亭主の実家の整理・整頓は
義母がグループ・ホームに入所したころから始まっている。
義母の衣類の整理も
ほぼ同時に始まっている。
亭主は 時間がないため
いったん荷物をすべて我が家へ持ってきて
いらない物を捨てたり
いただきたいものはもらったりして
残りはもう一度実家に持って行く、という
ややこしいことを繰り返していた。
義母の病気は治らないものとは言え
義母にも義父にも遠慮しながらの整理だった。
なかなか義母の衣類の整理がつかなかったので
季節が変わるごとに不足があり、
そのたびに義父やその息子たちは
新品を買ってホームに届けた。
あふれんばかりの衣類は
あとからどんどん見つかったのだが。
亭主が持ってくる衣類は
古いものが多かった。
色が褪めていたり
形が古かったりして
どうしても使い物にならないのは
きっちり きれいに ビニール袋に入れて
可燃ゴミとして出した。
ぐちゃぐちゃのままゴミに出したくはなかった。
雑巾として使える布地は
使い捨て雑巾にした。
ビリビリと音をたてて切り裂き、
一定の大きさの布にした。
使い捨て雑巾は どんどん出来上がった。
掃除嫌いの私では 使いきれないくらいに。
以前
ピンクの戦士(乳がん患者)の一人が
引越しのために
毎日泣きながら
母の遺品を整理して捨てている、
と書いていた。
遺品の整理とは
胸つぶれる思いのするものだ。
こんなに辛いとは思わなかった。
破くと 心が引き裂かれる音がする。
小さなハギレひとつにしても
ああ、これはお義母さんのブラウス、
などと いちいち思い出してしまう。
やるせない気分になって手を止めては
ため息をついてしまう。
免疫力がどんどん下がる作業だ。
というか
生きる気力やエネルギーが
削がれる仕事だ。
義母が亡くなって
整理は本格化した。
今まで持って来れなかったものも
亭主がどんどん持ってくる。
親戚や友人にもらってもらうこともあるが
古いものはどうにもならない、燃えるゴミ。
義母はどうやら着道楽で、
ステキな洋服をたくさん持っていた。
編み物教室に通っていた関係で
ニット製品は凝った作りのものが多い。
ワンピースやジャケットやコートまでニット。
退職後は手編みに凝っていたこともあって
ハンドメイドの、
デパートで見ればウン万円というセーターが
どっさりある。
既製品と言えど
義母のめがねに適ったものばかり、
平凡なものはひとつもない。
どれもちょっと凝った国産ニット。
しかも 衣装ケースに入れた時にかさばる。
義母はよく
「あたしの友達が 洋裁やってて、
仕立ててくれんの。」
と言っていたが
オーダーメードの服も多い。
スーツやワンピースやパンツを見ても
ああ、これは
あのハギレの、とわかってしまう。
先にハギレの整理をやっているから。
上等の布地、と思うと
捨てるのがためらわれる。
虫食い穴が開いていれば捨てられる。
そして 捨て下手の私には
どうしても捨てられないものが多い。
そんな中から、
義母の浴衣を解いて のれんを作った。
3枚作って 亭主の実家と 義弟の家と 我が家とで
おそろいののれんを掛ける。
記事を無駄にしなくて済む、という
自己満足作品。
そんなこんなで 整理は進まない。
とうとう最後の気力を使い果たしたのが、6月。
その時のままの衣類と衣装ケース、
3ヶ月以上 ここにある(涙)。
それにしても、
思わず
「ゲ!!!」
と声を上げてしまいそうになる、
義母の洋服の色柄!
あれを さりげなく着こなしていたんだから、
センスは・・・・・・もしかしたら
たいしたものだったのかもしれない。。
義母がグループ・ホームに入所したころから始まっている。
義母の衣類の整理も
ほぼ同時に始まっている。
亭主は 時間がないため
いったん荷物をすべて我が家へ持ってきて
いらない物を捨てたり
いただきたいものはもらったりして
残りはもう一度実家に持って行く、という
ややこしいことを繰り返していた。
義母の病気は治らないものとは言え
義母にも義父にも遠慮しながらの整理だった。
なかなか義母の衣類の整理がつかなかったので
季節が変わるごとに不足があり、
そのたびに義父やその息子たちは
新品を買ってホームに届けた。
あふれんばかりの衣類は
あとからどんどん見つかったのだが。
亭主が持ってくる衣類は
古いものが多かった。
色が褪めていたり
形が古かったりして
どうしても使い物にならないのは
きっちり きれいに ビニール袋に入れて
可燃ゴミとして出した。
ぐちゃぐちゃのままゴミに出したくはなかった。
雑巾として使える布地は
使い捨て雑巾にした。
ビリビリと音をたてて切り裂き、
一定の大きさの布にした。
使い捨て雑巾は どんどん出来上がった。
掃除嫌いの私では 使いきれないくらいに。
以前
ピンクの戦士(乳がん患者)の一人が
引越しのために
毎日泣きながら
母の遺品を整理して捨てている、
と書いていた。
遺品の整理とは
胸つぶれる思いのするものだ。
こんなに辛いとは思わなかった。
破くと 心が引き裂かれる音がする。
小さなハギレひとつにしても
ああ、これはお義母さんのブラウス、
などと いちいち思い出してしまう。
やるせない気分になって手を止めては
ため息をついてしまう。
免疫力がどんどん下がる作業だ。
というか
生きる気力やエネルギーが
削がれる仕事だ。
義母が亡くなって
整理は本格化した。
今まで持って来れなかったものも
亭主がどんどん持ってくる。
親戚や友人にもらってもらうこともあるが
古いものはどうにもならない、燃えるゴミ。
義母はどうやら着道楽で、
ステキな洋服をたくさん持っていた。
編み物教室に通っていた関係で
ニット製品は凝った作りのものが多い。
ワンピースやジャケットやコートまでニット。
退職後は手編みに凝っていたこともあって
ハンドメイドの、
デパートで見ればウン万円というセーターが
どっさりある。
既製品と言えど
義母のめがねに適ったものばかり、
平凡なものはひとつもない。
どれもちょっと凝った国産ニット。
しかも 衣装ケースに入れた時にかさばる。
義母はよく
「あたしの友達が 洋裁やってて、
仕立ててくれんの。」
と言っていたが
オーダーメードの服も多い。
スーツやワンピースやパンツを見ても
ああ、これは
あのハギレの、とわかってしまう。
先にハギレの整理をやっているから。
上等の布地、と思うと
捨てるのがためらわれる。
虫食い穴が開いていれば捨てられる。
そして 捨て下手の私には
どうしても捨てられないものが多い。
そんな中から、
義母の浴衣を解いて のれんを作った。
3枚作って 亭主の実家と 義弟の家と 我が家とで
おそろいののれんを掛ける。
記事を無駄にしなくて済む、という
自己満足作品。
そんなこんなで 整理は進まない。
とうとう最後の気力を使い果たしたのが、6月。
その時のままの衣類と衣装ケース、
3ヶ月以上 ここにある(涙)。
それにしても、
思わず
「ゲ!!!」
と声を上げてしまいそうになる、
義母の洋服の色柄!
あれを さりげなく着こなしていたんだから、
センスは・・・・・・もしかしたら
たいしたものだったのかもしれない。。