家に戻って
忙しい一日を過ごしてすぐ
2006年3月の日曜日が来た。
この日は義母の初七日で
私は亭主の実家に向かった。
葬儀のあとで
私は実家の姉に
「お義父さんを 十日やそこらは
ひとりにするなよ。」
と言われていた。
「う~ん。」
と返事をしておいた。
難しい、と感じていたからだった。
この日曜日に
それまでひとり残って泊まってくれていた義弟が
家族の待つ家に一度戻り、
そして単身赴任先に帰る、というので
もう少しの間 義父をひとりにしないように、と
私と亭主(と我が家の子どもたち)で話し合った。
亭主はどうしてもはずせない仕事で出かけることになっており、
私が代わりに朝早く電車で向かうことにした。
我が家の手伝いは
子どもたちが私に代わってやってくれるはずだった。
義母が亡くなった日に 息子が乗ったという
午後一時のバスに乗ろうと
上野から乗った常磐線を降りた駅で
バスを待つ。
ずいぶん待ったが バスが来ない。
バスは電車ほど時刻表通りではないけれど、
と思いながらよく見ると
そのバスは日曜・祭日には運行されていなかった。
ふだん 休日に家を空けることはあまりないので
すっかり忘れていたが 日曜日だったんだ!
たっぷり30分以上待っていたのに
次のバスまでは まだまだ1時間くらい待つ。
がっかりしてタクシー乗り場へ。
5千円以上払って、ようやくたどり着くと
義弟はそろそろ家を出る、というところだった。
一緒に祭壇の前に行き、
3人で手を合わせた。
これで初七日法要を無事に終えたつもり。
初七日から一週間ごとに二七日、三七日・・・
と四十九日まで7回の忌日がある。
それぞれ大切な区切りで
昔は丁寧な家では
そのたびに法要をやっていたかもしれない。
家族で集まって手を合わせれば
それが供養、と私は思っている。
義母がいつも持ち歩いていたハンドバッグに入っていたという
「勤行儀」というのを
亭主が家族分コピーしてくれてあったので
それをひと通り読み上げる、という
本格的(?)法要になった。
そのコピーした紙を
私はなくしてしまった。
前にも書いたが 昔使った本格的(!)お経本を
私はどこかにしまい忘れている。
家にあるかもしれないし
実家にあるのかもしれないが
何十年も見て触っていないのは確か。
数年前に100円ショップで見かけて買っておいたもので、
義母の「勤行儀」によく似た、
「○○宗の勤行儀」(だったかな?)という薄っぺらいお経本も
どこへいったかわからなくなっている。
バチが当たったらどうしよう?
ところで
七日ごとの忌日には
それぞれ仏さまが決まっている。
亡くなった人を守ってくれるのだそうだ。
これは 追善供養の考え方と
道教の十王信仰が融合したものだそうで、
つまり、こんな組み合わせ。
初七日---不動明王、秦広王
二七日---釈迦如来、初江王
三七日---文殊菩薩、宋帝王
四七日---普賢菩薩、伍官王
五七日---地蔵菩薩、閻魔王
六七日---弥勒菩薩、変成王
七七日---薬師如来、泰山王
・・・・・・変換と言うのは便利な機能だ。
自分で漢字で書くと大変だ。
それから
百箇日---観世音菩薩、平等王
一周忌---勢至菩薩、都市王
三回忌---阿弥陀如来、平等王
となっている。種本では(笑)。
○○王と書かれた十王信仰の王さまは
私はなじみがなく、
閻魔王しか聞いたこともない。
こんな仏さまや神さまに守っていただきながら
亡くなった人はお浄土を目指すのだろうか?
