矢口高雄というマンガ家をご存知だろうか?
『釣りキチ三平』でおなじみかと思う。
他にも
『マタギ』『おらが村』『ふるさと』などの著書がある。
著書と言っても もちろんそれはマンガで、
『ボクの学校は山と川』はその矢口氏のエッセイ。
(白水社、1987.9.1、1000円)
帯には
「『釣りキチ三平』の著者が、
そのおおらかな少年時代をいきいきと描く
好エッセイ!」
とある。
巻末に第二エッセイ集として
『ボクの先生は山と川』の宣伝がある。
『おらが村』(翔泳社、1995.4.10、上・下巻)
の巻末の著者紹介分のなかでは
「白水社刊『ボクの先生は山と川』のエッセイ集は
教育界に話題を巻き起こした。」
と書かれているので
もしかしたら
『ボクの学校・・・』よりも『ボクの先生・・・」の方が
優れた著作なのかもしれないが、
私はそちらを手にしたことはない。
この本で 矢口氏は 自身の出身地(秋田県)を
「村の真ん中を一本の川が流れている。
秋田の名川雄物川の支流の支流で、
橋の上からイワナが釣れるという
どんづまりの源流部である。」(p10)
と紹介している。
「ふるさとの印象を一言・・・・・・」
「雪!」
とも述べている。
「昨日も・・・・・・今日も雪・・・・・・である。
見上げれば白・・・・・・見渡せば白・・・・・・である。」(p160)
そんなふるさとで過ごした日々を
「忙しい少年だった」と言う。
釣りキチはもちろん、
蝶の採集、山菜採り、キノコ採り、
勉強もよくして委員長に生徒会長、
農作業を手伝って、
それにマンガ少年で。
生き生きと描かれる矢口少年の様子は
まるで白黒映画のような感じで
私の目に映って見える。
矢口氏は1939年の生まれ。
私よりもだいぶオジサンだ。
服装は 大部分が和服にモンペ、
草履か下駄履きだった、という。
栗の木につくクリムシが繭をかける直前に採集し、
腸を搾り出しては酢で固めながら引き伸ばして
釣りのためのテグス糸を作る。
毎朝 朝食前に朝露をたたえたキャベツ畑に行き、
キャベツの葉を1枚1枚めくりながら青虫をつぶす。
この仕事は 2、3年後に DDTやBHCが出てきて
つぶさなくてもよくなった、
こころからDDTとBHCに感謝した、と言う。
冬の間、囲炉裏にデンと腰を据えて
来る日も来る日も
おじいちゃんはワラジを作り、
母は縄をなった、という。
時代の波の来るのが遅いイバラキの田舎育ちとは言え、
私にとっても あこがれの田舎生活のように見える。
私の家には囲炉裏はなかったし
ワラジも草履も自分でこしらえることができる矢口氏と違って
私はどちらも作ったことがない。
けれど 私の時代の 私の田舎の子どもたちも
工夫を凝らして遊んでいたのは確かで
勉強はともかく(つまりできなくても)、
そういう工夫で
大人顔負けの獲物を収穫することのできる子どもは
尊敬の対象だった。
この本の一番秀逸なところは
タイトルではないかと思う。
少なくとも私は
このタイトルに引かれた。
「学校は、山と川」。
「先生は、山と川」。
幼い娘の手を引いていた頃の私にとっての
理想の子育ては
この本のタイトルが示していたように感じていた。
後に
娘の通う学習塾の送り迎えに忙しくなってからは
「ああ、私の理想の教育は
どこへ行ってしまったんだろう?」
と思うこともあった。
そんな時にやはり
強いあこがれと共に思い出すのは
矢口氏の子どもの頃のような
自然に教えられ、鍛えられ、
周り中の大人たちに育てられる
そんな田舎の子どもたちの姿なのだった。
けれど
始めてしまった塾通いは
後戻りはできなかった。
『釣りキチ三平』でおなじみかと思う。
他にも
『マタギ』『おらが村』『ふるさと』などの著書がある。
著書と言っても もちろんそれはマンガで、
『ボクの学校は山と川』はその矢口氏のエッセイ。
(白水社、1987.9.1、1000円)
帯には
「『釣りキチ三平』の著者が、
そのおおらかな少年時代をいきいきと描く
好エッセイ!」
とある。
巻末に第二エッセイ集として
『ボクの先生は山と川』の宣伝がある。
『おらが村』(翔泳社、1995.4.10、上・下巻)
の巻末の著者紹介分のなかでは
「白水社刊『ボクの先生は山と川』のエッセイ集は
教育界に話題を巻き起こした。」
と書かれているので
もしかしたら
『ボクの学校・・・』よりも『ボクの先生・・・」の方が
優れた著作なのかもしれないが、
私はそちらを手にしたことはない。
この本で 矢口氏は 自身の出身地(秋田県)を
「村の真ん中を一本の川が流れている。
秋田の名川雄物川の支流の支流で、
橋の上からイワナが釣れるという
どんづまりの源流部である。」(p10)
と紹介している。
「ふるさとの印象を一言・・・・・・」
「雪!」
とも述べている。
「昨日も・・・・・・今日も雪・・・・・・である。
見上げれば白・・・・・・見渡せば白・・・・・・である。」(p160)
そんなふるさとで過ごした日々を
「忙しい少年だった」と言う。
釣りキチはもちろん、
蝶の採集、山菜採り、キノコ採り、
勉強もよくして委員長に生徒会長、
農作業を手伝って、
それにマンガ少年で。
生き生きと描かれる矢口少年の様子は
まるで白黒映画のような感じで
私の目に映って見える。
矢口氏は1939年の生まれ。
私よりもだいぶオジサンだ。
服装は 大部分が和服にモンペ、
草履か下駄履きだった、という。
栗の木につくクリムシが繭をかける直前に採集し、
腸を搾り出しては酢で固めながら引き伸ばして
釣りのためのテグス糸を作る。
毎朝 朝食前に朝露をたたえたキャベツ畑に行き、
キャベツの葉を1枚1枚めくりながら青虫をつぶす。
この仕事は 2、3年後に DDTやBHCが出てきて
つぶさなくてもよくなった、
こころからDDTとBHCに感謝した、と言う。
冬の間、囲炉裏にデンと腰を据えて
来る日も来る日も
おじいちゃんはワラジを作り、
母は縄をなった、という。
時代の波の来るのが遅いイバラキの田舎育ちとは言え、
私にとっても あこがれの田舎生活のように見える。
私の家には囲炉裏はなかったし
ワラジも草履も自分でこしらえることができる矢口氏と違って
私はどちらも作ったことがない。
けれど 私の時代の 私の田舎の子どもたちも
工夫を凝らして遊んでいたのは確かで
勉強はともかく(つまりできなくても)、
そういう工夫で
大人顔負けの獲物を収穫することのできる子どもは
尊敬の対象だった。
この本の一番秀逸なところは
タイトルではないかと思う。
少なくとも私は
このタイトルに引かれた。
「学校は、山と川」。
「先生は、山と川」。
幼い娘の手を引いていた頃の私にとっての
理想の子育ては
この本のタイトルが示していたように感じていた。
後に
娘の通う学習塾の送り迎えに忙しくなってからは
「ああ、私の理想の教育は
どこへ行ってしまったんだろう?」
と思うこともあった。
そんな時にやはり
強いあこがれと共に思い出すのは
矢口氏の子どもの頃のような
自然に教えられ、鍛えられ、
周り中の大人たちに育てられる
そんな田舎の子どもたちの姿なのだった。
けれど
始めてしまった塾通いは
後戻りはできなかった。