ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

冷戦

2006-09-13 | 考えたこと
葬儀が終わったときもほっとしたが
初七日が終わると また ほっとする。

実家から帰ってきた亭主と
しみじみと渋茶をすすりながらおしゃべりをする。

私は毎週何日か 亭主の実家に行ってもいいつもりでいた。


jjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjjj

隣の家で 庭にヤマトイモのクズを捨てたらしく、
つるが這い登ってきて
我が家のサザンカに蒔きついたのは去年。

頑張って取り払ったけれど
今年はあちらからもこちらからも
つるが生えてきている。

草むしりをあまりしなかったので
クレマチスの周りも すっかりジャングルになってしまい、
やぶ蚊の巣!(涙)

kkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkk


義母がグループホームに入ってからは
義父のところへは
週に一度 掃除・料理を中心に
来てくれる人がいる。



義父が義母の入所先へ通うのが
少々遠めなので
車で送り迎えをしてくれるオバチャンがいた。

義父が有料で援助をしてくれる会社と契約したのだ。

義父を迎えに行って、
一緒に義母をグループホームへ迎えに行って、
今度は病院へ行き、
終わる頃にまた来てくれて
病院からグループホーム、義父の家。

ボランティア精神がないとできない仕事だが
料金は決まっていて
義父には心の負担にならずに利用できるらしかった。

その会社にも何人かの人が登録しているのだが
そのオバチャンの車は
けっこう大きく、いつもある程度きれいで、
運転も安心していられて
そして何より 人柄にも安心感があるらしい。

その同じ人が来てくれるというので
義父もその息子たちも喜んでいるのだ。



一度 私が義母の病院に付き添うために行った時には
その人の車に乗った義父が
私を迎えに最寄の駅まで来てくれて、
帰りには三人で一緒に食事もしている。

食事はご馳走してもらわない決まりとかで
自分で払ってくれる。

私も 
押し付けがましいところがなく、穏やかで 
自然体のこのオバチャンには好感を持っている。

私とあまり年齢は違わないと思う。

(ただし、とちらが上かは不明。)



その人が毎週木曜日に来てくれるなら、
私は月~火曜日にでも
通おうか、と思っていた。

亭主には
「毎週同じ曜日に行くようにした方が
 リズムができて
 私的にはラクだ。」
と伝えてあった。

亭主もそれには納得したような発言をしていた。

そしたら
そのリズムを無視して
自分の実家に行け、と
突然言い出すのだ。

困る。

「この前言ったように、
 同じ曜日に行くようにしたいんだけど。」

と言うと、
「オレが困る。」
と言う。

「明日は、二七日(にしちにち)だから。」

とかなんとか言っちゃって、
私や 塾のある息子や バイトのある娘を
自分の代わりに 実家に行かそうとする。

それは私の親のじゃない。

あんたの親なんだから、
あんたが行けばいいでしょ!

と、心の中で言う(苦笑)。

亭主は関西に出張が入っていて
自分では行けないのだ。



思い出したよ!

義母が亡くなった時、
私たちは冷戦状態だったじゃないか!

いつもこうやって
自分で勝手に決めたことを
人に押し付けるから、イヤになるんだ。

だから、冷戦してたんだ!

人のことを勝手に決めるな!

自分勝手になんでも物事を押し通そうとするな!

とは言えない、オトナシイ私(笑)。

私が唯一口に出したのは。

「イヤだ。」



亭主は関西へ。

義父のところへは
義弟がせっせとマメに通ってくれていた。

三国志

2006-09-13 | マンガ
先年 火事で怪我をして亡くなった
横山光輝氏の大作マンガ、
『三国志』(潮出版社、希望コミックス)。

描き始めは昭和47年だそうだ。

なんでも 最初は少年向けに描かれたとかで
表紙の劉備玄徳の顔も
当然ながら若々しいし
描いている横山氏も若かったことだろう。

その後 読者層が大人までいることがわかり、
大人も読めるように、と
描き方を改めたそうなのだが

私は作者の絵が 円熟していっただけかと思っていた。



この単行本を買い続けていたのは
いったいいつ頃だったろう?

第一巻の発行は昭和49年5月20日。

手元にあるのは 昭和53年の9刷だ。

買っていたのは、若かりし頃の、亭主。



あの頃

亭主は 貧乏大学院生で
私は 
アルバイトをしている亭主よりももっと貧乏なOL だった。

お金がないと
デートコースは駅前の書店。

立ち読みをして
脚が棒のようになったら
『三国志』を買って亭主のアパートに行き、

亭主の淹れてくれたコーヒーを飲みながら
『三国志』を読むのが

月に一度の楽しみだった。

何巻目が出ていた頃だったろう?

その頃は まさか60巻も出るとは思っていなかった。



結納を交わして 結婚して 
子どもが生まれて 当地へ来て

それでも配本は終わらず、
当地で見つけた気に入りの本屋で続きを買った。

60巻めの発行は1988年(昭和63年)。

これは、息子が生まれた年。

その時には発売に気づかなかったのだろう、
2年後の1990年の11刷を購入している。

その後 成長した息子が読んだ。

(娘はあまり読まなかった。

 漢字が多いからなあ;笑)



さらに 1984年7月16日に
『横山光輝 三国志おもしろゼミナール』
という本が 同じ出版社から出ているのだが、

息子はこの『おもしろゼミナール』で
完璧に「三国志オタク」になった。



「三国志オタク」は「恐竜オタク」よりも長く続き、
一時期息子は
大学で中国の事を勉強したい、と言っていたくらい。

(現在はもっとわかりやすい方面へ転向している。)



我が家では いろんな意味で 大作の名作だ。