ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

遺品の整理

2006-09-23 | 考えたこと
亭主の実家の整理・整頓は
義母がグループ・ホームに入所したころから始まっている。

義母の衣類の整理も
ほぼ同時に始まっている。

亭主は 時間がないため
いったん荷物をすべて我が家へ持ってきて

いらない物を捨てたり
いただきたいものはもらったりして
残りはもう一度実家に持って行く、という
ややこしいことを繰り返していた。



義母の病気は治らないものとは言え
義母にも義父にも遠慮しながらの整理だった。

なかなか義母の衣類の整理がつかなかったので
季節が変わるごとに不足があり、
そのたびに義父やその息子たちは
新品を買ってホームに届けた。

あふれんばかりの衣類は
あとからどんどん見つかったのだが。



亭主が持ってくる衣類は
古いものが多かった。

色が褪めていたり
形が古かったりして
どうしても使い物にならないのは

きっちり きれいに ビニール袋に入れて
可燃ゴミとして出した。

ぐちゃぐちゃのままゴミに出したくはなかった。



雑巾として使える布地は
使い捨て雑巾にした。

ビリビリと音をたてて切り裂き、
一定の大きさの布にした。

使い捨て雑巾は どんどん出来上がった。

掃除嫌いの私では 使いきれないくらいに。



以前

ピンクの戦士(乳がん患者)の一人が
引越しのために
毎日泣きながら
母の遺品を整理して捨てている、
と書いていた。

遺品の整理とは
胸つぶれる思いのするものだ。

こんなに辛いとは思わなかった。

破くと 心が引き裂かれる音がする。



小さなハギレひとつにしても
ああ、これはお義母さんのブラウス、
などと いちいち思い出してしまう。

やるせない気分になって手を止めては
ため息をついてしまう。

免疫力がどんどん下がる作業だ。

というか
生きる気力やエネルギーが
削がれる仕事だ。



義母が亡くなって
整理は本格化した。

今まで持って来れなかったものも
亭主がどんどん持ってくる。

親戚や友人にもらってもらうこともあるが
古いものはどうにもならない、燃えるゴミ。



義母はどうやら着道楽で、
ステキな洋服をたくさん持っていた。

編み物教室に通っていた関係で
ニット製品は凝った作りのものが多い。

ワンピースやジャケットやコートまでニット。

退職後は手編みに凝っていたこともあって
ハンドメイドの、
デパートで見ればウン万円というセーターが
どっさりある。

既製品と言えど
義母のめがねに適ったものばかり、
平凡なものはひとつもない。

どれもちょっと凝った国産ニット。

しかも 衣装ケースに入れた時にかさばる。



義母はよく

「あたしの友達が 洋裁やってて、
 仕立ててくれんの。」

と言っていたが
オーダーメードの服も多い。

スーツやワンピースやパンツを見ても
ああ、これは
あのハギレの、とわかってしまう。

先にハギレの整理をやっているから。

上等の布地、と思うと 
捨てるのがためらわれる。

虫食い穴が開いていれば捨てられる。



そして 捨て下手の私には
どうしても捨てられないものが多い。

そんな中から、
義母の浴衣を解いて のれんを作った。

3枚作って 亭主の実家と 義弟の家と 我が家とで
おそろいののれんを掛ける。

記事を無駄にしなくて済む、という
自己満足作品。



そんなこんなで 整理は進まない。

とうとう最後の気力を使い果たしたのが、6月。

その時のままの衣類と衣装ケース、
3ヶ月以上 ここにある(涙)。



それにしても、
思わず
「ゲ!!!」
と声を上げてしまいそうになる、
義母の洋服の色柄!

あれを さりげなく着こなしていたんだから、
センスは・・・・・・もしかしたら
たいしたものだったのかもしれない。。

百箇日

2006-09-23 | 考えたこと
義母の百箇日は6月の初めだった。

さんざん迷った挙句、
義父と義弟の家族と我が家の9人の他には
だれも呼ばないことにした。

家族だけで集まって
家族だけで
お婆ちゃんのお経本のコピーを読み、
家族だけでの会食をした。

娘は 付け爪はしていなかったけど
こんどは付け髪(エクステンションとやら)を
つけたままだった。



それまで兄弟ふたりが
何度も何度も
可能な限り実家に行って奔走したおかげで
諸手続きは ほぼ完了していた。

週に一度ヘルパーさんに家事の援助をしてもらい、
義父のひとり暮らしも板についてきた。

それからなんと
「親に死に目に会えなかった!」
と訴えたら
義弟の単身赴任は 中途半端な時期に
元の勤務先に戻されることになったとか。

いいんだろうか?それで。(笑)

ともかく、
それまで 共働きで頑張ってきた義妹は
なにかと心強いことだろう。



誰もがみんな
少しずつ無理をしながら頑張っている。

義父の台所修行は
若い頃に一人暮らしをしているし

料理を作らなくなってしまった義母に食べさせる時に
工夫して頑張っていたので
あまり心配はしていなかったが

一緒に食べる人がいないと
どうしても手抜きになる。

ヘルパーさんの訪問を増やしてもいいのでは?とも思うが
昔気質の義父は
そうしょっちゅう他人が家に入り込むと
気づかれしてしまうだろう。

近所の人たち、親戚の人たちの好意が
本当にありがたかった。



義弟の長男と 我が家の長男とは
揃って高3、受験生になった。

義弟の長女は
中学生になった。

我が家の長女は
付け毛に付け爪、
チャラチャラしながら
バイトにも励んでいた。

私だけはあいかわらず ぼんやりと 日々を過ごしていた。

あ、忘れてた!

ゴールデンウィーク明けには 
私も出張に行ったりしてたんだっけ!