ヨーロッパ大陸と大地震はあまりイメージはないけれど、1755年11月1日リスボンに大地震とそれに伴う
大津波が襲った。
リスボンの大半が廃墟となりポルトガルの植民地政策の勢いは衰えていった 。
11月1日はカトリックの万聖節という祭日で、この大地震は西ヨーロッパ全体を揺らし、
特にリスボンは大津波が襲い、当時のヨーロッパの人々の精神の根底を揺るがし、
この悲劇に啓蒙思想が主流だった当時の人々は神からの答えを見いだせないでいた・・っていうのは
東日本大震災にも通じるところがあるな~
強運に恵まれた国王一家は無事だったものの当時の国王ジョゼ1世はこの時から閉所恐怖症に陥り、
壊れた宮殿の再建を生前には行わず、郊外に建てたテント宮殿で一生を過ごしたんだっていうからトラウマって凄いね。
なぜにこのようなリスボン大地震を持ち出したかというと、このペーナ宮殿の概容は震災とは無関係ではないからだ。
色とりどり、建築様式もバラバラPalácio Nacional da Pena
この宮殿はフェルナンド2世によって建てられた。この王が初めてシントラの山に登り廃墟と化したペーナ修道院を見て
ぴっぴと来ちゃったのは礼拝堂だけが無傷で残っていたから。
ここを再建し、夏の離宮として利用することを考え19世紀を象徴するロマン主義の城を完成させましたとさ
ロマン主義の城といえばあのノイシュヴァンシュタイン城ルートヴィッヒ2世とこのフェルナンド2世は従弟です。
お城の入り口~
ポルトガル独特のアズレージョ(タイル)の装飾
近くで見ると馬に乗った騎士のアズレージョです。私はポルトガルでこの独特なアズレージョを
色々な所で見るのが楽しみの一つでした。
このようにいずれもネオがつくゴシック、エマヌエル、イスラム、ルネサンス様式の切り貼り状態
これはイスラム様式でしょうか?アズレージョで覆われた装飾。
建設当初はロック・マウンテンの頂上に建てられ、緑の眺望はありませんでしたが、
ドライバーさんが教えてくれたようにフェルナンドは英国風の庭園を造りたかったので色々な種類の木々を
植樹しました。数世代にわたりその時々の王の趣味に合わせて植えられたそうです。
王宮もその世代の趣味に合わせて最終的にまるでテーマパークのようなお城になりました。
ムーア人の城壁跡のブログで書きましたが、この庭園はムーア人の城壁まで続いています。
この巨大な岩山が緑に覆われたさまを見ると、木々の生命力の強さと王家の事業がもたらした
豊かさを感じずにはいられません
この後、ロカ岬に向かうので時間があまりとれず(ムーア人の城壁跡で無駄に時間をとってしまった)
なんと!!!なんと!!!
中は一切見学できず、この旅、一番の痛恨の出来事となるのであった~
まあバスもあるし、時間をつくってまた来ようと考えたのは甘い見通しで
旅行において時間などそうそうあるものでもないし、第一体力も無限ではないのであった~