇ~オッサン、大変そうでしょう
オッサンの周りを付かず離れず駅まで進んだ。
駅について驚いた 駅の鉄柵の門は閉じられていて、その前には何百人という人達が
中に入れず混乱の中にいた。
穏やかな頃の駅・・・
この写真、右に写っている緑の門は固く閉ざされていたの。
しかし、こうして見ると、この時点ですでにポリスが何人もおり海外では珍しくないので
治安の為かな~と思っていたけれどストライキの影響ですでに待機していたんだね~
(この時点で既に小規模なストライキはペルー国内で1か月近く続いていたそうです)
荷物係のオッサンも中に入れないようで駅員と何か相談していた。
インド人成功者家族、ミセス・ゴージャスと私達は柵の前でオッサンの指示を待っていた。
その時、横を見ると昨日マチュピチュ遺跡のガイドをしてくれた女性が押しつぶされるように
群衆の中にいて私達を見つけるとストライキの状況を話してくれ、教職員によって外された
レールの写真を見せてくれた。
想像しているより大掛かりに外されていた
ガイドさんもおウチに帰れないでいたのだろう。
あの専業主夫志望君はどうなったのかしら
後から来た私達が何故にその群衆に囲まれた駅で柵の最前列にいたのかというと、
それはハイラム・ビンガム号の力だったのだ。
そのチケットを見せると職員に前へ、前へと案内されたのだった。
ただ中へは入れなかったのだけれど・・・
おっ 荷物係のオッサンが柵の中に入った~
その後に続いて入ろうとすると「NO」と言われたが、チケットを見せると
中に入れてくれた~そして直ぐに柵は閉じられた・・・
そう・・・駅の建物の周りはお庭の様な緑で彩られているのだけれど、
そこでも寝ている人、座り込んでいる人、立ちすくんでいる人、人、人・・・という状態だった。
成功者のインド人家族とミセス・ゴージャスはそこからは人混みの中をぬって
スタスタと歩いて行く。
見失わないように私達も付いて行くとある待合室に辿り着いた。
それはハイラム・ビンガム号専用の待合室で彼らは行きもそこから乗車したので、
知っていたんだね~
待合室には既に大勢の乗客がいたけれど、座る所くらいはあった。
ちょっと豪華な待合室。
ここにいる人達、皆がハイラム・ビンガム号の乗客ではなさそうだけれど・・・???
日本人のご夫婦とそのお子ちゃんが1組いた!!!
ひょっとしたらラッキーな小さな子がいるグループはここに通されたのかもしれない。
写真にミセス・ゴージャスが写っていました~( *´艸`)
欧米人でヴィトンを持っている人って日本人とは違いほとんどがお金持ちそうよね~
ミセス・ゴージャスはスニーカーなんて履いてません!
パンプスで背筋をピンと伸ばして歩くんだよ、こんな状況でも。
真ん中、入り口近くにいるペルーレイル職員にミセス・ゴージャス、インド人家族代表の
お父さんが何か聞いているので私も聞きに行った。
とにかく安心してください、ウルバンバまで今日中に行けますと。
このお父さんは目まぐるしく動いて情報を集めていたので、彼の動きを見ていれば
間違いないだろうという事になった。
そのうちに職員から説明があり「ここにいる皆さんは間違いなく列車に乗れるので
安心するように」との事だった。
その言葉を信じるよりほかなかった。
ペルーレイルからお茶やソフトドリンク、スナックなどが差し入れられた。
駅構内に入れず柵の向こうにあんなに人がいる事を考えると、
ソファーに座る事ができる私達は天国のようだった。
トイレもペーパーは切れてはいたものの綺麗で良かったよ~
そうこうしているうちに外から人々の歓声と拍手が聞こえてきた。
どうもペルーレイルの線路の復旧が終わり一番列車が動くらしいのだ。
程なく名前が呼ばれ少しづつ、それぞれの列車に割り当てられ待合室から出ていく。
この待合室だけを見ている限り、その様な大変な状況の中にいるとは思えないでしょ???
2本ほど列車が出て行き、私達はまだ呼ばれない・・・
ミセス・ゴージャスもさすがに心配になったのだろう職員に何事か言い寄っていた。
そしてインド人パパも。
すかさず私もそこにノコノコと・・・
「大丈夫ですから、すぐに乗れますから」と言われたので待つしかなかった。
3時間たったころだっただろうか???
あの荷物係のオッサンが私達の荷物と共にホームに現れた
よ~やく乗れるんだろう・・・クスコまで帰れるんだろう・・・
旅行会社からのメールで列車は動いてもクスコのポロイ駅までは行けず、
行きと同じオリャンタイタンボ駅止まりだが、何時になっても迎えのドライバーは待機しています。
との事で安心した。
向かえも頼んでおいてよかったよ~
これから手配するとなると出来なかったんじゃないかな~とオリャンタイタンボ駅に到着して思わされた。
いよいよ普通の列車だけど乗り込めた~
座席はもともとのハイラム・ビンガム号のシートナンバーと同じところに座る事になった。
元々の席は進行方向と逆向きだったんだけど、ペルーレイルの職員の方が進行方向に移動してくださいねと
親切に言ってくれた。
満員の列車は動き出した~
ディナーはなかったけれど代わりにコーヒーとスナック。
動いては停まりって感じで通常は1時間半を2時間かけてウルバンバに到着~
すでに10時近くにはなっていただろう。
到着してまたまた驚いた。難民キャンプから解放された人々の様に鉄の柵から出ていくのだ。
その柵の向こうには出迎えのドライバー達!!!
マチュピチュの駅でも、このオリャンタイタンボ駅でもこの状況をカメラに収めたくても
自分のスペースが確保できず、この1枚しか騒乱の様子は収められていない。
これ、ドライバーを予め手配していなかったらどうなっていたんだろう???
駅の近くの道路は車が連なり駐車しており身動きが出来ないほど。
私達のドライバーを見つけ止めてあるという場所まで10分ほど歩いた。
車に乗り込んでも前後にぴったっと車がいるので、どの車も身動き取れず、
ドライバー同志そして警備に出ているポリスとも言い合いになっている状態。
1時間近く車で待機し、いよいよクスコへと車は向かう事ができたのだった
途中、ウルバンバ辺りで車窓から空を見上げるとアンデス山脈のすぐ上に
横たえるように南十字星が見えた
それは想像していたよりも大きく、はっきりと見えた
黒い塊の星雲の様なものも。
そして北半球に生まれた私が見た事のない星座がたくさん輝いていた
クスコではすでに灯りが多く南十字星は見えないらしい。
この様な事がなかったら見る事は出来なかっただろう南十字星
この旅行で一番の思い出はこの南十字星だった
どうにか12時を回る前にクスコのホテルに着いたのであった・・・
南十字星を見て思った事。
ツイていないようでツイてたな~って事。
憧れのハイラム・ビンガム号に乗れなかったけれど、その予約をしていたから
あの混乱の中、日付が変わる前にクスコに到着できたのだ。
もし行きと同じビスタドーム等ならば、少々大き目の荷物を持って駅の外で
いつになったら入れてもらえるのかもわからず途方にくれながらいるしかなかっただろう。
おそらく、その日にはクスコへは戻れなかっただろう・・という事は
翌日から2日間、列車は運行しなかったのだから日本に戻るフライトを新たに取らなければ
ならなかっただろう。
ツアーなどでは自然災害、テロ、ストライキの保証はないそうです。
後日、ハイラム・ビンガム号との差額が速やかにペルーレイルより返還されました~
けっこうな額だったことを書き添えておきます。