ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

原稿

2006-09-20 | なんでもないこと
亭主は忙しかった。

通常業務のほかに
儲からない仕事を請け負っていて

義母のところへ出かけ
義父のところへ出かけ

葬儀の後も
さまざまな手続きのために
それから 整理・整頓のために
頻繁に実家に帰っていた。

四十九日の準備や打ち合わせ。

それらが終わって 落ち着いた後
きっと来るなあ、と思っていた。

がっくりとする日が。

そろそろアブナイ、と思っていた時に
亭主にとって大きな事件があった。

原稿が届いたのだった。



亭主は原稿を書く、という仕事をたまにする。

そしてたまには締め切りがある。

これは大学院生時代から続けていることだった。

「原稿を頑張れば
 それで月に20万くらいは稼げる。」
と 亭主はいつも言っていた。

私は騙されてケッコンしたのだった。

学生でなくなってからは
さすがに時間がとれないでいた。



それでも締め切りがあると
決して遅れまいと睡眠を削り
家族との触れ合いもなくして
原稿を提出するのが亭主だった。

締め切りに間に合わなかったことはない、と
いつも言っていた。

そういう性格のヤツだった。



それが今回
義母の事があったので
締め切りを延ばしてもらう、という方法をとった。

そしたら・・・

上司(と、呼ぶのかなあ?)が
忙しい亭主に代わって
原稿を書き上げてくれた。

その原稿を送ってよこして
「これでいいか?」
と聞いてきた。

なかなか良く書けていたのだそうだ。

自分の他には
その人でなければ書けなかっただろう、
と思うくらい 良くできた原稿だったそうだ。

けれど
自分で書けなかった悔しさやら
自分でなんとかできなかった情けなさやら
いろんな感情が交錯して?

亭主は ウツっぽくなった。



確かにいろんなことがありすぎて
いろんなことを頑張りすぎて
疲れが出たんだね。

そして何よりも 母親の死。

だから ガックリきて不思議はない。

亭主は義母の死による精神的ショックは否定していたけど
ちょうどアブナイ時期だったのは確か。

二、三日で なんとか立ち直ったからよかったけど
こんなこともあった。

どうやって立ち直ったか?

忙しくて 余計なことを考えている暇がなかった(笑)。

義父の外出

2006-09-20 | なんでもないこと
四十九日が過ぎて 落ち着いて
義父が初めて外出した。

我が家へ泊りがけで来たのだ。

上野で娘と待ち合わせて
確か博物館だったか?(美術館かもしれない)
を 一緒に見て
そのまま電車に乗って
当地へ来た。

義母の調子がおかしくなってから
本当に初めての外泊だった。



けれど せっかく我が家に来たのに
たった一泊で帰るという。

今までも二泊で出かけることはまれだったと
以前に義母から聞いていたが
せめて二泊、できたら三泊と思っていたのに。

加えて
私には思惑があった。

義父をダシに
私が外出したかったのだ。



「お義父さん、

 温泉に行きましょうか、
 
 ゆっくりお風呂につかって
 泊まらずに帰ってくればいいし。」

「お義父さん、

 秩父に行けば
 駅前で巡礼の衣装を観光協会かなんかが
 貸してくれるんですって。

 札所めぐりをしましょうよ。」



ダメだった。。。。



私は本気で秩父の札所めぐりをしたかった。

行き始めれば 何箇所も回るから
何度も行かなきゃいけないだろうし(笑)。

秩父鉄道というのは
熊谷から出ている。

熊谷駅まで 電車で行ける。

いや、車で行ってもいい。

いやいや、秩父まで車で行ってもいい。

なにしろ、こっちには
カー・ナビゲーション・システムという
つよ~い味方があるのだ!



亭主のワンボックスを下取りに出すにあたって
5万円くらいにはなる、と言われていた。

ふと気づいて 
カーナビを私のコンパクト・カーにつけてもらうことにした。

同じメーカーの車でよかった、
メーカーの純正カーナビは
きっちりと収まった。

下取り価格は0円になってしまったけれど
これで知らない場所へも
(だいたいは)どこへでも行ける。

私は本気で義父を乗せて
秩父まで運転してもいいと思っていたのだったが。



あとで義父はだいぶ心を揺さぶられたらしい、
と聞いた。

お義父さん!

行きましょう!

どこへでも!

でもこのカーナビ、
少々情報が古いので
道なき道を走ったり
曲がれ、と言われた場所に
道がなかったりするんですけどね。