義弟は帰るときに 私に
「家の中は 向こうもこっちも
一応全部 クリーナーはかけておいたから。」
と言う。
びっくり。
マメな義父にマメな亭主。
義弟はそのなかでもノンビリヤと思っていたが
意外なまでにマメな人だった。
私は正直、助かった。
クリーナーと言うのは
重いものを引っ張って歩く力仕事、
おまけに腰をかがめるので腰痛になる。
私の務め、と思って
お料理だけは一所懸命にさせていただいた。
義母の仏前にも供えた。
お風呂に入っても やはり髪を洗うことはできなかった。
忙しい一日を過ごしてすぐ
2006年3月の日曜日が来た。
この日は義母の初七日で
私は亭主の実家に向かった。
葬儀のあとで
私は実家の姉に
「お義父さんを 十日やそこらは
ひとりにするなよ。」
と言われていた。
「う~ん。」
と返事をしておいた。
難しい、と感じていたからだった。
この日曜日に
それまでひとり残って泊まってくれていた義弟が
家族の待つ家に一度戻り、
そして単身赴任先に帰る、というので
もう少しの間 義父をひとりにしないように、と
私と亭主(と我が家の子どもたち)で話し合った。
亭主はどうしてもはずせない仕事で出かけることになっており、
私が代わりに朝早く電車で向かうことにした。
我が家の手伝いは
子どもたちが私に代わってやってくれるはずだった。
義母が亡くなった日に 息子が乗ったという
午後一時のバスに乗ろうと
上野から乗った常磐線を降りた駅で
バスを待つ。
ずいぶん待ったが バスが来ない。
バスは電車ほど時刻表通りではないけれど、
と思いながらよく見ると
そのバスは日曜・祭日には運行されていなかった。
ふだん 休日に家を空けることはあまりないので
すっかり忘れていたが 日曜日だったんだ!
たっぷり30分以上待っていたのに
次のバスまでは まだまだ1時間くらい待つ。
がっかりしてタクシー乗り場へ。
5千円以上払って、ようやくたどり着くと
義弟はそろそろ家を出る、というところだった。
一緒に祭壇の前に行き、
3人で手を合わせた。
これで初七日法要を無事に終えたつもり。
初七日から一週間ごとに二七日、三七日・・・
と四十九日まで7回の忌日がある。
それぞれ大切な区切りで
昔は丁寧な家では
そのたびに法要をやっていたかもしれない。
家族で集まって手を合わせれば
それが供養、と私は思っている。
義母がいつも持ち歩いていたハンドバッグに入っていたという
「勤行儀」というのを
亭主が家族分コピーしてくれてあったので
それをひと通り読み上げる、という
本格的(?)法要になった。
そのコピーした紙を
私はなくしてしまった。
前にも書いたが 昔使った本格的(!)お経本を
私はどこかにしまい忘れている。
家にあるかもしれないし
実家にあるのかもしれないが
何十年も見て触っていないのは確か。
数年前に100円ショップで見かけて買っておいたもので、
義母の「勤行儀」によく似た、
「○○宗の勤行儀」(だったかな?)という薄っぺらいお経本も
どこへいったかわからなくなっている。
バチが当たったらどうしよう?
ところで
七日ごとの忌日には
それぞれ仏さまが決まっている。
亡くなった人を守ってくれるのだそうだ。
これは 追善供養の考え方と
道教の十王信仰が融合したものだそうで、
つまり、こんな組み合わせ。
初七日---不動明王、秦広王
二七日---釈迦如来、初江王
三七日---文殊菩薩、宋帝王
四七日---普賢菩薩、伍官王
五七日---地蔵菩薩、閻魔王
六七日---弥勒菩薩、変成王
七七日---薬師如来、泰山王
・・・・・・変換と言うのは便利な機能だ。
自分で漢字で書くと大変だ。
それから
百箇日---観世音菩薩、平等王
一周忌---勢至菩薩、都市王
三回忌---阿弥陀如来、平等王
となっている。種本では(笑)。
○○王と書かれた十王信仰の王さまは
私はなじみがなく、
閻魔王しか聞いたこともない。
こんな仏さまや神さまに守っていただきながら
亡くなった人はお浄土を目指すのだろうか?
義弟は帰るときに 私に
「家の中は 向こうもこっちも
一応全部 クリーナーはかけておいたから。」
と言う。
びっくり。
マメな義父にマメな亭主。
義弟はそのなかでもノンビリヤと思っていたが
意外なまでにマメな人だった。
私は正直、助かった。
クリーナーと言うのは
重いものを引っ張って歩く力仕事、
おまけに腰をかがめるので腰痛になる。
私の務め、と思って
お料理だけは一所懸命にさせていただいた。
義母の仏前にも供えた。
お風呂に入っても やはり髪を洗うことはできなかった。